自分のやり方で進化する21歳、赤川塁はイタリアでプロ選手に「自分だけのレーンを走らなきゃいけない」

自分のやり方で進化する21歳、赤川塁はイタリアでプロ選手に「自分だけのレーンを走らなきゃいけない」

2020/09/24
赤川塁

Bリーグ開幕が迫る9月下旬、今オフに契約が切れ、次のチャンスを探る15人ほどの選手が、コンディションを落とさないため、また新たな武器となるスキルを身に着けるために首都圏某所の体育館で早朝から汗だくになってプレーしていた。その中に、21歳の赤川塁の姿があった。東海大付属札幌を2018年春に卒業して白鴎大に進んだ彼は、紆余曲折あって11月からイタリアの3部リーグでプロ選手としてプレーすることが決まった。今はイタリア語の初歩を独学で学びつつ、プロ仕様の身体作りに励んでいる。大学バスケにわずか半年で見切りを付けた理由、その後の2年間の歩み、そしてイタリアでスタートさせるプロキャリアについて話を聞いた。

大学に入学してすぐ大ケガ「いろいろ勉強して考えた」

──まずはバスケを始めてから高校まで、どんな選手だったかを教えてください。

宮城県出身の赤川塁です。3歳上の兄がミニバスをやっていた影響で、幼稚園からボールを触っていました。中学では県選抜にも入っておらず、学校自体も初心者が結構多いチームで、最高成績は県のベスト8。個人で県の優秀選手になっています。

──それでサイズもあったのでウインターカップ常連校の東海大付属札幌から声が掛かったわけですね。高校時代はインサイドの選手としての印象が強いのですが、高校卒業後にポジションを上げたのですか?

高校まではパワーフォワードでした。中学に入った時はクラスで一番背が低いぐらいで、中3の1年間で30cmぐらい伸びたんです。もともと中学で強いチームにいたわけじゃないので、高校に入って最初は練習についていくこともできませんでした。親も札幌に来てくれて、バスケに集中できる環境を作ってもらい、常にバスケのことを考えて生活していました。でも、ひたすら走って怒られての毎日が続いて、ようやく試合に出られるようになったのが3年生の時です。誰がスタメンになるかの状況で、周りが練習していない時に練習したり、誰よりも早く体育館に行って練習していたのが認められて、それからはスタメンでインターハイにもウインターカップにも出させてもらいました。

──そこから白鴎大に入ったわけですから、キャリアとしては上々のように思えます。高校で全国大会に出て関東1部の大学に行き、このまま成長していけば、目指すプロにもなれたのでは?

それが、入学してすぐに差を見せ付けられました。どうせやるなら日本で一番レベルの高いリーグでやりたいと思っていたので白鴎大に入ったのですが、入学時点で188cmだった僕よりもっと身長のある選手はいるし、身体つきも大きくて。しかもアウトサイドのプレーもできる器用な選手ばかりでした。僕はドリブルもできない、シュートもない、ただインサイドをやってきたけど大学のレベルじゃサイズもないし細い、という不利な条件ばかりでした。しかも足首を大ケガしてしまい、抜けている間にいろいろ勉強して考えて、退学することを決めました。

──大学のキャリアには早々に見切りを付けた一方で、プロを目指すという意味ではあきらめていなかったわけですね。

そうですね。ケガをしたタイミングでアメリカのスキルトレーニングはどうやっているのかを勉強して興味を持ったのと、白鴎大にいてケガが治ってこのままやっていても、プロになれないどころかAチームでプレーするのも難しいと思うようになりました。白鴎大の主力で活躍していても、4年生でB1に行けるのは1人いるかいないか。ただでさえ遅れている僕が半年プレーできないケガをしてしまっては難しいです。しかも、僕の世代はすごい選手が多いので競争が激しいんです。それならもう辞めて、基礎から作り直して自分だけのレーンを走らなきゃいけないと思いました。

赤川塁

「大学に入った頃とはあらゆる意味で別人だと思います」

──プロを目指すといってもその舞台は様々です。もともとB1でプレーすることをゴールとして思い描いていたのですか?

高校3年生でプロを目指すと決めて大学選びをしていたのですが、その時はBリーグしか見ていませんでした。でも、ケガをしたタイミングでいろんなところから情報が入ってきて、アメリカの大学でプレーすることが目標になりました。

──それでも、入学から半年で「退学します」と言いだすわけですから、いろんな人に止められたのでは?

誰にも相談せずに自分で考えて決断したので、最初はすごく驚かれたし、今まで応援してくれた人や高校のチームメートからは「何やってんだよ」とか「まだ間に合うから戻れ」とか言われました。高校の監督にも「それは違うだろう」と言われたのですが、「もう決めました」と押し通して。最初はちょっとギスギスしたんですが、今どんなトレーニングをしているのか、どう考えているのかが監督の耳にも少しずつ入ったようで、気にかけてくれています。白鴎大の網野(友雄)さんは「自分が決めた道なら最後まで頑張れ」と押し出してくれました。その後、母校の応援で行ったウインターカップの会場とかでお会いする機会が何度かあるのですが、僕の現状確認をして応援してくれています。それはすごくありがたいです。

──大学を辞めたのが一昨年の秋。ケガが治ってバスケができるようになって、これまでどう過ごしてきましたか?

