岡田優介が語るバスケ部時代vol.2「進学先の候補校にはすべて自分で足を運び視察、日本一になるために土浦日大を選択」

2017/02/09
Bリーグ&国内
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文=松原貴実 写真=野口岳彦

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 岡田優介(おかだ・ゆうすけ)
1984年9月17日生まれ、東京都出身のシューティングガード。プロ選手でありながら公認会計士試験に合格し、会計士としての活動も行いつつ、3×3の「DIME.EXE」に選手兼オーナーとして参画したり、日本バスケットボール選手会を立ち上げるなどマルチな活動を行う。本業の選手としてはBリーグ1年目を京都で迎え、クラッチシューターの実力を発揮、すぐにチームの中心となった。

ガッチガチに疲れても寝て復活、体力が無限だった中学時代

僕の中学時代の生活がどんなものだったかというと、まずバスケット部の朝練に行って、授業の後は普通に部活、それが終わって家で夕飯を食べてあとは区の体育館に行って大人に交じって草バスケをして、夜21時すぎに帰ってきて、それから町内を10キロぐらい走ってました。もうガッチガチに疲れますよ。なのに一晩寝ればすっかり元気になってるんです。朝から活力がみなぎってるんですね。だから次の日も自分を追い込む。で、またガッチガチに疲れて眠って、起きれば復活! その繰り返しでした。今振り返っても、あの頃の自分の体力は無限だったと思います(笑)。

ウチの中学のバスケ部はそれほど強くないと言いましたが、僕たちの代に区大会で優勝してます。新宿区にはスポーツに力を入れている私立校もありますから、その中で優勝できたことは誇れることだと思っています。個人としては東京都選抜のメンバーに選ばれてジュニアオールスターで3位になったことも思い出の一つです。

東京都選抜はAとBと2チームあって、僕はBチームだったんですが、最初は40人ぐらい呼ばれて合宿を通して徐々に絞られていくんです。周りはミニバスからやっている選手ばかりでみんなうまかったけど、気後れすることはありませんでした。負ける気はしなかったですね。

自分は小学生の頃から大人と一緒にバスケットをやっていたし、中学1年から常に1つ上の学年と試合をしてきましたから、知らないうちに鍛えられていたものがあったのかもしれません。Aの方には佐々(宜央、日本代表アシスタントコーチ)が選ばれていたんですが、AとBの絡みがなかったので、正直あまり記憶には残っていないんですよ。次に会った時は大学生になってからで、こっちは選手(青山学院大)、あっちは学生コーチ(東海大)として顔を合わせて「ああ、あの時の……」って感じでしたね。

高校進学についてはすべて自分で決めました。当時は180cmぐらいあってシュートを得意としていたので、東京の強豪校からはたくさん声をかけてもらいました。声をかけてもらった高校の練習は必ず見学に行ったし、ウインターカップの観戦にも行っていたので、その戦いぶりと照らし合わせて「どこに行ったら自分はもっとステップアップできるのか」と、自分なりに考えていました。

先生の手の内で上手にコントロールされながら育つ

京北、国学院久我山、世田谷学園、八王子……。それぞれみんないいチームでしたが、その頃に日本一を狙える強さはありませんでした。僕は高校でバスケットを続ける以上日本一になりたかったんです。そんな時、「関東大会で優勝した土浦日大もいいチームだよ」という話を聞いて、早速見に行くことにしました。そうしたら練習がものすごくハードで「ここなら日本一になれるかもしれない」と思ったんです。あと、夜は落ち着いて勉強したかったので、寮が新しくできたばかりで個室だったのも決め手になりました。

ただ親には猛反対されました。なぜわざわざ東京を離れて茨城の高校に行くのかとさんざん言われました。成績は学年で5番目ぐらいで、評点も(5段階中)4.5はあったので、進学校に行ってほしいという気持ちもあったみたいです。「せっかく早稲田に住んでいるんだから、高校も早稲田に行けばいいじゃないか」とも言われました。

でも、自分の気持ちは変わりませんでした。進学校とか高校のランクとかには全然興味はなくて、勉強なんか自分でいくらでもできるし、これまでだってそうやって勉強してきたのだから、どこに行っても同じだと思っていました。それより自分にとって大事だったのはバスケット、バスケットで日本一になることでした。土浦日大に行こうと決めた瞬間から迷いは一切なかったです。

土浦日大のバスケット部は当時1学年15人ほどで、部員数は50人弱ぐらいだったと思います。持ち味は田舎臭い、泥臭いバスケット。統率が取れていて、不器用だけどみんなが同じ方向を向いて一本の道をまっすぐ進むようなチームでした。

チームスポーツなので自分だけ良ければいいというのではなく、誰かがミスすれば「後輩の指導ができていない」と先輩たちが怒られたり、連帯責任ということで仲間が怒られたりしました。つまり、自分じゃないところでも怒られるんですね。まあ理不尽って言えば理不尽なんでしょうけど、その時は納得できたんです。チームという大きな括りの中に自分がいて、チームはみんなで創っていくんだという思いがあって、この先生についていけば間違いないと誰もが信じていました。

あれは監督である佐藤(豊)先生の手腕ですね。僕たちはいい意味で先生にコントロールされていたわけです。怒られるときはめちゃくちゃ怒られるんですが、その数日後「今日は良かったぞ」と褒められる。するとワァッと気持ちが上がるんですね。一度落として、また上げる。そのことで前よりやる気が出てプレーの質も上がっていくんです。あのころの僕らは佐藤先生の手の内にいたんだなあと思います。手の内で上手にコントロールされながら育ててもらったような気がします。

大会前には必ず雷が落ちて、大会近くになると「おまえ、いいぞ、それだよ、それ」と褒められる。褒められたことで集中力が増してチーム力そのものがアップする。全国大会の常連校や強豪校の先生はみんなそういった手腕に長けているんじゃないでしょうか。もちろん日ごろの技術面での指導も大きいですが、選手一人ひとりの性格や特徴を把握してそれに合わせて叱ったり褒めたりしながらチーム全体を統率していくというか、そういう先生が率いるチームは強いはずです。

バスケット・グラフィティ/岡田優介
vol.1「友達とのバスケだけでは物足りなくて、夜間開放の体育館で大人と一緒に草バスケ」
vol.2「進学先の候補校にはすべて自分で足を運び視察、日本一になるために土浦日大を選択」
vol.3「地元開催のインターハイ、能代工を相手に『完全ホーム』に後押しされる喜びを知る」
vol.4「プロ選手になって10年、あの時に頑張っていた自分が今の自分につながっている」