
しばし茫然「忘れていた疲れがドッと押し寄せてきた」
マイク・ブラウンは激務を楽しみながらこなせる男だ。NBAのコーチ業は心身ともに疲弊するものだが、彼は1年365日続くハードワークに喜び勇んで取り掛かる。その結果、トム・シボドーの後任としてニックスのヘッドコーチに就任した最初のシーズンで、チームが抱えていた構造的な課題を次々と解決して、NBAの頂点へとニックスを押し上げた。
直近ではキングスをプレーオフ進出に導くも、すぐにチームが右肩下がりになって解任された記憶が大きいが、その指導者キャリアは長きに渡る。ナゲッツのビデオコーディネーターを皮切りに、ウィザーズとスパーズのアシスタントコーチを経て、2005年に35歳の若さでキャバリアーズのヘッドコーチになってNBAファイナル進出を経験している。レイカーズを経て黄金期のウォリアーズのアシスタントコーチを務め、キングス、そしてニックスへ。チーム解体から『王朝』まで、これほど幅広い経験を持つコーチも珍しい。
そんな彼は前任者の『鬼軍曹』とは全く異なるスタイルでニックスを結束させた。変なエゴを出す選手のいないロスターではあっても、これだけ結束力の強固なグループを築いたのは彼の手腕によるものが大きい。NBA優勝を決めた表彰式で、ファイナルMVPのジェイレン・ブランソンが歓喜の涙を流した後、彼らしく慎ましい態度を貫いたのとは対照的に、指揮官ブラウンは大興奮で喜びを爆発させた。喜ぶべき時は大喜びするのが彼のスタイルだ。
しかし、勝利が決まった瞬間に歓喜の抱擁を交わす選手とスタッフたちの間で、彼はスパーズのコーチ陣と握手した後、しばし茫然と立ち尽くしていた。ようやく喜びの感情を見せたのは、孫を抱いて表彰台に立ってからだ。
「優勝したことに現実味が感じられなかったのが一つ。あとは疲れ果ててヘトヘトだった。この仕事は皆さんが思う以上に激務でね。だからこそスタッフの支えが不可欠なんだ」とブラウンは言う。
彼が思いを馳せたのは2003年、コーチとして初めて経験したNBA制覇だった。当時まだ33歳、彼が所属していたのは今回の対戦相手であるスパーズで、場所も当時はSBCセンターと呼ばれていたこのアリーナだった。
「あの時、試合終了のブザーが鳴った瞬間に私はベンチに座り込み、実際は30秒程度だったと思うが体感的には10分ほど動けなかったと記憶している。ただ呼吸をすることしかできなかった。今日も同じで、今起きていることを現実だと受け止められず、忘れていた疲れがドッと押し寄せてきた感じだ。家族を探しに行かなきゃ、と気付くまで動けなかったよ(笑)」
優勝会見には2人の息子と娘婿、そして初孫のアイバーソンくんを伴った。その席でブラウンは、自分を支えるコーチングスタッフの貢献ぶりを称え、感謝を語った。
「最初にアソシエイト・ヘッドコーチのクリス・ジェントについて話したい。今、多くのチームでヘッドコーチの空きがあると思うが、彼に打診がないのは解せない。去年のサマーリーグで優勝し、このチームのオフェンスを仕切っているアソシエイト・ヘッドコーチだ。勝ちたいチームは彼の採用を検討すべきだ。是非チャンスを与えてあげてほしい」
「リック・ブランソン、ブレンダン・オコーナー、ダレン・アーマン、TJ・セイント、リカルド・フォイス。スタッフのみんながシーズンを通して私を支えてくれた。そして選手たちは見ての通り最高の連中だ。先発の5人だけじゃなく、1番目から18番目まで全員が素晴らしかった。必要な時に必要とされる選手がステップアップしてくれたおかげで優勝できたんだ。選手たちと組織を心から愛している」
ニューヨーク市はニックスの優勝を受け、現地18日にブロードウェイでのパレードと市庁舎での祝賀会を行うことを発表した。1970年と1973年の優勝時にはパレードが行われず、ニックスにとっては初の優勝パレードとなる。ここでは最初から全力でお祭り騒ぎを楽しむであろうブラウンは、「今の気分は『レッツゴー・ニューヨーク』だよ。早くホームに戻ってお祝いがしたい」と満面の笑みで語った。
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— NEW YORK KNICKS (@nyknicks) June 14, 2026