『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。
1994年2月1日生まれ、千葉県出身。重心が低く俊敏なドリブルとメリハリのあるパスで多彩なオフェンスを演出するポイントガード。アンダー世代の全カテゴリで国際大会を経験し、リオ五輪イヤーに日本代表候補にも選ばれた。JX-ENEOSサンフラワーズではルーキーながら吉田亜沙美のバックアップとして活躍している。
比較的早いうちに基礎をしっかり身に着けたのが良かった
私にとって幸運だったのは、たまたま入った中山MBCが本当に強いチームだったことです。恩師の方が本当にすごい人で、先輩にも活躍している選手がたくさんいます。リュウさん(吉田亜沙美)も中山MBCの出身ですから。
中山MBCには高校生になっても通っていました。中学の時と同じで、学校の部活が終わるとそのまま行くんです。ミニバスの子たちに自分たちが教える代わりに、その恩師の方が教えてくれて。18時半までは小さい子たちにバスケを教えながら一緒にやって、そこからはリングを高くして、中学生と自分たちがやる、でみたいな形で。
ミニバス時代からドリブル練習がすごく多くて、ボールハンドリングはそこで全部身に着けました。それがなかったら今の自分はないです。本当に基礎の部分なんですけど、ミニバスでしっかりと基礎を作ったので、中学や高校でもそこに積み重ねて技術を付けられた、という実感があります。
中学校に上がって分かったんですが、ドリブルのトップスピードからジャンプショットをできない子って結構いるんです。でも、中山MBCの子たちはそういう練習ばかりずっとやってきているので。基礎がないと技術は身に着かないです。私は比較的早いうちに基礎をしっかり身に着けたのが良かったです。
自分たちで考えながらチームを作ってやっていきたかった
当時の私は、強豪校をあえて避けて進学していたところがあります。「勝つのが当たり前の常勝チームではつまらない」みたいに考えていました。今だったら「そこで学ぶことはたくさんある」と思うんですが、あの頃は「自分がチームを強くしたい」とか「この仲間と一緒にやっていきたい」という気持ちが強くて。
全中ベスト8、インターハイでベスト16まで行けたので、選んだ道は間違ってなかったんじゃないかと(笑)。それで自分も成長できました。キャプテンとしてもそうだし、ポイントガードとしても色々なことができるようになりました。
強豪校であればちゃんとした監督がいて、その指示の下でやっていればいいと思うんです。何も考えずにやっていても、ある程度のところまでは行けます。でも、あまり伝統のないチームだと、すべてが自分次第。サボればそのままだし、やればやるだけ自分の力になる。それだけ自分で考えてバスケをやることになる、と考えていました。
やらされるバスケじゃなくて、自分たちで考えながらチームを作ってやっていきたかった。そこで私はキャプテンとして、ポイントガードとして、考えるバスケをしてきたつもりです。
練習ばかりやっていたわけじゃなくて、楽しいこともいっぱいありました。一番楽しかったのは、高校の時の鬼ごっこですね。昼休みになると女バスでガチな鬼ごっこをやるんです。お昼ごはんを食べ終わったらすぐに集まって、じゃんけんして鬼を決めて。超楽しいんです。あれが一番の思い出かもしれない(笑)。受験シーズンだと3年生の校舎はピリピリしているので、そこだけは避けて。そうすると範囲が狭まって、これがまた楽しいんです(笑)。
バスケット・グラフィティ/藤岡麻菜美
vol.1「バスケのために、声なんか一切出さず淡々とプレーしていた自分を変えた」
vol.2「常勝チームを避けての進学、選んだ道は間違っていなかった」
vol.3「ちょっと頑張ったらクリアできる目標では、それなりの努力しかしない」
vol.4「東京オリンピックではメインのポイントガードとしてコートに立ちたい」