サイズとスキルを兼ね備え、東海大で2度のインカレ優勝を果たした西田優大は、日本代表候補にも選ばれているこの世代のトッププレーヤーだ。大学最後のシーズンを終えた西田が選んだチームは、新潟アルビレックスBB。世代交代を進めるチームであることを差し引いても、加入早々にスタメンで起用されて結果を残しているのは流石と言ったところ。プロキャリアをスタートさせたばかりの彼に、Bリーグでの抱負を語ってもらった。
「結果どうこうよりも過程が大事だと学べた大学生活」
──新潟に来て間もなく1カ月かと思います。雪には慣れていないのでは?
徳島でも福岡でも雪はほとんど降らないので、最初はめっちゃ興奮しました。積もっているところに顔を突っ込んで顔型を取ったりバカみたいな遊びをしていたんですけど、やっぱり大変です。移動で大変な思いをすることがやっぱり多いですね。でも新潟のご飯は本当に美味しいです。
──まずは東海大のラストシーズンを振り返りたいのですが、自分の代はコロナで大変な1年になってしまいました。
非常事態宣言が出て試合がなくなっちゃったところからのスタートでしたが、それでも陸さん(陸川章ヘッドコーチ)が「こういう中でも最善を尽くそう」とすごくポジティブで、僕は徳島に帰ったんですけど、コロナの感染者が少なかったので体育館も使うことができて、シューティングもできたし、再開に備えた準備はしっかりできました。メンタル的にはキツかったんですけど、一度そういう経験をしたことで「バスケができる喜び」を感じることが多くて、大学で練習ができるのもたくさんの人が動いてくれたおかげだし、文句を言うんじゃなくてバスケができることに感謝して、ひたすらに打ち込むべきだという考え方だったので、モチベーションは高いままやれたと思います。
その結果がインカレの優勝で、同期の津屋一球と木下碧人とは「やっぱり最後だし優勝したい」とずっと話し合っていました。どの大学よりも準備してきた自信があったし、それを信じてやった結果が優勝だったと思います。最後は優勝して終わることができたんですけど、そこまでには様々な過程があったので、結果どうこうよりも過程が大事だと学べた大学生活でした。
僕が2年の時にインカレで優勝して、そのメンバーがある程度残って3年目も行けると思っていたんですけど、リーグが6位でインカレはベスト8で終わってしまい、その時にタレントが揃っているだけじゃ上手く行かない、バスケットだけやってちゃダメなんだと感じました。それを経ての4年生で、4年が結束して最後の大会に対する思いを出して、バスケットに取り組む姿勢を見せるのが大事で、そこで傲慢な態度とかが見えちゃうと後輩もついてきません。そういう部分は学んだところですね。
──西田選手はそれほど声を出すタイプではなく、プレーで引っ張るタイプですよね。自分の中で変化は感じますか?
僕らは4年生が少なかったし、大事なところでコミュニケーションをより密に取ることは大事だと思っていました。ただがむしゃらに声を出すのではなく、要所要所での声掛けは意識してやるようになったと思います。
──大学4年間を振り返ると、悔しかったのはやっぱり3年生の結果ですか?
そうですね。ボールにほとんど触れられずシュートを打てない試合があったり、スタメンで出ているのに上手く行かない、自分に需要がないところがあって、自分はこれからどうすべきなのかと。そこで自分の得意なプレーをあらためて見直して、それをどうチームに生かすべきかと考えました。スタメンだった笹倉(怜寿)選手が抜けて僕がハンドラーとしてボールを持つ時間が増えたんですけど、そこでコロナ期間にスキルトレーニングをしっかりやった効果が出て、結果に繋がったと思います。
「新潟は最初からプロ契約を提示してくれた」
──去年は特別指定で名古屋ダイヤモンドドルフィンズに加入し、14試合に出場しました。どんな経験ができましたか?
プロに行く思いは持っていたので、現実的に行くにはどうしたらいいのかを考えるきっかけになりました。学生のうちにBリーグでプレーするチャンスはほとんどないし、プロの選手と練習試合をする機会もないので、一回経験する意味で行ったんですけど、そこでプレータイムをもらえたのはすごく良かったです。名古屋Dではシックスマンでしたが、今まではずっとスタメンだったので、ベンチから出てすぐ仕事をする難しさ、心拍とか下半身がまだプロのレベルじゃないと感じたので、この1年はラントレや下半身強化に取り組みました。
同じポジションに安藤周人さんや中東泰斗さんのようなすごい選手がいたので、試合に出れなくて落ち込むことはなくて、そういう選手から何を盗んで何をするか、そういうことをポジティブに考えることができました。
──今回は特別指定ではなく本契約で、新潟を選びました。どういう経緯で決めたのですか?
