写真=WATCH&C

「今まで自分を奮い立たせていた、気力がなくなった」

bjリーグ初年度から活躍を続けた青木康平が現役引退を表明した。

昨シーズン限りでライジング福岡との契約が満了となった青木康平は、先月になってB2の島根スサノオマジックへの入団が決まったものの、Bリーグのコートに立つことがないまま、今日の現役引退発表となった。

本人が寄せたメッセージを原文ママで掲載する。


この度、私、青木康平は現役を引退する決意をしました。

まずは、このような形での報告になってしまったことをそして、島根スサノオマジックとの契約を発表した後にこの様な結果になってしまった事を、チーム関係者、スポンサー様、そして何よりブースターの皆様の期待を裏切ってしまったこと、自分勝手な決断により本当にたくさんの方々にご迷惑をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます。

この11年間チームが勝つ為、チームを良くする為、自分が上達する為に、自分なりに最大の努力をしてきました。目指していた優勝には届きませんでしたが、本当にたくさんの素晴らしい経験をさせてもらいました。

これまで自分がやってきたことに、一切の後悔はありません。

ただ、これからも今までと同じような努力が出来るかと、考えた時に、もう同じような努力はできないと感じました。今まで自分を奮い立たせていた、気力がなくなったことを心がついていけないことに気がつきました。

もう選手として先を見ることができないのが現状です。これが自分の引退の理由です。

11年前bjリーグが開幕し、東京アパッチで僕のキャリアはスタートしました。東京アパッチで6シーズン、素晴らしいHCのもと、個性溢れるチームメイト達と共に戦うことができて、本当に素晴らしい経験をさせてもらい、この東京での過ごした日々が僕のプロの基盤を作ってくれました。

東京アパッチでの活動は震災により停止し、7年目に大阪エヴェッサに移籍しました。3連覇をした実力のあるチームでプレイできたこと、素晴らしいチームメイトに恵まれ、本当にみんなが支え合う素晴らしいチームでした。1年という短い在籍でしたが、2年3年もいたような、内容の濃いシーズンでした。本当に心からまたあのチーム・あのチームメイト達とやりたいと思えるチームでした。

次の年、新規参入をした東京サンレーヴスに移籍しました。東京アパッチが無くなってから、また東京にプロチームをと、様々な方々の思いが形になって出来たチーム。プロのキャリアが始まった土地、東京で恩返しがしたいと思いプレーをし、みんなで頑張りましたが、プロの世界は甘くないと痛感させられた1シーズンでした。

その次の年、地元で引退したいという気持ちを胸にライジング福岡に移籍しました。地元への恩返し、地元のチームを盛り上げたい、という想いを胸に優勝はできませんでしたが、自分なりに駆け抜けた3シーズンでした。

地元の家族や恩師、友達、先輩や後輩が本当にたくさんの知人が応援に駆けつけてくれて本当に充実したシーズンでした。バスケットボールというスポーツに出会えて、皆さんとの縁をつないでくれ、僕の人生を豊かになりました。

このスポーツに出会えたことに感謝しています。

この11年間を振り返ると、どのチームにも素晴らしいチームメイトがいて、コーチングスタッフやスポンサー様、そして最高のブースターさんがいてみんな同じ目標で、共に戦い、泣き、笑い、血の繋がりのない人たちと、家族と呼べる関係になったり、そういった仲間、家族と呼べる皆様に出会い、

「縁」

それこそがこの僕の11年間のキャリアの財産です。

今、日本のバスケ界は大きく変わろうとしています。日本女子代表が、リオオリンピックで大活躍したり、男子は今年、Bリーグが始まり新たな道が開かれました。これからは僕も今までの経験を活かして、何らかの形でこのバスケット界に貢献したいと思っていす。

最後になりますが、本当にいろいろな方々の支え、サポートなくしては、この11年間のキャリアはありえませんでした。全ての関わってくれた方々に、本当に感謝の気持ちで一杯です。

今まで、この11年間本当にありがとうございました。

青木康平