田口成浩は3年前のオフ、悩みに悩んだ末に秋田ノーザンハピネッツを離れ、千葉ジェッツへと移籍した。B2に降格したチームをB1へと復帰させたものの、地元出身の『チームの顔』である自分が移籍していいものだろうか、と葛藤しながらも、プレーヤーとして上を目指すために決断を下した。新しい環境に馴染むのに苦労しながらも、田口は強豪チームで『らしさ』を発揮して、天皇杯とリーグ優勝を経験。そして今オフに秋田に戻ることを決めた。彼自身は良いことも悪いことも経験して選手として一回り大きく成長し、そして秋田は彼の心配をよそに、田口抜きでもハードワークで格上からも警戒されるチームへとレベルアップした。「秋田にはシゲが必要だ」との前田顕蔵ヘッドコーチの言葉が、田口の新たなモチベーションになっている。
「苦しいシーズンでしたが、優勝したことで救われました」
──3年ぶりに秋田に戻ることになりました。今回も移籍の決断は簡単ではなかったと思います。
やっぱり悩みましたし、いろいろ考えました。そんな中で一番の決め手になったのは顕蔵さんの愛情、情熱でした。移籍発表のコメントにも書かせてもらったんですけど、顕蔵さんがシーズンオフになると必ず「まだ来ないの?」と声を掛けてくれていました。
千葉に3年間いて、良いことも悪いこともたくさん経験させてもらって、今シーズンは個人的な成績が不甲斐なくてチームに迷惑をかけてしまったんですけど、一番の目標だった優勝で締めくくることができました。優勝できたことが自分の中では本当に大きくて、そこで顕蔵さんに「秋田にはシゲが必要だ」と言ってもらった言葉が決め手になって、移籍を決めました。
──プロ選手としてより大きなチャレンジをするために移籍した千葉での3シーズンを、どう振り返りますか?
優勝したい、オリンピックに出たいとの目標を掲げて移籍したのですが、こっちに来て最初に挫折がありました。まず試合に出れない、開幕3試合目で出場時間がゼロになって、自分がフォーカスしていた試合に出続けることがいきなり途切れる悔しさを味わいました。自分の実力のなさ、信頼のなさを思い知らされるところからのスタートでしたが、それでも「乗り越えてやる」という気持ちで頑張ったつもりです。慣れるまでに時間はかかりましたが、シーズン最後のファイナルでは自分なりに貢献できたという手応えも得ることができました。
1年目でチームでの役割、自分が何をしなければいけないのかが明確に身体に染み付き、2年目はスタートで全試合出ることができました。シーズン途中で中止になったので、最後までやりたかったですね。チームも上向いてきたところで、自分たちも結構行けるんじゃないかと思っていた時の中止だったので。その時はショックでしたが、コロナでみんな同じ思いをしていたので仕方ないですよね。それでも個人的にはすごく充実したシーズンでした。
──3年目のシーズンは優勝したものの、先ほどは「不甲斐ない」という言葉がありました。
個人的なスタッツも含めてやっぱり納得できないし、自分の強みが結果に表れないのは初めての経験でした。申し訳なさ、情けなさの中で試行錯誤していろんなことを試しながら、チャレンジしてダメでまた次にチャレンジして。ベースとなるディフェンスの向上など多くの面で成長していたとは思うのですが、プレータイムがないのがすべてなので。
すごく辛かったですが、自分の調子が上がらない中でも優勝だけは絶対に成し遂げると心に決めていて、やっぱりコート上の5人だけが良ければ勝てるものではないですし、チームへの声掛けも盛り上げも全力でやりました。試合に出られない時の気持ちの保ち方、どういう姿勢でいなきゃいけないのか、そういう部分を意識してやれたのは、今後のバスケット人生において財産になると思います。苦しいシーズンでしたが、それでも優勝したことで救われました。
「自分の感情のまま、田口成浩を常に出したい」
──1年目は千葉のスタイルを学んで順応するのに苦しみ、2年目は持ち味を発揮することができました。しかし、さらにその上を目指す3年目で不振に陥ってしまった、プレータイムを失ってしまった理由はどこにあったんでしょうか。
ペリメーターで外国籍選手が入って、そもそもライバルが増えたことがあって、今まで以上にシュートの確率を上げなきゃいけないと気負いすぎました。メンタルがやられてしまって今までは決めていたシュートが入らない、打ち急ぐことでフォームが崩れてしまう、という悪循環です。「決める!」という気持ちは大事ですが、そこに意識が行きすぎてバスケットを楽しむ気持ちを失っていたかもしれないです。
──個人のパフォーマンスで苦しみながらも、ベンチで声を出してチームの雰囲気を上げていく姿がありました。自分のプレーが思うようにいかない中で、チームファーストの姿勢を貫くのはそう簡単ではないですよね。どんな意識でやっていましたか?
