取材・文=三上太 写真=足立雅史、Getty Images
PROFILE 内海知秀(うつみ・ともひで)
1958年12月7日生まれ、青森県出身。能代工、日本体育大を経て、日本鉱業で活躍。引退後の1988年に札幌大で指導者としてのキャリアをスタートさせた。2003年、JXでの手腕を評価され女子日本代表監督に就任し、アテネ五輪を戦う。JX-ENEOSを経て2012年に日本代表監督に復帰。4年がかりで強化したチームを率いてリオ五輪を戦い、ベスト8進出を果たした。

あれはあれで良かったと思っています

──そして最後のアメリカ戦。64-110で敗れましたが、このゲームをどう振り返りますか。

内海 やっぱりアメリカは強いですよ……強い。

──そのアメリカに対して真っ向から勝負しました。

内海 自分たちが今までやってきたバスケットを150%、いやそれ以上出さないと、アメリカと良い勝負をするのは難しい。それでも立ち向かわなければいけないし、そうしなければ、今まで積み重ねてきたことがゼロになってしまいます。せっかくここまで良いチームになってきただけに、それだけはしたくないと思って、ミーティングで「相手がアメリカだろうが何だろうがまず自分たちが積み重ねてきたことをしっかりとゲームに出さないとダメだ」と話しました。選手たちはそれを理解し、実行してくれました。それで前半が終わったところで46得点でしょう。1試合の目標が76得点以上のチームが、アメリカを相手に前半だけで46点も取れているわけだから、それはすごく評価をしてあげたい。それを最後まで継続できれば良かったんだけれど、残念ながら後半に離されてしまった。そこで第4ピリオドはゲームに出ていなかった選手たちも、これまでこの五輪に対して一生懸命やってきた選手たちだから、最後は五輪の舞台でアメリカと対戦する経験もさせてあげたいと思ったんです。その中には今後につながる選手もいますからね。あれはあれで良かったと思っています。

──勝利に向けての目の向け方はどれくらいあったんですか? 「アメリカを食ってやる」という気持ちがあったのか、「アメリカに対して良いゲームをしよう」という思いだったのか。

内海 正直に言えば、準々決勝の相手がアメリカと決まった段階で、アメリカとどれだけの良いゲームができるのかな、という思いが先でした。その上で第4ピリオドまで競り合う力があれば「よし、勝負だ」って思えたのかもしれません。しかし今の段階ではなかなかそこまでは……。これはあくまでも自分たちコーチ陣の気持ちであって、選手たちにはそういう話はしていませんけれどね。

4点差くらいで前半が終わっていたら……

──それでも第2ピリオドの終盤、2点差にまで迫りました。あそこでアメリカのスイッチが入りました。

内海 前半は日本も良いバスケットをしていました。試合前のミーティングでもトム(・ホーバス)が「相手を慌てさせれば、そこに付け入る隙はあるかもしれない」という話をしていたんです。それがあの2点差だったかもしれません。4点差くらいで前半が終わっていたら話は違ったかもしれないけど、10点差にされた時には「さすがなだな」と思いました。後半に入ったら厳しかったです。

──それは体力的な面で?

内海 そうですね。メンタルでは「やってやろう」っていう気持ちが残っていました。ただアメリカはインサイドもアウトサイドも両方抑えないといけないわけです。これは難しいですよ。ダイアナ(・タウラシ)なんて一流選手でしょう? かといって、アウトサイドを守るためにいろいろやるとインサイドをボロボロにやられてしまう。それで「まずはインサイドを抑えよう」としたんだけど、結局第3ピリオドからはスイッチが入ったようにアウトサイドのシュートの確率がボンッと上がったから。

──アメリカ戦のディフェンスは、インサイドを止めるのがベースだったんですか?

内海 インサイドを止めることと、ダイアナをフリーにさせちゃいかん、ということは言っていました。

──ダイアナを抑えたとしても、マヤ・ムーアもしっかり決めてきますしね。

内海 マヤ・ムーアも途中までは良い感じじゃなかったんです。だから、インサイドとマヤのどちらを抑えるかとなったときに「マヤを捨ててインサイドに寄れ」と言ったら、後半になってマヤが入り始めた。

──抑えづらいですね。

内海 彼女たちも決勝トーナメントに入ってくると、気持ちの入り方が違ってきますからね。

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