田口成浩が語るバスケ部時代vol.1「憧れの選手は……巨人の仁志敏久選手!」

2016/05/09
Bリーグ&国内
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文=鈴木健一郎 写真=野口岳彦、秋田ノーザンハピネッツ

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 田口成浩(たぐち・しげひろ)
1990年3月25日生まれ、秋田県出身のシューティングガード。精度の高いシュートが武器で、2015-16シーズンのbjリーグではフリースロー成功率90.1%で3位にランクインした。ガードらしからぬダイナミックなプレーで試合を盛り上げる若武者だ。

泥臭いプレーがカッコいい、と思うところが僕にはある

僕がバスケを本格的に始めたのは高校に入ってからです。2人の姉がバスケをやっていて、僕がまだ小さかった頃に姉の大会を見に行ったりしていたので、バスケは身近なスポーツではありました。中学の時にも体力作りのために遊び程度でバスケをやっていて、当時からバスケの楽しさは分かっていたつもりです。

ただ、中学生の頃は背が低くて小太りだったんです。中学を卒業する時期にスッと身長が伸びたので、バスケをやってみようかと。それまでは野球部だったんです。野球一筋、バスケは遊びでプレーすることはあっても二の次で、プロ野球選手が夢でした(笑)。

親がそうだったので、僕もジャイアンツファンでした。今となっては東北には楽天イーグルスができたので、楽天を応援するようになりましたが、昔はテレビで毎日中継されるのは巨人の試合でしたから。世代的には松井秀喜選手に憧れましたね。

一番好きだったのは仁志敏久選手です。セカンドで打球に飛び付くダイナミックなプレーが大好きで、いつも見ていました。1番が清水(隆行)、2番が仁志という時代の巨人がすごく好きなんです。これは冗談じゃなく、仁志選手のハッスルプレーが今のバスケットボール選手としての自分のスタイルのベースになったと思っています。

泥臭いプレーがカッコいい、と思うところが僕にはあって、逆にクールなことができないんですよ。野球ならユニフォームを真っ黒にする、バスケだと汗でコートを汚す、みたいな。

バスケットボール選手としての僕は、思い切りのいい3ポイントシュートを得意としています。ただ、クールではなくてワーッと盛り上げていくタイプ。ルーズボールとかリバウンドとか、小さなところでハッスルプレーをしてゲームを盛り上げていくのが僕のスタイルです。

中学生までは野球少年だった田口。かつて巨人でプレーした仁志敏久選手の、打球に飛び付くダイナミックなプレーが大好きだった。

野球部で挫折、高校入学からバスケ部に──

子供の頃は本当に野球少年でした。小太りで身長も低くて。いつもふざけてばかりで勉強もせず、遊びほうけていました。野球は大好きでしたが、決して上手くはなかったです。足も遅くて。中学時代の最後の大会もほとんど試合には出ていなくて、サードコーチをやっていました。

だから、僕は中学卒業時点で挫折しているんです。バスケに切り替えたのは、一つは身長が伸びたからですけど、それこそ野球で結果を出せなかったから。あまり試合にも出れないし、野球で上のレベルを目指せるという自信がなかったんでしょうね。

野球への未練は、少しはあったと思います。でも、バスケをやると決めた以上、僕は決めたことをやり遂げるタイプなので。まあ、野球を嫌いになったわけではないです。今でも高校野球の県大会には一人でタオルを頭に巻いて観戦しに行きます。今年から千葉ロッテに入団した成田翔くんは秋田商業出身なんですが、彼の試合も見に行っていました。

2015-16シーズンのbjリーグでは積極果敢なプレーでオフェンスを引っ張り、秋田ノーザンハピネッツのプレーオフ進出に大きく貢献した。

バスケット・グラフィティ/田口成浩
vol.1「憧れの選手は……巨人の仁志敏久選手!」
vol.2「結果を出して相手を黙らせてきた」
vol.3「ここに来るまで近道なんて一切なかった」