もう僕は若くないので、年下の選手たちに自分の姿勢を見せなきゃいけなかった、というのが一番ですね。長いシーズンでいつどういう状況になってもおかしくない、チームメートの中にもストレスを溜めている選手はいたと思いますが、そこで自分がフテ腐れてチームファーストができていなかったら、後輩たちはどう思うか。どんな状況であってもチームには貢献できる、その姿勢を見てもらいたいという意識は常にありました。
──3年ぶりに復帰する秋田では、年下の選手が多くなりますね。
千葉で3シーズンやって戻って来て、それで今回みたいなパフォーマンスだったら「何しに帰って来たんだ」って言われますよね。でも、どうなろうが自分はもう秋田のために命懸けで目の前のことを全力でやることしか考えていないです。スタッツはその後でついてくると思うので、とりあえずその姿を見てもらえればと思います。
──以前の秋田ではフル出場に近いぐらいプレーしていました。それぐらい全力で戦うのか、それともベテランとなって一歩引いて若い選手たちを支える役割にシフトしていくのか。田口選手のイメージとしてはどちらですか?
うーん、ありのままの自分でいられれば良いかなと思っています。何かを意識するというよりは、自分の感情のまま動ければ。あまり意識すると考えすぎになってしまうので、田口成浩を常に出したいと思っています。
「全力を尽くしてやる姿を見て、応援したいと思ってもらえるように」
──秋田ブースターの皆さんに、「帰って来たぞ」のメッセージをお願いします。
顕蔵さんの愛だったり、水野(勇気)社長がオファーしてくれたおかげで帰って来ることができたので、その中で自分は地元のために何ができるかということを常に考えて、全力を尽くしてやるだけだと思っているので、後はその姿を見て応援したいと思ってもらえるように自分はやるだけです。秋田ノーザンハピネッツをよろしくお願いしますということで、自分は頑張ります。
──田口選手が秋田を離れた2018年は、チームがB1に復帰したところでした。秋田はそこからB1で揉まれながら強くなって、チャンピオンシップ進出には手が届かないものの残留に汲々とするチームではなくなり、優勝争いをする強豪から見ても「油断できないぞ」と見られるチームになっています。千葉から古巣をどう見ていましたか?
実際その通りで、僕はもう秋田から出ているので「やってやるぞ」という気持ちでギアを上げて臨むんですけど、周りの選手たちも「秋田は強い」みたいな感じで言っていたので、本当に緊張感を持ちながらやっていたのは覚えています。A東京にも勝っていましたし、僕も見ていましたけど「すげえな」と思っていました。
──3年間の成長を秋田のファンに見せたいところだと思います。どんなプレーを見せたいのか、その意気込みを教えてください。
自分は本当にこのままだと思っていて、性格とかもそうですけど、ただプレーのところで千葉で経験させてもらった、状況を見て判断するところだったり、ここぞというところで決めるところを見てもらえればと思っています。根本は変わらないので、ここはちょっと違うぞとは言えないですけど、ディフェンスはちょっと良くなったんじゃないかなと思っていますので、そういったところを見てもらえればと思います。
──それでは最後に、新シーズンのチームと個人の目標をお願いします。
3シーズンぶりに秋田でプレーができるということは本当に楽しみでワクワクで何よりです。その中で顕蔵さんのあの思いを全国に響かせる、見せ付けてやれるようなチームにしたいと思っていますし、最後はトロフィーを顕蔵さんに掲げてもらいたいと思いますので、自分ができることを一生懸命頑張っていきますので応援してもらえるように頑張ります。おいさー!
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