取材・文=三上太 写真=野口岳彦、Getty Images

激闘の日々を終えた『AKATSUKI FIVE』。ただ、帰国までの期間は治安を憂慮して選手村から出歩ることはほぼなかったという。唯一の村外脱出(?)はバスケット会場である「カリオカ・アリーナ」に出向き、男女を問わず他国のバスケットを観戦することだった。これもまた東京2020に向けた一歩と言っていい。連載の最後は内海知秀ヘッドコーチによる選手たちの寸評と、2020年の東京五輪、そして未来の女子バスケットに向けた提言を、2回に分けてお送りする。

PROFILE 内海知秀(うつみ・ともひで)
1958年12月7日生まれ、青森県出身。能代工、日本体育大を経て、日本鉱業で活躍。引退後の1988年に札幌大で指導者としてのキャリアをスタートさせた。2003年、JXでの手腕を評価され女子日本代表監督に就任し、アテネ五輪を戦う。JX-ENEOSを経て2012年に日本代表監督に復帰。4年がかりで強化したチームを率いてリオ五輪を戦い、ベスト8進出を果たした。

みんな使えるから選んだんです

──リオでの戦い方についてですが、アメリカは10人から12人で回していました。日本はほぼ8人ですよね。残りの長岡以下についてはどう考えていましたが?

内海 ベラルーシ戦の長岡は良かったですよ。長岡は栗原の交代として3番ポジションで、相手の大きい選手に対してのディフェンスやリバウンドで頑張ってくれました。「リバウンドとディフェンスを頑張ってくれ」と言って送り出したので、それについてはよくやってくれました。彼女自身どう思っているかは分かりませんが、得点を取れないからダメだというわけではありません。

──宮澤(夕貴)、王(新朝喜)、三好は出番が少なかったですけど、現状を考えるとそこまで出すのは難しかった?

内海 難しいというわけではないけど、例えば王を使うのは間宮も渡嘉敷もファウルが重なった時にそれをカバーしてもらう役割だと考えていました。彼女たちは状況に応じた役割を担ってもらう選手と考えていて、そのために選んだという部分もあるので。

──アメリカみたいに全員をある程度平均的に使うところまでは至っていない。

内海 そこまではいかないですよ。それにはまだまだ経験も実力も必要になります。

──日本として使えると感じたのは多くて9人くらいだと?

内海 そうではなく、みんな使えるから選んだんです。それは間違いありません。たださっきも言ったように、ローテーションで使う選手と状況に応じた役割を担ってもらう選手がいるわけです。時間シェアという観点だけなら、それはアメリカを除く、どこの国も同じだと思います。勝ちにいくためには仕方のないところでもあります。もちろん、たとえこのゲームは負けたとしても、スタメンの選手を休ませなければいけないとなれば、ローテーション以外の選手を出すかもしれないけど、世界大会でそういうゲームはなかなかありません。

──つまりはローテーション組と状況に応じた起用組という役割分担ですね。

内海 そう、役割分担です。

──改めて内海ヘッドコーチがチームの『核』とした4人について教えてください。

内海 吉田、渡嘉敷、間宮、高田です。彼女たちを中心に4年間チームを作ってきましたから。

――それ以外で挙げると、バックアップで目立ったのは町田でした。

内海 彼女は当初、ミスがかなり多かったんです。それが国際ゲームや海外遠征を通して吉田と20分ずつのタイムシェアで起用して、随分伸びてきました。今回のリオ五輪でもそれが自信につながったように思います。吉田が疲れた時に流れを加速できる選手で、チームの流れを変えてくれました。

──近藤も見事に2番のバックアップとして活躍しました。

内海 彼女の持ち味はシュート力です。安定性があるというか、途中から出しても好不調の波があまりないんです。だから出せば出しただけ自分の仕事をしてくれます。それが彼女の良いところでした。もう一つは相手のディフェンスを崩してシュートを打てるでしょう。ステップバックでのジャンプシュートなんて、まさにそれです。

吉田と渡嘉敷がいなければ、どうにもならなかった

──スタメンでは間宮が少し苦しんでいたように見えました。

内海 確かに中間距離のシュートが今までのように入っていなかったけど、ディフェンスでは頑張っていたと思います。世界を相手にディフェンスで頑張れば、コンタクトが多くなる分、体力が消耗し、いいシュートがなかなか打てません。アジアでのコンタクトと世界でのそれは全く異なりますから。彼女にはこれまでそうした経験をさせてきたわけですが、そういう意味で今回に関して言えば、中間距離のシュートさえ入っていれば彼女自身にもう少し余裕ができたかもしれません。それが決まらなかったことは、彼女自身も歯がゆいところがあったでしょう。

──そこは高田がうまくバックアップしていました。安定した仕事をしてくれました。

内海 そうですね。昨年からシックスマンとして、途中から試合に出ても良い働きをしてくれています。彼女の安定感は心強いところがありましたね。

──本川は大会の序盤こそ思い切ったドライブもなく、3ポイントシュートも決まりませんでした。

内海 途中までは自信が見えませんでしたね。ドライブをしても最後のシュートが外れていたし、ノーマークで3ポイントシュートを打っても、入らなかった。ただ大会が進むにつれてまたドライブができるようになって、得点も取れるようになってきたのは、良い吹っ切れ方をしたからでしょう。

──吉田と渡嘉敷はどうでしたか?

内海 いや、どうでしたかも、こうでしたかもないですよ(笑)。やはりあの2人がいなければ、どうにもならなかった。どちらが欠けても今回の結果にはつながらなかったと思いますし、あの2人がいたからこそ、この結果を得られたと思っています。

──吉田がここまで世界でやれるというのは驚きでしたか?

内海 いや、当然これくらいできる選手ですよ。膝のケガさえなければ、もう少し早い段階で今回のようなパフォーマンスを世界の舞台で見せられたと思います。もしかしたらWNBAのチームの目に留まっていたかもしれない。彼女はそれくらいのレベルの選手です。

内海知秀ヘッドコーチが振り返るリオ五輪vol.7
「2020年に向けて『若い選手の底上げ』は必須」