
長崎ヴェルカを黎明期から支え、B3からB1への最短昇格の立役者に、そしてリーダーとして優勝に貢献した狩俣昌也は今シーズンで現役を引退する。激動のキャリアに一区切りつけた彼に、引退の理由、日本一へのこだわり、そしてチームに植え付けたカルチャーについて聞いた。
「日本一」へのこだわりと、メンタル的な限界
──4月3日に引退を発表されましたが、あらためて引退の理由を教えてください。
理由は一つだけではなくて、いろいろなものが重なってのことです。ただ、一番はメンタル的な部分が大きかったかなと思っています。僕の性格として、プレーや練習に対して常に気持ちを100%乗せてフルコミットしたいんです。その中で、なかなか気持ちが追いついてこないというか、それを保ち続けるのが難しくなってきたなと強く感じるようになったのが一つの大きな理由ですね。
──38歳ではありますが、すべてを経験してきた狩俣選手はどのカテゴリーでもまだ求められる存在だと思います。
プレー自体はまだできると思っていました。ただ、これからさらにレベルを上げて良くしていくというのはなかなか難しいし、プレータイムは減っていきます。もちろん、プレータイムを確保するためにB2やB3のチームに行くという選択肢もあったとは思います。でも、そこを一度経験している中で、もう一回気持ちを持っていけるかというと、そのメンタルコントロールがやっぱり難しかったです。身体がどうこうというよりは、気持ちの部分が大きかったですね。
プロになった時から、僕の中にはずっと「日本一になりたい」という強い思いがありました。本当の意味での日本一(B1優勝)を目指したい。B3からB2を経験していく中で、中途半端にはできないなと。自分がプレーを続けるためにチームに残ることはできたかもしれませんが、もう一度B3やB2に行って、そこからまたB1優勝へ気持ちを持っていくというのは、ちょっと難しかった。なので、その選択肢はなかったですね。
──練習生からプロキャリアをスタートし、紆余曲折がありました。日本一を目指すなら、創設したばかりの長崎への移籍は遠回りだったと思います。
まず、日本一を目指すというのが大前提としてあります。その上で、キャリアの始まりだった千葉(ジェッツ)を選んだのは、経験豊富なベテラン選手がたくさんいる中でやってみたい、ここでなら本当に勝てると思ったからです。2年目には琉球(ゴールデンキングス)で実際に優勝を経験できました。福島(ファイヤーボンズ)は、自分自身のステップアップのために必要な1年だったととらえていました。1年でステップアップして、また日本一を目指していくんだ、という思いで動いていました。ただ、長崎へ行く時は、今まで自分のキャリアの中で積み重ねてきた「日本一になりたい」という思いを一回否定しなければいけないような感覚があって、そこはものすごく悩みました。日本一のためにやってきたのに、ここで一回距離を置くという選択は確かに難しかったです。
狩俣さん!優勝おめでとう🏆そしてお疲れ様でした。
長崎に移籍してくる時、狩俣さんめっちゃ怖いから気をつけなと言われたこともありました。笑
特にB3の時は。毎日誰かを怒鳴って鼓舞させてた。
チームメイトが泣いてることもあった。
でも全ての言動に愛があった。
B… pic.twitter.com/SImS6PZgxw— 髙比良寛治 (@kanji__14) May 28, 2026
──以前のチームメートである高比良寛治選手のSNSでも触れられていましたが、狩俣さんはチームに対してあえて厳しく強く当たる姿勢を見せていました。今の時代、そこまで厳しく言うのは難しい部分もあると思いますが、どういう感覚でやり続けていたのですか?
一つはカルチャー作りのためです。僕がB3の長崎に来た時、周りは大学を卒業したばかりの選手やB1を経験したことがない選手がたくさんいました。まずはこのチームのスタンダードを上げなければダメで、そのために僕が厳しさを示していかないといけないと思ってチームメートに求めました。ヘッドコーチから言われてしまったら、その選手にはもうチャンスがないかもしれない。だったらコーチが言いそうなタイミングで、あえて僕が先に強く言うことでコーチに言わせず、その選手にまだチャンスを残した状態にしたかったという思いもあります。もう一つは自分に対するプレッシャーですね。周りに強いことを言った以上、自分は絶対にやらなきゃいけなくなるので、自分を追い込むためでもありました。
──だからこそ、モーディ・マオールヘッドコーチからも絶大な信頼を得ていたのですね。
でも、実はモーディが来てからはあまり強い発言をしていないんですよ(笑)。歳を重ねるごとに、自分のフェーズが変わっていきました。B3、B2の時はある程度僕がスタンダードを作りましたが、B1になったらJB(ジャレル・ブラントリー)や(馬場)雄大が入ってきて、今度は彼らにリーダーを任せて、僕が後ろからサポートしていく立場になるべきだと思ったので。そこはチームの状況に合わせて、自分の役割をどんどん変えていきました。
──ご自身のセカンドキャリアについては現時点で何か決まっていますか?
いや、まだ決まっていないです。僕は同時並行ができないタイプなので(笑)。休みながら、またバスケットのように熱中できるものが何か見つかればいいなと思っています。
──最後の質問です。狩俣さんのように強い覚悟を持って生きてきたからこそ、届く言葉があると思います。言いたいけど言えない上司や、言われてふさぎ込む若い世代など、そんな現代の人たちに向けたメッセージをいただけますか。
うーん、そうですね……。僕自身もモーディからすごく厳しいことを言われましたし、若い頃は先輩方からいろいろなことを言われてきました。その中で一番大事なのは「自分の頭で考え続けること」だと思います。言われたことをそのまま100%受け入れる必要はなく、まずは聞く姿勢を持ちつつも、それをどう自分の中で消化するか。受け入れるべきか受け入れざるべきかは、最終的に自分が決めればいいと思っています。
僕が若手に発言する時も、相手の顔を見ながら話していました。響かないなら響かないでそれは彼が自分で決めたことだからいい。正解なんて本当にないと思うんです。僕は考え過ぎだってよく言われるくらいの性格なんですけど、今振り返ればこの性格で本当に良かったなと思えています。だから、とことん考え過ぎた方がいい。考え続けることが次に繋がっていくと伝えたいです。