道原紀晃

「兵庫県が、地元神戸が好き。それがストークスで10年プレーしている理由です」

『ノリ』こと道原紀晃は2012年、当時は創設2シーズン目でフランチャイズ名を兵庫と名乗っていた頃のストークスでプロバスケ選手としての第一歩を記した。それから10シーズン、一度もストークスのユニフォームを脱ぐことなくキャリアを重ねてきた。とはいえ、これまでに移籍に気持ちが傾いたことがなかったわけではない。

「正直に言うと、家族ができてから少しは考えたこともありました。それでも奥さんが『自分が一番やりたいと思うチームでやるのがいい』と言ってくれたんです。それに背中を押されたことも少なくない要因ですね」

家族の言葉はもちろんだが、彼がストークスに居続けるもう一つの大きな要素は、深い地元愛だ。

「やはり、地元愛がすごく大きいですね。育った兵庫県にバスケットでなにか力を与えたいと思って、僕はプレーしています。スクールに行った時に言うんですけど、小さい頃からバスケットを楽しんでやって、必死になって練習していけばプロ選手にもなれる。僕がそうです。そのことを子供たちに伝えたいと思っています。同じことをいろんな場所でやるのもいいと思いますが、僕は兵庫県が、地元神戸が好き。それがストークスで10シーズンもプレーしている理由です」

そんな道原にバスケットボールを始めたきっかけを問うと、その記憶は曖昧だ。なぜなら、物心がついた時にはすでにボールを手にしていたのだという。

「ボールを触ったのは3、4歳の頃からと母親から伝えられていますが、ちゃんと習い始めたのは小学校1年生から。それからバスケを続けて、高校に進むタイミングで科学技術高からお誘いをいただきました。兵庫県でもトップレベルだと思っていた高校から声をかけられたのはうれしかったのですが、行くのはすごく怖かったんです。試合に出たかったので補欠は嫌だったし。だけどそこで勝負しないと、小さい頃から夢見ていたプロバスケットボール選手になれないと思ったんです。自分と向き合って、勝負しようと思って科学技術高に進みました」

小中学校は有名校ではなく、いわゆる普通の部活。そこから兵庫県でバスケ強豪校と知られる高校に進み、キャプテンまで務めた。

「強い学校だったので、正直に言うとツラい練習もありました。でもそれ以上にキャプテンとして、みんなをまとめることにプレッシャーを感じていました。試合に負けると自分個人の悔しい気持ちだけではなく、チーム全体の責任も背負ってしまって……。そこで挫折というか、気持ち的に続かない時もありました。それを乗り越えられたのは、やはりチームメートの存在です。シンプルなんですけど、『一緒に最後まで頑張ろう』とチームのみんなが言ってくれて、しんどい時期を乗り越えられたんです」

高校卒業を前にして進学ではなく就職して、バスケは遊びで続けようかと考えた時期もあった。しかし大阪商業大から誘いの声がかかったことで、競技を続けることを決意。そして関西学生リーグで点取り屋と名を馳せていた大学4年次に、地元の兵庫県にストークスが誕生した。

「チームには中学、高校の頃から知っていて友達だった谷(直樹)さん、松崎(賢人)さんがいて、もう引退されましたけど中村(大輔)さんもいました。皆さんとは高校でも何度か試合をして、谷さんは関西の大学だったのでよく試合をしていました。地元にチームができて、そこに入団しているみんなを見ていて、うらやましい思いがありましたね。僕もプロになってやろうという気持ちになりました」

進むべき道は決まった。ストークスが2シーズン目を迎えるにあたってトライアウトに合格し、幼い頃から夢見たプロバスケットボール選手として第一歩を記した。デビューシーズンから、ルーキーらしからぬ強気なプレーでチームのJBL2優勝に貢献し、新人王にも選出された。それでもレベルが上がったステージに進んだチームは苦戦し、NBLでの3シーズンは低迷。2016年に立ち上がったBリーグではB2からのスタートとなった。

「あのシーズンは、勢いがありましたね。僕はコーチにも恵まれましたし、チーム内で競争する気持ちも、今までの倍以上に感じていて良かった。最終的にチームはB2で優勝してB1に昇格、僕はプレーオフのMVPをいただきました。昔は観客もそれほど入っていなくて、それでもバスケットを盛り上げていこうと、チームもフロントも頑張っていた。振り返ると、まだまだ小さいリーグだったんだなという印象でした。それと比べると、こんなすごい場所にまで来られたんだなと、Bリーグ初年度で感じましたね」

道原紀晃

「これだけ同じチームでやっている選手は少ない、責任は大きい」

しかし、B1に昇格すると一転して18チーム中17チームに終わり、残留プレーオフでも敗れて、わずか1シーズンで降格の憂き目に遭う。「あれは今までで一番、逆の面で思い出に残っている1年でした。B1という壁はそんなに高くて分厚いのか。それを身体で感じた1年でした」

昨シーズンもB2西地区を制しながら、プレーオフで敗れて昇格できない悔しい思いを残した。「やはりトーナメントは厳しいと思いました。1シーズン通して積み上げて良いチームになって、絶対に優勝できる自信もあったんですけど……。2試合目で負けた時は悔しい気持ちもありましたけど、本当に頭の中が真っ白になりました。僕は西宮が絶対に一番良いチームだと思っていて、トーナメントになっても優勝できると思っていた。それができなくて、真っ白になった感じ。みんなも同じだと思うんですけど、何週間かはボーッと『終ったんやな』という感じが続いていましたね」

いつまでも下を向いてはいられない。気持ちを切り替え、ノリは再び顔を上げた。「クラブ全体で、なんとしてでもまた来シーズンに頑張ろうというミーティングがあって、そこで気持ちを切り替えました。その時に、来シーズンこそこのチームでB1に昇格したい気持ちがあらためて芽生えたんです。毎年言っていますが、昇格はマスト。僕は今シーズンで10年目になりますが、これだけ同じチームでやっている選手は少ないでしょうし、責任は大きいと思っています」

B2優勝、B1昇格に再チャレンジするシーズンが、間もなく幕を開ける。ノリの胸中には高ぶりと同時に、わずかばかりの憂いが潜んでいる。「プレッシャーと楽しみは正直、どちらもありますね。毎年は楽しみが勝っていましたが、昨シーズンにああいう形で負けたので、今はプレッシャーも少しは感じています。バスケットはチームスポーツなので、チームでなんとかするのはもちろんですが、自分の力で昇格に持っていきたい。昇格への自信は満々です。プレッシャーもありますが、その中でも絶対に自信は持っていないといけないと思っていますから」

愛する地元の人たちを笑顔にするために、果たすべきことは、ただ一つ。それを叶えるため、ノリはストークスで10年目のシーズンに挑む。