県立那覇は4年連続6回目のウインターカップ出場。外部コーチとしてチームを率いる屋嘉謙呉は、「ステップバイステップ」というバスケ専門店を立ち上げて、沖縄のバスケットボールの普及、バスケットボール文化の熟成に大きな役割を果たし、さらには琉球ゴールデンキングスの設立にも尽力している。 県立那覇の前に、まずは『沖縄のバスケットボール』についての話を聞いた。
沖縄は、まず「バスケットを楽しむ」ことが最初に来ます
──屋嘉監督とバスケットボールの最初の接点は何でしたか?
沖縄生まれの私が最初にバスケットボールで感動したのは、実は米軍放送のNBAなんです。NHK-BSでの放送が始まるずっと前から、米軍基地から流れて来る電波にチャンネルを合わせてNBAを見ていました。「なんてカッコいいんだろう」というのが感想ですね。
私が高校生の時に辺土名高校の『辺土名旋風』がありました。1978年の山形インターハイで、一番大きい選手でも170cmというチームがあれよあれよと勝ち上がって3位になったんです。月刊バスケットボールを読んで、この沖縄県からそこまで行くのかと驚き、感激しましたね。
その後もいろいろな活躍があって、この島では高校も中学もミニの大会でも、父兄の皆さんを始め体育館が超満員になるという状況がずっとあったんです。私はデザイン関係のことが好きで、ユニフォームとかを沖縄に持ってこれたらいいという夢があって、それが実現したのが「ステップバイステップ」という店です。
──バスケットボール専門店の「ステップバイステップ」には32年の歴史があって、沖縄のバスケットの変遷をずっと見てこられたのだと思います。
普通、バスケットボールは学校で教えてもらうものだと思いますが、沖縄では先ほど言った米軍の放送で見られるNBAやNCAAが私たちの教科書になるわけです。だから沖縄は、まず「バスケットを楽しむ」ことが最初に来ます。沖縄のバスケは、個人のスキルを含めてトリッキーだとか素早いとか言われますが、そういうベースがあるからだと思います。
それで私たちはスキルが伸びているのでオフェンスは大好きだけど、ディフェンスはやらないというような見方もされてきました。やる側も見る側も、楽しいバスケットであることが第一だ、という考え方ですね。
だから全国の大学に行って組織的なバスケットへの順応に苦しむ選手の話はよく聞きました。そんな中で沖縄の高校が全国で結果を出してきたのは、指導者がうまく沖縄の子たちの能力を伸ばしてあげられたからだと思います。それは私たちの誇りでもありました。
観客の目が選手を育てる、それが沖縄のレベルを高めてきた
──その沖縄のバスケ文化の一つの象徴が琉球ゴールデンキングスです。
それが今から10年前、今の木村達郎GMが中心となり、bjリーグに沖縄のチームを作るきっかけを与えてくれました。東京から来た彼らと沖縄の我々が一緒に協力して、しっかりとやった結果が今のキングスの盛り上がりかと思います。
沖縄には、みんなで一体になって良いものを作る「チャンプル文化」があります。沖縄の人は自分たちとは違うものを受け入れ、それを一つに融合しながらやっていくのが得意です。それは県民性の力だと感じています。
──日本各地で沖縄のようにバスケ熱が盛り上がればいいと思いますが、秘訣は何でしょう。
郷土愛、地元愛でしょうね。県外では何年連続でずっと出場しているという高校がありますが、失礼な言い方になるかもしれませんが地元の選手がほとんどいない場合、そこに地元愛は生まれるのかと思います。ただ、その地元でバスケットが盛んになる要因の一つとして、強豪校の存在は確実にあります。島根さんができた時には松江工業があった。秋田にはもちろん能代工があります。地元の人たちが誇りに思えるような高校は一つの可能性です。
沖縄の場合は小さい島だけど先生方が熱心で、有力選手も散っているので、どこが勝つか予想がつかない。見る側からするとレベルの高さよりも、バスケットを楽しむ、とか応援する、という風土になっています。それが今のキングスにも移行できたと思います。だから私たちは国体を沖縄のライバルと一緒にできる大会ということで、特別な目で見ます。
──これからどういう形で沖縄のバスケットボールが発展していけばいいと思いますか?
観客の目が選手を育てます。多くの人の前でプレーすることが選手のモチベーションの高さになる。それが沖縄のレベルを高めてきたのだと思います。ただ、今はYoutubeも含めてどこでも映像が見れるようになって、今までは沖縄の子たちしかできなかったスキルが、全国の身長の高い選手もどんどんできるようになって、体格の差がより出てきたと感じています。
逆にうれしいのはNBAを見ていても、センターが生きる時代じゃなく、ガードやフォワードがどう生きるかという時代になってきているので、そこに『バスケットの島』である沖縄の子たちが勉強する切り口があり、可能性があるんじゃないかと感じています。