佐古賢一

文=鈴木健一郎 写真=前田俊太郎

東京オリンピックが日本バスケットボール界にとって重要なマイルストーンであることは言うまでもない。協会の体制が一新され、Bリーグがスタートし、日本代表の強化方針が明確に定まった。この数年の改革の多くが「2020年」を将来のバスケットボール界発展のための一里塚として捉えて行われたものだ。

現役時代に日本最高のポイントガードとして『Mr.バスケットボール』と呼ばれた佐古賢一は、引退後に指導者に転身。フリオ・ラマス体制でアシスタントコーチを務めるとともにアンダーカテゴリーの育成にも着手している。Bリーグができて多くの人に興味を持ってもらえるのはいいが、コート上で見せるバスケットの質が上がらなければ本末転倒となる。東京オリンピックを翌年に控えた今、危機感と責任感を持って職務に邁進する佐古に話を聞いた。

「日本代表というものを常に意識していた」

──まずは日本代表の仕事を始めることになった経緯について教えてください。2016-17シーズンをもって広島ドラゴンフライズのヘッドコーチを退任し、代表アシスタントコーチになりました。新しい役割を引き受けるにあたって葛藤などあったのではないかと思います。

もともと私は広島に3年間お手伝いができればと思っていて、あそこでB1に勝ち上がっていれば「もう1年」という気持ちはありました。広島の方々には本当に良くしてもらったのですが、そのまま4年目、5年目を続けると自分のためにならないと決断しました。横浜に家族を残していたし、とりあえず一度は帰らなければならない、という気持ちもありました。

(技術委員会の)東野智弥委員長が私が退任するとの噂を聞いて、そこから協会が動いたようです。ただ、初めてオファーをいただいた時には広島で私の留任を願う署名活動が行われていて、その段階では「返事ができない」と回答しました。

──東野委員長とは北陸高校の同級生で、そこからの長い付き合いですね。

そうです。だから広島をやめてすぐ代表に行ったタイミングから「出来レースじゃないのか」と見る人もいたと思いますが、私としては横浜に帰ることがまず先でした。それに、さかのぼれば2年前から協会からのオファーは断り続けていたんです。一番最初に声を掛けてくれたのが川淵三郎さんです。

広島でB1昇格争いをしていた時期、熊本での試合に東野委員長がひょっこり現れたことがありました。その時には「スペイン語ができるコーチを探している」と聞いていました。だから「まさか自分が」という感じでした。私はスペイン語どころか英語も堪能ではないので、代表のアシスタントコーチをやるイメージはその時点ではなかったです。

──イメージはできなくても、代表での仕事に魅力を感じていましたか?

代表の仕事に魅力を感じていたかどうかは分かりませんが、日本代表というものを常に意識していたのは事実です。今回は2020年の東京オリンピックに挑戦できる環境でもあり、どういった形であれそこにフォーカスして全力でやりたいと感じました。

佐古賢一

「チーム内の関係を縦ではなく横にできた」

──クラブチームと代表チームでは同じコーチでも仕事に大きな違いがあると思います。実際に佐古さんが体験された中で、最も大きな違いはどんなものでしたか?

クラブでは1シーズンに60試合を戦いますが、ルーティーンにしてリズムができれば、普段はあまり波が立ちません。しかし代表は一点集中型で、一つの目標のために合宿を準備していきます。集まったらすぐに100%のテンションでやらなければいけない起伏があり、自分の生活リズムはガタガタになりますね。活動日数が短い分、少し余裕を持って仕事ができるんじゃないかと簡単に考えていた部分がありますが、そこの部分は予想外でした。

代表の活動期間でなくても、私たちスタッフはリーグでプレーする選手の結果や体調をデータ化してヘッドコーチに送ります。試合を見て回って選手たちと会話して、ラマスやエルマン(マンドーレ/アシスタントコーチ)からのメッセージを伝えます。代表の仕事は常に多いんです。

──昨年9月から始まったワールドカップ予選は、4連敗という苦しい立ち上がりとなりました。すべて接戦を演じた末の力負けで、佐古さんもかなり苦しい思いをしたと思います。

ご想像の通り、あの4試合の間は私にとっても苦しい時期でした。ラマスには言葉の壁があります。結果が出ないとコミュニケーションにその影響が出てきます。あの時点でスタッフも含めて日本代表はパフォーマンスにしろメディカルにしろトップの人が集まった、プロ意識の強い集団でしたが、それだけに「自分の役割はこれ」という意識が強すぎて、縦の仕組みはできていたけど横に変換することがなかなかできず、それが4連敗の要因だったと今となっては思います。

チームは選手を中心に、我々スタッフが横の関係を伝えていくことでメンタルの強さが出てきます。最初の4連敗の時期、スタッフからは選手にこう言っている、でも選手たちはこう言っている、という狭間に立ちました。でも、そこにいたからこそ、チームの内情が安定しなければ勝てない、そのためにどうするべきかが自分の中で整理できたんです。

トーナメントと同じで一つも負けられない試合が続く中で4連敗してしまった。その後、(八村)塁や(渡邊)雄太が参戦する、ニック(ファジーカス)に日本国籍が認められたなどの朗報が続きましたが、それとは別に4連敗という現実を前にして、チーム内の関係を縦ではなく横にできたことが4連敗とその後の大きな違いだと思います。

佐古賢一

「レブロンが来れば日本は金メダルを取れるのか」

──選手スタッフを含めた関係性が縦から横になり、「チームになった」ということですか?

それだけでは済まないですね。「代表チームが家族になった」という表現が近いです。4連敗の時もチームでした。プロ意識の高い選手とスタッフが集まってそれぞれの役割を全うするという意味ではできていました。でも、そこでプラスアルファの化学反応を起こすための何かが必要で、それは今のチームが家族になったと表現するのが適切だと思います。

──勝てるようになった今も、「渡邊と八村が来たから」、「ニックがいれば点が取れる」と見る人もいるでしょう。ただ、Bリーグ組のレベルアップ、全体の底上げも欠かせない要素だと思います。佐古さんはそこをどう見ていますか?

今の日本代表を語る際に「彼らがいれば」という言葉が付いてくるのは覚悟の上です。でも、じゃあレブロン・ジェームズが来れば日本代表は金メダルを取れるのか、となったら分からない。誰かの存在にいろんな人間が触発されるのが化学反応であって、比江島(慎)が急にブリスベンに行くと言いだしたのは化学反応の結果です。それは「日本代表を背負っていく」という彼の意思表示だと思うし、今度はそれに触発されて馬場(雄大)がアメリカに挑戦するかもしれない。塁と雄太が来たのは始まりにすぎなくて、それで言えば彼らが見据えているのは2020年だけじゃなくてその先の日本のバスケでもあります。

それもひっくるめて、誰かがいるから強いということは、やっている選手たちは誰も感じていません。塁や雄太も「自分たちがいるから強い」とは言わないし、心の中にもそれはないと思います。家族になったチームの中で化学反応が起きていることが大事なんです。

よく言われるのは(竹内)譲次で、塁や雄太の存在に触発されているのは間違いないです。ベテランと呼ばれる譲次があそこまで変わるのはすごい影響です。でも、一番はアンダーカテゴリーの選手で、彼らからすれば塁や雄太はあこがれの存在で、NBAへの距離は縮まっています。