菊地祥平

19シーズンにわたる選手人生に終止符を打ったアルバルク東京・菊地祥平のインタビュー後編(前編はこちら)。2007年に東芝(現川崎ブレイブサンダース)に加入し、2013年にA東京の前身にあたるトヨタ自動車に移籍、以降足掛け11シーズンを過ごしたクラブや同期たちへの熱い思い、今後のキャリアについて語った。(6月1日取材)

「やりきった」と胸を張って言えるラストシーズン

──2024-25シーズンに、越谷アルファーズからアルバルクに戻られた際のインタビューで「このチームで引退したい」というようなことを話されていました。昨シーズンの時点で「引退はそんなに遠くないだろうな」と考えられていたのでしょうか。

そうですね。戻る時に伊藤大司ゼネラルマネージャーから「プレーはもちろん、若手への指導やコーチ・スタッフ陣と選手との架け橋としても力を貸してほしい」と言われていましたし、このクラブでそのポジションに何年も居座ることはできないと思っていたので、「最悪1年、よくて数年だろうな」というふうには思っていました。

──そして、今シーズンに入る前に引退を決めた?

僕の中では決めてました。1年目がちょっと不甲斐ない結果で、伊藤GMから「来シーズンもお願いします」と言われた後……ちょうど今の時期ぐらいに妻と話をしていて「まあラストかな」と、ほぼほぼ決めていました。シーズンが始まってみると、ケガ人が出たこともあってベンチ入りの機会が増えて、何なら去年より出場時間が長くなったりもしましたけど、エージェントとの定期的なやり取りの中で「来シーズンはどうしたい?」と言われたときに「今年でおしまいですかね」と伝えさせていただいて。伊藤GMにもエージェント経由で伝えていただきました。

──「終わり」と決めて入られた今シーズン、日々の過ごし方は変わりました?

シーズンが始まる前に「『すべてがラストなんだ』って思おう」と考えましたね。オフシーズンの過ごし方も、そこからの追い込み方も「ラストだからもうちょっとやりきろう」って思って、本当に限界の手前ぐらいまでやってきました。ちゃんと自分と向き合って、バスケットのほうも、それこそコンディショニングのほうも「100%やりきった」って言えるぐらいやったので、そこらへんはもう一切の悔いはないです。何なら、これまでで一番充実してたんじゃないかっていうくらいでした。

──ベンチ外の試合も多かったですし、プレータイムも数分程度ではありましたが、「しっかりやりきった」と胸を張れるフィナーレだったと。

はい。自分で引き際を決められたということ自体が幸せだと思っています。正直に言えば、アルバルクというクラブじゃなければ、あと数年ごまかしながらプレーすることも可能だと思うんですよ。でも、僕はアルバルクが本当に大好きだったので、ここで引退させてもらいたかった。選手もスタッフも全員がプロフェッショナルで、尊敬できて、「自分ももっと頑張らなきゃ」と常に認識させてくれる場所で引退できて幸せでした。

菊地祥平

「『黄金世代』を廃れさせたくなかった」

──菊地選手の同期には、竹内公輔選手、譲次選手を筆頭に、名選手が本当にたくさんいた『黄金世代』でした。それこそ、菊地選手、伊藤GMとともにアルバルク東京の初代キャプテンを務めた正中岳城さん(現在はA東京広報部部長)など惜しまれながら早々に引退した選手もいた中、これだけ長く現役を続けることは想像していましたか?

同期が上手いやつらばっかりだったので、東芝に入った時点で「早々に引退するんだろうな」って思っていました。でもやっていくうちに元々の負けず嫌いさが出てきましたね。あとは自分が東芝からトヨタに移籍したり、他の選手の移籍も活発になってきたことで、一緒にやるプレーヤーが変わるのが楽しかったのもあるかもしれないです。東芝の時は石崎(巧=現解説者)がいて、トヨタに移籍したら正中と岡田(優介=現Bリーグ理事)、公輔がいて、Bリーグになったらまさか譲次が入ってきて、友利(健哉)がコーチとして入ってきて。

少しずつ同期が引退していくことに寂しさもありましたが、それを実感してからはこの世代を廃れさせないというか……今の若い子たちは『黄金世代』とか言われてもピンと来ないと思うんですけど、それでもやっぱり、竹内公輔、竹内譲次がいるというこの世代は僕は特別なモノだと思っているので、勝手にではありますが責任感を持ってやってきましたね。

──選手とフロント、選手とコーチという別の立場で同期と一緒に仕事をするというのは不思議な感覚でしょうか。

よくチームメートに「立場が違うんだから敬語を使え」とバカにされていました(笑)。でも二人とは仲が良いし、特にタケ(正中)はいつも僕のことを気にしてくれてるなって感じていました。練習場に来ると、仕事が忙しいだろうに「どう、大丈夫?」みたいなところから10分とか15分ぐらい話に付き合ってくれて。トヨタアリーナ東京ができるまでは、チームとフロントはかなり離れた場所で活動していたので、同じ敷地内で仕事をするようになって彼と顔を合わせる機会が増えたことも嬉しかったですね。

──ちなみに、菊地選手は自他ともに認める偏食家だとうかがっていますが、大きなケガをせずに長く現役を続けられた秘訣はありますか?

それはもう「妻のおかげ」の一言じゃないですかね。多分、僕にバレないように嫌いなもの……例えば野菜を細かく刻んで入れたり、すごく工夫してくれていたと思います。チームの栄養士の方に家で食べている献立をチェックしてもらった時、「全然野菜食べてないと思うんですけど大丈夫ですか?」と聞いたら「めちゃくちゃ上手にやってくれていますよ」って言われて「そうなんだ」と思いました(笑)。妻はもともとパーソナルトレーナーをやっていて、トレーニングだけでなく栄養の知識も持っていたので、本当に助けられたなと思っています。

──今後は何をされるんですか?

伊藤GMからはありがたいことに育成に関わるポジションを提案していただいたんですが、僕はトップチームのコーチの道に進みたかったので、他のチームでお世話になろうと思っています(取材後の6月15日に川崎加入が発表)。現役中にいろんなヘッドコーチと関わらせていただいた中で、『勝たせるコーチ』というのは『徹底させられるコーチ』だと思ったので、そこらへんを自分なりに落とし込んで、失敗も覚悟しながらいろいろ挑戦していけたらなと思っています。

──無の状態もつかの間、すぐに忙しい日々が始まりそうですね。

そうですね。拘束時間やバスケについて考える時間は選手よりもコーチのほうが圧倒的に長いと思いますし、時には睡眠時間を削らないといけないこともあると思いますが、それも覚悟して。まずは1年目、必死にがむしゃらにやっていきたいなと思っています。