ジョエル・エンビードの追悼メッセージ「彼は僕にとってのロールモデル」

NBA史上に残るショットブロッカーとして活躍し、殿堂入りしたディケンベ・ムトンボが、脳腫瘍により58歳の若さで死去したことをNBAが発表した。

コンゴ出身のムトンボは、ジョージタウン大学を経て1991年ドラフト全体4位指名でナゲッツに入団。その後、ホークス、セブンティシクサーズ、ネッツ、ニックス、ロケッツを渡り歩きNBA18シーズンで通算1196試合出場、平均9.8得点、10.3リバウンド、2.8ブロックを記録した。

8度のオールスター選出を誇る彼は、218cmのサイズと機動力を生かしたディフェンスでゴール下の番人として君臨。最優秀守備選手賞を4度受賞し、通算ブロック数では歴代2位となっている。また、ナゲッツ時代の1994年プレーオフでは、第1シードのスーパーソニックスを撃破し、当時NBA史上初めてとなる第8シードが第1シードを撃破する歴史的アップセットの立役者となった。

アダム・シルバーNBAコミッショナーは、「ディケンベ・ムトンボは、コート上では本当に偉大な存在だった。NBA史上最高のショットブロッカーであり、ディフェンシブプレーヤーだった。コート外では、他人を助けることに心血を注いでいた」とメッセージを寄せている。

優れた選手だけでなく、人格者でもあったムトンボの死去に多くのNBA関係者が追悼のメッセージを寄せている。ムトンボと同様アフリカにルーツがあり、ポジションも同じセンターであるセブンティシクサーズのジョエル・エンビードは「世界中、特にアフリカの人々にとって悲しい日となった」と語り、ムトンボに次のような尊敬の言葉を送った。

「バスケットボールコートの中で多くのことを成し遂げた以上に、彼はコート外でより大きな影響を与えた。コート内外でインパクトを残した部分でも、彼は僕が尊敬している人物の1人だ。彼は多くの人々のために素晴らしいことをたくさん行ってきた。彼は僕にとってのロールモデルだ」

ムトンボは2000-01シーズン途中にホークスからセブンティシクサーズにトレード加入すると、この年のプレーオフでは23試合出場、平均42.7分、13.9得点、13.7リバウンド、3.1ブロックの大暴れでファイナル進出に大きく貢献した。セブンティシクサーズはこの年以来、チームはファイナルから遠ざかっている。尊敬する先輩に捧げるためにもエンビードは、今シーズンこそのファイナル進出への思いをより強くしているだろう。