他のチームからも声は掛けていただいたんですけど、新人は年俸上限が決まっているのでオファーの内容は同じです。これからプロで自分の価値を高めていくには、しっかりプレータイムをもらって活躍できるところが良いと思いました。新潟は最初からプロ契約を提示してくれたし、すごく熱意のこもったメッセージもいただきました。若手が多くてやりやすいと思ったのもあります。
──東海大はインカレで優勝した後、たくさんの選手がBリーグに挑戦します。仲間とはどんな会話をしていますか?
大会が終わってからは、それぞれが自分の方向に向かって準備を始めていました。大会後すぐに練習に合流する選手もいたし、僕みたいに少し期間を置いた選手もいます。特に集まって話すわけじゃなく、「ライバルとして頑張ろうぜ」というコミュニケーションはなかったですけど、みんなそう思っていると思います。僕としては一球は同期だしポジションもある程度カブるので、良い仲間ではあるんですがこれからはライバルという意識があります。
──たくさんの選手が主に特別指定でBリーグに挑戦しますが、西田選手は日本代表のメンバーにも入っています。他の選手より活躍できるという自信はありますか?
傲慢な態度を取るつもりはありませんが、代表候補のメンバーに入れていただいて、恥をかくようなプレーはできないという思いはあります。代表の練習でプロの選手たちと一緒にやった経験はあるので、やれる自信は持っていないといけないと思います。
──新潟にはどんな役割をするイメージで入りましたか?
同じポジションのペリメーターの選手でピックを使う選手が少ないイメージがあって、そこで自分が入ったらどうするかはいろいろイメージしていました。外国籍選手も入れ替わりがあって、そういう意味でもバスケはまだこれから確立するところなので、自分も馴染むことができればチャンスはあると思っていました。
「小学生の時に見た圭さんと一緒にプレーしているのは不思議」
──実際、すぐにプレータイムをもらえて、先発でも起用されています。いきなりのチャンスに戸惑いはありませんでしたか?
チャンスはあると思っていたので準備はしていました。ただ、初めての試合で20分以上のプレータイムをもらって、次の試合ではミーティングが終わった時点で「今日スタメンで行くからな」と言われて、準備はできていたんですけど緊張しましたね。やたらと3ポイントシュートを打ったりせず、ちゃんとしたプレー選択をすることを意識しました。最初としては悪くないですが、もっと頑張らないといけないという気持ちです。
自分がクリエイトする機会が増えたので、アタックしてそこからパスをする技術が必要なんですけど、そこで結構ターンオーバーが目立っています。また外国籍選手がいるので簡単にシュートも打てないですし、そこの技術を磨かないといけないと思います。
──チームメートの先輩たちのプレーから良い刺激をもらうことはできていますか?
特に(五十嵐)圭さんはすごいですね。経験豊富なベテランで、アタックしていても常に周りが見えているので、自分も身に着けないといけないと思います。 圭さんのことは、僕が小学生の時に試合で見ていました。圭さんがいた日立とOSGが徳島で試合をした時に見に行って「すごい選手がいる」と思ったのを覚えています。その選手と一緒にプレーしているのはなんか不思議です。
──プロキャリアを本格的にスタートさせて、これからどんな選手になっていきたいですか?
3ポイントシュートが打ててクリエイトもできる選手。さらに言えば状況判断がしっかりできて、そこでミスをしない選手ですね。まずは新潟を勝たせられる選手になりたいですし、そうなれば自ずと日本代表だったりの道も目指すようになると思います。キャリア的にも長くプレーしたいので、身体のケアや食事の面も、プロとしてお金をもらっているので今まで以上に気を使ってやっていきたいです。
──高校時代からニックネームは『おでんくん』ですが、プロになって変えたい気持ちはありますか?
おでんくんで良いです。それで覚えてくれている人もたくさんいると思うので、これからもおでんくんで頑張ります(笑)。新潟でも僕のデビュー戦に合わせて会場でおでんを売り出したりしてて、それで結構浸透しているんだなって思いました(笑)。そこは愛嬌のあるキャラクターで、でもバスケをやっている時は鋭いドライブや3ポイントシュートに注目してもらえたらと思います。