創部2年目ながら前回大会を2年生チームで挑んだ四日市メリノール学院は、1期生が最終学年を迎えた。エースの塚松奎太(3年)が8月に前十字靱帯を断裂する危機に面し、チームは岩瀬宙(3年)を中心に結束力を増した。中学時代から数えて6年間の集大成に位置付けるウインターカップ。初戦の相手は山梨3位の青洲。磨き上げたディフェンス力で念願の全国1勝を挙げ、新たな歴史を作る。
強がりではなく全員が「奎太の分も」という気持ちに
――前回大会は初戦の羽黒に1点差で泣きました。
岩瀬 前回大会は2年生チームで、逆に相手は3年生が夏のインターハイで負けた悔しさも含めて全部ぶつけてきました。延長で負けて、相手の意地や、自分たちの足らないところがたくさんあると感じました。1、2年生だけでやってきたので、新チームになって周りの方々の支えで自分たちはやってこられたと、恩返しの気持ちも強く持ってやってきました。
塚松 他校は3年生がいる中で負けられない気持ちでした。自分たちは上級生がいない分、失うものがないのでアグレッシブに試合に臨みましたが、自分が大事な場面でフリースローを2本落としてしまい、勝利を逃してしまった。大会が終わっても悔やみました。
――塚松選手は8月に大きなケガを負いました。
塚松 8月の終わり頃、練習試合で前十字靱帯を断裂してしまいました。チームに迷惑はかけるし、最後の大会に出られないので落ち込みました。今まで支えてくれた人たちが言葉をかけてくださり、自分がへこんでいても何も始まらない、何かチームにプラスになるようアドバイスしようという気持ちを持ちました。ウインターカップまでにできるところまでリハビリして、最後のコートに立とうという気持ちです。
――岩瀬選手はどのように受け止めましたか。
岩瀬 塚松はエースとして今まで頑張ってくれていましたし、一番大きな存在でした。聞いた時に悲しい気持ちになるかと思ったんですけど、自分が代わりにエースにならないといけないと思いました。他のチームメート、特に3年生も次の日ぐらいには全員が強がりではなく「俺がやる、奎太の分も頑張ろう」という気持ちになったので、その後のチーム作りは助けられました。
塚松 みんなに落ち込まれても、どうしたらいいのかと考えてしまうので、すごく楽しいし、良い仲間を持ったと思いました。
岩瀬 ただ、その後のブロックリーグ1戦目の桜丘戦が全然良くなかったです。奎太がいないデメリットが全部出ました。特に自分のパフォーマンスが悪く、エースにならないとという気持ち強すぎてよくなかったのかなと思います。
――塚松選手はどう見ていましたか。
塚松 「自分がここにおったら」という状況があったり、試合が進むにつれて点数が離れた時に「何で俺、こんなケガしとんのやろ」と思ったりしました。その時はみんなの士気も下がっていましたが、その後の浜松開誠館戦や浜松学院戦は立て直して、「みんなならやってくれる」と思っていました。
――チームが「勝って塚松君をコートに立たせよう」と目標設定したと聞いて、どのような気持ちになりましたか。
塚松 診断を受けた後に言葉を頂きました。その言葉を聞くまでは「自分がおらんかったらどうしよう、俺はどうなんのやろ」と思っていましたが、先生から言葉をもらって、自分自身も何かできることがあると思えました。ケガをした次の日から、みんなのことを考えながらポジティブになれました。みんなならやってくれると思い続けた結果、勝ってくれた。ウインターの切符をつかんだ時は、本当にうれしくて涙が止まらなかったです。
――現在の膝の状況は。
塚松 少しダッシュができるかなって感じです。もし試合に出たら、どういうポジション、シチュエーションでも打てるように、ある程度のところからシュートを打って決められるようにしたいです。
――対戦カードが発表された感想を。
岩瀬 山梨の3位と聞いてみんなちょっと喜んでいた部分はありましたが、自分は日本航空と青洲さんの試合を見ていて、第3クォーターまで競っていたし、3位だからといって弱い相手ではないと思いました。留学生はいないけど、同じ日本人だけのチームとして負けられないです。
「自分たちがやってきたことは間違っていない」
――福岡大学附属大濠の鈴木凰雅選手は負けたくないチームにメリノールを挙げていました。
塚松 凰雅は四日市メリノール学院中でチームメートでした。凰雅がいる大濠と、去年負けた羽黒を目標にしてきました。凰雅は今まで切磋琢磨してきた仲間なので、負けたくないです。羽黒さんは去年、延長までもつれた相手で、お互いに勝ち上がれて(3回戦で)当たったら今度は倒したいと思っています。
岩瀬 凰雅がいるし、小さい時からいろんな大会を見てきて、大濠をかっこいいチームだと思っていたので、リスペクトもあります。
――勝敗ももちろん大事ですが、これまでのプロセスも大切だと思います。どんな思いで3年間を過ごしてきましたか。
塚松 自分は将来の通過点として、エースとして勝たせて、チームを有名にしようと3年間思ってきました。勝たせることに関しては四日市メリノール学院中の頃から思っていたけど、なかなか達成できなかったです。すごく悔しくて、この冬に結果を出して引退したかったです。ケガをしたので、チームを勝たせるのはみんなに託して、みんなに勝ってもらいたいと気持ちをシフトしました。
岩瀬 今まで勝たせてもらったので、託された分も含めて、奎太のためにという思いは心にあります。
――四日市メリノール学院は男女、中学高校の4カテゴリーで全国に行くチームです。様々なコーチがいる環境は強みになっていますか。
岩瀬 山﨑修先生にも稲垣愛コーチにもお世話になっています。愛コーチは中学1年時にバスケットを教わっていました。中学2年になったタイミングで山﨑先生に来ていただいて、いろんな先生に支えてもらいました。中学3年で大輝先生がアシスタントコーチで来られて、年齢が近いというのもありますし、いろんな年代の先生と関わってきたので良い経験ができました。
――3年間ではなく、6年間の集大成となります。
岩瀬 中学校の時からずっと目の前の一日を必死に頑張ってきました。先のことを考える余裕もなかったですが、高校生になってから短期間の目標や、最終的な目標を自分なりに設定して、頭を使って取り組むことができるようになりました。
塚松 チームが発足した1年目は部員が10人くらいで今は48人ぐらいです。自分たちを褒めるわけじゃないけど、1期生として築いてきたモノを後輩が受け継いでくれました。全国優勝して、部員も増えたので、自分たちがやってきたことは間違っていなかったのかなと思います。環境面では自分たちのために、新しい体育館を作ってくれてすごく感謝しています。学校に恩返しをするつもりで一生懸命にプレーすることが、自分たちにとって幸せになると頑張ってきました。
岩瀬 何もないところから、愛コーチをはじめ、いろんな環境を作っていただいて今日までやってこれました。今まで全国で1勝ができていないので、まずは1勝。最後に奎太をコートに立たせて、良い形で終わりたいです。
塚松 コートに立てない分、何かできることはないかを考えてベンチから声を出します。今まで支えてきてもらった人たちにプレーは見せられませんが、みんなが点差をつけて自分が出る機会をもらえた時には感謝の気持ちを持って、楽しんでプレーしようと思っています。