今は両親が東京に住んでいるので、そこに戻って練習場所を探すところからスタートしました。アメリカで学んだスキルトレーニングのコーチがいると聞いてコンタクトを取って練習させてもらい、そこからユタで活動しているスキルコーチを紹介してもらって、彼が来日したクリニックに参加しました。そこで誘われてアメリカへ行き、ディビジョン1の大学生の選手と一緒に1カ月間トレーニングをしました。

その時に感じたのが「僕でもできなくはないぞ」ということでした。そこでもいろんな人に話を聞いてもらって、アメリカの短大でプレーしながらディビジョン1を目指す話がまとまったのですが、新型コロナウイルスの影響でその短大が外国人は一切入学させなくなり、白紙に戻りました。それで日本に戻って『Shoehurry』で練習させてもらっています。この時点でもうBリーグは見ていなくて、海外でプレーしたいと考えていました。そこでエージェントが映像を送って売り込んでいく中で、イタリアのチームからプロ契約のオファーが届き、行くことに決めました。

──大学のバスケ部を辞めて、いわばプロスタイルの専門的なコーチの下で練習していますが、実際違いは感じますか?

大学に入った頃とはあらゆる意味で別人だと思います。入学時点では188cm63kg、ガリガリのビッグマンでした。ドリブルスキルも全然なくて、ボールをもらって自分からドライブに行くとほぼファンブルするぐらい(笑)。今は体重が80kgになって、まだもう少し筋肉を付けたいぐらいです。スキルもかなり上達した感覚があって、『Shoehurry』の練習ではシューティングガードとスモールフォワードでプレーさせてもらっています。身体の使い方やドリブルのつき方、プレーのチョイスだったり、2年半前には全くできなかったことができるようになっています。

赤川塁

コービーを見習い「だったら僕もできるところまでやろう」

──高校で全国大会出場、関東1部の大学に進学。バスケ選手としてはエリートコースで、上手く行かない予感がしても敷かれたレールから外れるのは勇気がいる選択で、普通はやらないと思います。赤川選手にそれができた理由は何でしょう?

正直、辞めると決めた時点では練習場所もコネクションもなくて、不安しかありませんでした。でも、高校の時に学んだのは自分で行動を起こさない限りチャンスは来ないことです。僕は2年生まで試合に出られず、誰よりも朝早く体育館に行くようになりました。それで成長できたし、その姿が認められて試合に出るようにもなりました。

不安になって終わりじゃなくて、そこから自分が何のためにやるのか、どうやるのかを考えます。それを書き出してどんどんコンタクトを取っていくことで不安な気持ちをなくしていこうと思っています。実際、そうやって前向きに行動すれば道は開けます。

もう一つきっかけになったのはNBA選手のドキュメンタリーをケガをしている間にたくさん見たことで、特にコービー・ブライアントに影響されました。みんな小さい頃に貧しくて、環境も整っていない中で、自分で行動を起こして成功を勝ち取っています。彼らは「自分ならできる」と信じて、一つひとつ行動を起こしていきました。だったら僕もできるところまでやろうと思って。

──今回契約を結んだイタリアのトーディはどんなクラブですか?

僕もまだ現地に行っていないのですが、イタリア3部のチームです。レベルとしてはB2ぐらいで、なおかつサイズはB1と同じかそれ以上あると聞いています。イタリアリーグは1部には外国人枠があって、2部はイタリア人しかプレーできず、3部は外国人もプレーできます。

海外に行けば僕はすごく小さい選手だと思うので、ここで学んだスキルを最大限に発揮したいです。多分僕が一番若いと思うんですけど、チームメートとしっかりコミュニケーションを取って、コート上では自分がチームを引っ張るつもりでやりたいです。この1シーズンでチームの勝利に貢献できる選手になるのが目標です。

──イタリアリーグ3部からステップアップしていく未来図を描いていると思いますが、その先のステージは?

日本に戻ってB1で活躍して、影響力のある選手になりたいという目標はずっとありますが、今は場所を問わずできるだけ高いレベルでプレーしてみたいと思います。ヨーロッパの中でだったりアメリカだったり、どんどん挑戦していきたいです。

──イタリア3部で圧倒的な活躍をしてもらいたいですが、その前に環境に馴染む必要があります。イタリア語は話せますか?

勉強していますが難しくて、挨拶しかできないぐらいで行くことになりそうです(笑)。チームメートとのコミュニケーションはもちろん、監督が言う作戦が理解できないと話にならないので、実際どれだけやれるのか不安です。まだ僕自身がイタリアでプレーしたわけじゃないので、通用するかどうかは楽しみでワクワクしていて、その点はあまり心配していません。イタリアに行くのも初めてですが、そういう部分も不安になるのではなく楽しんでやっていきたいと思います。ご飯はイタリア料理なら合うと思うので大丈夫。練習の環境もすごく良いと聞いています。やっぱり心配なのは言葉だけですね(笑)。

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