10-0のランで意地を見せた第4クォーター「情けないプレーはできない」

12月29日、ウインターカップ決勝で福岡第一は開志国際と対戦。開志国際のバシール・ファイサル・モハメッドに終始インサイドを支配され、リバウンドが思うように取り切れずお家芸の堅守速攻が出せない苦しい展開に。第2クォーターには連続で3ポイントシュートを許し、2桁のビハインドを背負った。その後は一時1桁点差まで迫る粘りを見せたものの、リバウンドで上回られたことに加えてシュートタッチが復調せず、71-88で敗れ3年ぶりの優勝を成し遂げることはできなかった。

試合後、チームを率いた井手口孝コーチは「オフェンスもディフェンスも開志国際さんが2枚も3枚も上回っていたと思います。子どもたちは必死に頑張ってくれたんですけど、日ごろ入っているシュートがあまりにも入らなくて、すべてが狂ってしまいました。午前中の練習ではいつも通り良い感じだと思ったんですけどね。バスケットの難しさでしょうか……」と唇をかんだ。

井手口コーチが振り返るように福岡第一がチーム全体で84本放ったフィールドゴールは27本成功(32.1%)に留まってしまい得点が伸び悩んだ。また、エースガードの轟琉維もチームハイの21得点を挙げたもののフィールドゴール成功率は30.0%とシュートタッチに苦しんだ。「自分の中で考えこみ過ぎた感じです。自分らしくないというか、いつものシュートができずに入らなくなってチームに迷惑をかけてしまいました」

チームの中心である轟は厳しいチェックを受ける中でもタフショットを打ち続け、3ポイントシュートは11本、2ポイントシュートは19本放って最後までリングを狙い続ける姿勢を崩さなかった。「(リードを許す時間は)チームの勢いが下がっていたけど、そこで自分が下がるわけにはいかないです。自分はもっと強気でめげずに打ち続けようと決めていました」

ビハインドを背負う展開が続いた福岡第一だったが、第4クォーターには轟のスティールからのファストブレイクとディープスリーを含む10-0のランに成功。8点差まで迫り、会場も大いに沸いたシーンをこのように振り返った。「周りの応援で自分もやってやろうという気持ちになりましたし、応援があるからこそ自分がやらないといけない。見てくれている方々がいるので、情けないプレーはできないと思っていました」

悔しさ胸に東海大へ、そしてBリーグで河村との対戦を誓う

轟は高校3年間、背番号8番を背負ってプレーしてきた。この8番はウインターカップ連覇を達成し、今や日本を代表するポイントガードにまで成長した、先輩の河村勇輝がつけていた番号だ。「この3年間、勇輝さんを超える気持ちでこの8番を背負いました。超えることができず終えてしまいましたけど、8番を背負ったことで気持ちの面でもプレーの面でも成長できました」

そして、あこがれの先輩と同じ番号を付けた高校生活で学んだことを次のように明かす。「ディフェンスが全くできなくて、1年生の頃から井手口先生に注意されてきました。この3年間で少しはできるようになったんじゃないかと思います」。轟が自信を持つように、福岡第一の伝統とも言える堅守速攻を支えるスティールは大会トップタイの12本をマークして、3年間で学んだ堅守の神髄を見せつけた。

今後の轟は多くのBリーガーを輩出し、河村も在学した東海大へ進学する。さらなるステップアップのために必要なことについて、河村の存在を出しながら次のように話した。「小さいので3ポイントシュートをもっともっと磨いていきます。ディフェンスでは勇輝さんがやっているようなスティールや粘り強いディフェンスができるようになって、プロや日本代表を目指していきたいです。もし、勇輝さんとマッチアップできたら一本でもスティールできれば良いなと思います」

そして、最後に自身と河村との距離を尋ねられると、自信を持ってこう答えた。

「少しは近づけたと思います」