リッキー・ルビオ

ガードに得点力を求めるNBAスタイルに合わずも……

2008年に行われた北京オリンピックの決勝、スペイン代表のスタメンには17歳のポイントガードが名を連ね、世界を驚かすプレーを披露しました。翌年のNBAドラフトで5位指名を受けた『スペインの至宝』は、NBAでも優秀なゲームメーカーとして活躍してきましたが、頂点に立つことなくNBAでのキャリアを終える決断をしました。

国際試合で輝かしい実績を誇るリッキー・ルビオにとって、NBAの舞台はケガ、そしてアメリカのバスケットスタイルへの順応に苦しむ戦いでもありました。ルーキーシーズンから8.2アシストを記録したものの、シーズン終盤に左膝前十字靭帯を断裂し長期欠場に追い込まれると、4年目は左足首の捻挫での手術、最近でも3年前に左膝前十字靭帯断裂と相次ぐケガに苦しめられました。身体能力の高いガードが多いNBAで戦う負荷の高さに、ルビオの身体は悲鳴を上げていました。

またルビオがNBAに来た2011年から、トランジションと3ポイントシュートを重視するプレースタイルにリーグ全体がシフトしていきました。3ポイントシュートのアテンプトが10年で2倍近くまで増える中で、ルビオのシュート力は弱点として扱われるようになっていきました。ガードに得点力を求めるアメリカのバスケットスタイルもルビオには向いていませんでした。

圧倒的な身体能力を生かした強烈なドライブアタックや、超絶的なハンドリングやシュートスキルなど、個人能力を駆使して得点を奪う現代的なガードは、自らのプレーでディフェンスを引き付けることで、チームメートへのアシストもしていきます。これに対してルビオはチームオフェンスをセットし、ディフェンスの状況を見てプレーをチョイスすることで、チームメートが楽に得点を奪えるシチュエーションを作っていきます。ガードの個人能力を生かした戦術が中心となるNBAで、戦術を円滑に機能させるルビオは珍しいタイプになっていました。

身体能力でもスキルセットでもNBA向きではなかったルビオが長く活躍できたのは、抜群のパスセンスに加え、試合をコントロールする特別な能力を持っていたからでした。派手な打ち合いに身を投じるのではなく、時間と点差を考えたプレーチョイスはルビオならではの能力でした。その能力は再建チームが勝利を目指し始めるステップで必要とされ、キャリア後半はそのようなチームでプレーしてきました。

試合展開に応じた正しいプレーチョイスを導く役割として、若手エースの隣に置かれることが多く、ジャズではドノバン・ミッチェルと、サンズではデビン・ブッカーと、ティンバーウルブズではアンソニー・エドワーズと、キャブスではダリアス・ガーランドとコンビを組みました。エースの個人能力を生かし、暴走させることなくチームプレーへと繋げるのがルビオの仕事でした。

しかし、エースとチームが成長してプレーオフでの戦いを見据えるようになると、ルビオのシュート力とディフェンス力は弱みになります。そのため、より得点力が高くプレーオフでの経験を持ったポイントガードとトレードされるのもルビオの定番にもなっていきました。必要とされてチームに加わったにもかかわらず、そのチームが優勝を目指せる段階になると、マイク・コンリーやクリス・ポールなど自分よりも年上の選手に置き換えられることが、ルビオの心を蝕んでいったのかもしれません。

ユーロバスケットやワールドカップなどの国際大会において、見事なまでのゲームコントロールでスペインの黄金時代を作り上げたルビオは、間違いなく世界一の『ポイントガード』でした。しかし、NBAで求められるのは世界一の『バスケットボールプレイヤー』であること。より速く、より強く、個の能力で打開を求められる世界において、ルビオがトッププレイヤーとして認識されることは難しいものがありました。

NBAは世界最高のリーグではあるものの、ルビオがルビオらしいプレーをするには価値観の違いが大きすぎるのが現実です。NBAでのキャリアを終える宣言をしたものの、まだ33歳と引退するには早すぎます。今年のパリオリンピックを始めとした国際大会でルビオの健在ぶりが見られることに期待しましょう。