2021年のウインターカップ男子は、福岡大学附属大濠の優勝で幕を閉じた。先発の5人のうち3人が下級生、ポテンシャルはあるが大舞台での経験が心もとないチームを引っ張ったのは岩下准平だった。高いシュート力を持ち、試合状況と相手の守り方に応じてそれを最大限に生かす術を心得ている彼のオフェンス力が、1回戦から決勝まで難敵揃いのトーナメントを勝ち抜く原動力となった。しかし、前年には膝の前十字靭帯断裂の大ケガでプレーできず、ウインターカップは観客席から見守るしかなかった。そこから復活しての日本一は、支える人たち抜きでは到底なし得なかったと考える岩下は、「この気持ちをずっと忘れることなく大事にして、次のステージでも頑張っていきます」と語る。
「一番のプレーは決勝で最後に決めた3ポイントシュート」
──ウインターカップ優勝おめでとうございます。勝って高校バスケを終えた今の感想はどんなものですか。
うれしいです。本当にその一言に尽きます。チーム一丸で戦って勝つことができた、その喜びが大きいです。
──明成との準決勝で38得点、決勝の帝京長岡戦ではロースコアの接戦で価値ある13得点と、岩下選手の活躍が勝利のカギとなりました。大会を通じて、自分のベストパフォーマンス、これが会心のプレーだというものはありますか?
明成戦のようにたくさん点を取っていくのも大事ですけど、やっぱり自分の中で一番は決勝戦の第4クォーター終盤、あの展開で逆転の3ポイントシュートを決めたことだと思います。個人的には、対戦相手になるであろう相手の試合はすべてチェックして、自分なりにどう攻略するかを考えて、準備してすべての試合に臨んだつもりです。その中で片峯聡太監督からは「空いたら行け」と常に背中を押していただいていたので、いつも思い切ってプレーできたと思います。明成戦では特にシュートタッチが良かったし、川島(悠翔)とのピック&ロールも生きていたので、思い切り良くプレーできました。
──ウインターカップ開幕の時点で、この結末は予想できていましたか? 自信はどれぐらいありましたか?
福岡第一に県予選で負けたことで、不安な部分も正直ありました。第一に負けてからウインターカップまでにディフェンスを強化して、そのおかげでウインターカップでゾーンプレスが上手く当たったんだと思います。これは片峯監督の指導の下で、僕たち選手も頑張ったと思うし、特にプレスの間合いを詰める強度は上がったと思います。その点で成長に繋がったという自信もありました。
──インターハイで負けた中部第一にはウインターカップでリベンジできましたが、最大のライバルである福岡第一は準決勝で敗れて、決勝での『福岡対決』とはなりませんでした。福岡第一とやりたい気持ちはありましたか?
はい。福岡第一とは正直、決勝でやりたかったです。県予選で負けたリベンジをしたいという気持ちでした。でも僕らは良いライバル関係というか、意識はしていますが仲は良くて、連絡も結構取り合っています。準決勝の日の夜にも、中学でチームメートだった早田流星からは「勝ってくれ」という連絡をもらいました。早田選手だけでなく他の選手からも激励のメッセージをいただきました。
「僕自身が先輩から、コート上での戦う姿勢を見せてもらっていた」
──夏にはU19ワールドカップに出場して、帰国して隔離期間空けのぶっつけ本番でインターハイでした。まだあの時は膝のケガの影響もあったはずで、そこからウインターカップまでどのように調子を上げていきましたか。
日本代表の活動に参加させていただき、チームに戻ってすぐに片峯監督が背中を押してくれて、途中からですがインターハイに出ることができました。ウインターカップまではスタートに下級生が3人いることもあって、日々の練習からコミュニケーションの量を増やして、チーム一丸で戦うことを心掛けました。特に僕たちは3年生が7人いて、ここでぶつかることも多く悩むこともあったのですが、下級生がやりやすい環境を作るためにもしっかりと向き合ったつもりです。ウインターカップで優勝できたのはチーム一丸で戦うことができたからだし、そう考えると大変だったけど向き合って良かったです。
──岩下選手も1年生からウインターカップでベンチスタートながら出場機会をもらって活躍しました。下級生を精神的に引っ張る意味で、その経験は役に立ちましたか?
そう思います。僕自身が「打ち続けろ」と励ましてもらったし、コート上での戦う姿勢を先輩たちに見せてもらっていました。自分が3年生になって、そのことをしっかり意識することで、下級生がやりやすい環境を作ったつもりです。
──「日本一になって高校バスケを終えたい」というのは、3年生のバスケ選手すべてが思い描くことだと思います。それを達成した今、すべてが想像した通りなのか、ちょっとイメージと違う部分があるのか、どんな感じですか?
膝の大ケガで1年間を棒に振っているので、3年間を通して考えると想像していたものとは全然違うんですけど、最後に勝って終わることができたのはやっぱり一番なので、『終わり良ければすべて良し』といった感じです(笑)。膝のケガはやはり僕にとって大きな出来事で、去年はベスト16に終わって東京体育館のメインコートに行くこともできず、僕は応援席から見ていることしかできずに、苦しかったし悔しかったし、先輩たちに申し訳ない気持ちもありました。今回2年ぶりに東京体育館のコートでプレーできて、支えてくれた多くの人たちに感謝しかないし、さらに優勝という夢のような結果で、最高の形で2021年を締めくくることができました。様々な方への感謝の気持ちがありますし、優勝という結果で恩返しできて本当に良かったです。
「世界に通じる選手になることを目標に頑張ります」
──大濠で過ごした3年間で、プレーヤーとして、また人間としてどんな部分で成長できたと思いますか?
すべての面ですね。この3年間の活動を通じてたくさんの出会いがあり、コーチ、スタッフ、プレーヤーなどたくさんの方々に自分を成長させてもらいました。この感謝の気持ちはどう言葉にすればいいのか分からないんですけど、とにかくすごく実感しています。
──ここからは次のステージが始まります。これからバスケ選手として、どんなキャリアを築いていきたいですか?
大学に進学するので、そこで結果を出してBリーグの選手になりたいです。Bリーグで活躍して海外にチャレンジできるような選手になりたいです。クリス・ポールやじゅンチッチ……。
──そこで噛みますか(笑)。岩下准チッチ!
すいません、ルカ・ドンチッチです(笑)。クリス・ポールやドンチッチのように得点も取れてアシストもできるガードにあこがれるので、これからも一生懸命バスケに取り組んで少しでも近づけるように。世界に通じる選手になることを目標に頑張ります。
──それでは最後に、支えてくれた人たち、応援してくれた人たちへのメッセージをお願いします。
まず、強豪校に行きたいという僕の願いをかなえるために西福岡中学校の学区に引っ越して、高校も大濠に行かせてくれて、ずっとサポートしてくれた親には感謝しかありません。高校でケガをして、それを乗り越えてチーム一丸で戦った結果として日本一になって、このような有終の美を飾ることができて、チームを支えてくれた人たちには感謝の気持ちしかありません。この気持ちをずっと忘れることなく大事にして、次のステージでも頑張っていきます。これからも大濠トロージャンズと岩下准平の応援をよろしくお願いします。