山本綱義

京都精華学園は昨年、ナイジェリアからの留学生イゾジェ・ウチェが2年生、代表でも活躍する堀内桜花と八木悠香が1年生の下級生チームでウインターカップ決勝へと進出。そのメンバーが引き続き主力を務める今年は、夏のインターハイで初の全国制覇を果たし、ウインターカップでも優勝候補として注目を集める。そんなチームで、教頭、校長、今は理事長と多くの職責をこなしながら中高一貫の京都精華学園の女子バスケ部の舵取りを48年に渡り一手に担う山本綱義コーチに話を聞いた。

「子供たちと接することを怠ったら教育者ではない」

──京都精華学園の理事長で、校長で、そしてバスケ部の指導者です。これまでの経歴を教えてください。

京都精華学園に奉職したのは52年前です。私は定時制高校を5年かけて卒業して、20歳で同志社大学に入学したのですが、その際に高校の教頭先生から「京都精華の事務職員として働かないか」と誘われました。最初は『京都製菓』というお菓子屋さんかと思ったんですけど(笑)、大学に通いながら事務職員として勤務し、卒業と同時に教員になりました。高校時代にバスケをやっていたことから、最初はたった5人のバスケ部を教えることになり、それから48年間バスケットボールの指導をしています。

校長になったのが27年前、理事長になったのが26年前です。その前の36歳の時に教頭になる話があったのですが、その時に私は「バスケ部を見れないならお断りします」と言ったんです。そこで認めてもらえたのでバスケの指導を続けることになりました。43歳で校長になる時も理事会で同じ話になり、「バスケ部を見れないならお断りします」と。翌年に理事長に名前が変わっても、バスケの指導はずっと続けています。

──校長となれば教員とはやる仕事がかなり変わりますし、理事長になれば経営者で、大変ですよね?

大変ですけど、一番キツかったのは校長会長を10年務める中で、全国の私学の連合会副会長もやっていた時ですね。会合や文科省との交渉で月に2回ぐらいは東京に行き、朝に出て会議をして、いろんな誘いを全部断ってすぐに帰って、17時半から1時間だけでも練習を見る。基本的に体育館に行かない日はありません。女子はほぼ毎日見て指導するのが大事で、必ず戻って練習を見るという形を48年間ずっと続けてきました。

その前から全国大会には出ていましたが、8年ほど前に校長会長を降りたことで、ようやく本格的にバスケの指導ができるようになり、それから全国ベスト8、ベスト4、決勝まで行けるようになりました。

──役職が上がることで、バスケの指導者を辞めてもおかしくなかったと思います。そこまでバスケにこだわる情熱はどこから来ているのでしょうか? シンプルにバスケが好きだからですか?

「どれだけバスケが好きなのか」と言われるんですが、そうじゃないんですよ。こんなに激しくて辛いスポーツですから、やりたくない気持ちです(笑)。ただ、教頭でも校長でも子供たちと接することを怠ったら教育者ではないと私は思っています。だけど校長が担任を持つ、授業をあちこち持つわけにはいきません。公務を調整しながら生徒と接点を持てるのはクラブ活動なので、バスケを指導することで教育者としての役割を果たそうと思っています。

山本綱義

「舞台に立つ子たちでアドリブを利かせて上手く切り抜けなさい」

──学校教育の中でのバスケの指導ということで、教育と勝つことのバランスはどう考えますか?

勝負の世界ですから勝つこと、私学ですから学校の名前を上げることを意識するのは決して悪いことではないと思います。ただ、バスケを手段として子供たちを育てるのが目的であって、勝つためや学校の名前を上げるために子供たちを手段として用いてはならないというのが私の考えです。

勝ちたい、もっと力を付けたいという子供たちの思いを手伝う中で、勝ち負けにこだわりすぎると目的を見失う可能性があります。私ものめり込むタイプなので、常にそう自分を戒めながらやっているつもりです。結果として勝てるチームになってきて、今年はインターハイで優勝できましたが、祝賀会では「子供たちの持っている能力を信じて後ろからついていったら、こんな素晴らしいプレゼントをくれた」と話しました。これが本心です。

──「勝負の世界ですから勝つことは大事」です。勝つためにどんな指導をしていますか?

試合に勝つには練習がすべてだと思っているので、練習では一日たりとも気を抜かない。いい加減な練習をしたら5秒10秒でも、試合の大事なところで緩みが出ます。だから私は毎日練習を見るようにしますし、練習は2時間ぐらいしかやりません。集中していなかったら意味がないので、平日は長くても2時間半、土日でも3時間か4時間です。

また、試合でタイムアウトをほとんど取りません。取るのはよほどの時です。演劇ではすごく厳しい練習をしますが、いざ舞台が始まったら監督は演技する役者を見るだけです。役者がセリフを間違えても「おいおいおい」と監督が舞台に出て行くわけにはいきません。私はバスケも同じだと思っていて、ミスは極力しないように、でもセリフを間違えたら舞台に立つ子たちでアドリブを利かせて上手く切り抜けなさい、お前たちに任せるよ、と考えています。だから苦しくても簡単にはタイムアウトを取りません。

──そうなると、ここぞの場面で取るタイムアウトの意味も大きくなりますね。

普段は取らないタイムアウトを取るのは「これはもうダメだ」と思った時なので、選手たちはその時点で感じますよね。でも、その時も私はああしろこうしろとは言わず、「ここでどうする?」と選手に問い掛けます。全国優勝されたある指導者にタイムアウトの指示について質問したところ、「何も言わない。選手がどのようにするかを聞いて、選手がこうしますと言ったら、基本、選手の考えを尊重して後押しするだけ。それで全国優勝した」と教えていただいて、私も試合での指示はほとんどしなくなりました。その分まで普段の練習から教えるような指導をしています。

山本綱義

「優勝するまで泣かないと誓っていたんですが、この前の優勝では泣けなかった」

──京都精華が強くなった秘訣はどこにありますか?

やはり中高一貫ですね。中学校は今から15年前に全中で初めて全国3位に入りました。その当時は高校が全国大会にやっと出場できるといったチームだったのですが、その全中3位に入ったメンバーが全員残ってくれたのを機に、高校も全国で勝てるチームになってきました。

そうする中で学んだことは、中学と高校で指導者が違うとバスケットも異なります。同じ指導者が見てくれるなら、本人はもちろん保護者も安心して任せてくれる部分が大きいので、私は中学も高校も両方見ています。そうやっているのでウチは中学と高校の仲が良くて、高校生が中学生を指導したり悩みを聞いたり、中学生は高校生を目標にして、教えてもらったり励ましてもらったり。お互いに頑張る相乗効果が出ます。もちろん大変ですし、私は72歳ですから正直、引きたいと思うこともありますが、今は必死に頑張っています。

以前から「優勝したら辞める」と言っています。デンソーに行った高橋未来選手の代が負けた時に私はボロボロ泣いてしまって、それからは優勝するまで泣かないと誓っていたんですが、この前の優勝では泣けなかったんですよ。ですから「泣ける優勝ができるまで」と自分をごまかしています。