ランドルフとアレン、コンリーがセレモニーに集結
2008年2月にパウ・ガソルがレイカーズに移籍した数カ月後、弟のマルク・ガソルがグリズリーズにやって来た。パウはすでに成熟した選手だったが、4歳半も年少のマルクは幼く見えたし、パウがレイカーズに移籍するなりNBAファイナル進出を果たしたことで、弟を代役にするアイデアが正しいのかどうか、ファンの多くは確信を持てなかった。
しかし、そのマルクはグリズリーズで10シーズン半を過ごし、彼が着けた33番はクラブで2人目の永久欠番となった。現地4月6日にそのセレモニーが行われ、ザック・ランドルフとマルクのユニフォームは、かつてインサイドでコンビを組んだように隣同士でフェデックス・フォーラムに掲げられることになった。
マルクはグリズリーズを離れた後、ラプターズでNBA優勝を経験し、2020-21シーズンのレイカーズがNBAキャリアの最後となっている。それでも彼にとってグリズリーズは特別なチームだし、メンフィスの人々にとって長らく『チームの象徴』だったマルクは唯一無二の存在だ。
グリズリーズはマルク加入3年目から7シーズン連続でプレーオフに進出している。小さなフランチャイズのチームにとって、これは大きな偉業だ。グリズリーズでプレー経験のないケビン・デュラントは、ガソルのドキュメンタリー映像への出演を快諾し、当時のグリズリーズを彼らしい言葉で称えている。「優勝しなくても、毎年プレーオフで対戦している時は『王朝』だと感じていた。『王朝』は優勝してこそだと思うかもしれないけど、NBAであれだけ長い間、同じコアメンバーで強いチームであり続けるのは本当に稀なんだ」
式典には兄のパウ・ガソルはもちろん、当時のグリズリーズを支えたザック・ランドルフとトニー・アレン、マイク・コンリーが集結した。コンリーは前日にフェニックスで、翌日にはロサンゼルスで試合があるにもかかわらず、「この思い出は絶対に作っておきたかった」とメンフィスに駆け付けた。この日の主役であるマルクとともに、ランドルフ、アレン、コンリーがコートに姿を現した瞬間、ファンは大歓声を送った。
アリーナに掲げられた33番の巨大なユニフォームを背に、マルクはこう語った。「僕はこの街のために戦い、正しいプレーをして勝つことを大事にしてきた。我慢強く見守ってくれてありがとう。みんなのサポートと愛情のおかげで僕は仲間と一緒にやってこれたんだと思う」
「19歳の頃はマイケル・ジョーダンのフェイダウェイやラリー・バードの3ポイントシュート、マジック・ジョンソンのノールックパスを思い描いてプレーしていた。それから年月が流れてグリズリーズからラプターズに移籍した後も、同じようなことをやっていたんだけど、トニー・アレンだったらこのディフェンスの場面でどんな指示を出していたか、ザック・ランドルフが勝負どころでどのようにインサイドを支配したか、マイク・コンリーがどうやって常に冷静にプレーしていたか、みたいなことをイメージするようになっていた。だから僕がバスケ選手として最大の目標である優勝を勝ち取った時、この3人は僕にとってとても大切な存在だったんだ」
そして彼は、ラプターズで勝ち取った優勝リングを映像で大写しにした。ラプターズでは当時、優勝メンバーがそれぞれのリングの内側に刻む言葉を選ぶことができた。マルクが選んだのはグリズリーズのキャッチフレーズである『Grit and Grind』だ。「闘志を持ち、気骨のあるプレーをする」という意味のこの言葉は、まさに当時のグリズリーズのプレースタイルであり、今のチームにも通ずるものだ。
彼は今のグリズリーズにも、その気概を引き継いでほしいと願っている。「僕たちはそれぞれ欠点があったけど、お互いに助け合うことで問題を乗り越えてきた。仲間意識という点で僕らは特別だったし、自分たちが成し遂げたことを誇りに思う。そして新しい世代が同じマインドセットで、この街に良い影響を与えてくれることに期待しているよ」