中村拓人

「優勝はできなかったですが、近い状態に全員で持っていけた」

「もっと、みんなと多くの試合をやりたかったなぁという気持ちが大きいですね」

群馬クレインサンダーズの中村拓人は、自身の2025-26シーズンを終えて約2週間が経ったこの日、そう心境を明かした。

結果はチャンピオンシップのクォーターファイナル敗退。エージェー・エドゥとヨハネス・ティーマンのインサイド2枚を欠きながらも、最後まで千葉ジェッツを追い詰めた。優勝を目指して戦ったシーズンだったが、求めていた結果には届かなかった。

中村は「浮き沈みがあり、難しいシーズンでした。自分も含めてケガ人が多かったですし、最後も全員揃って終えることができませんでした」と振り返るが、一方で手応えもあったと続ける。「その状況でも自分たちで解決して戦えていました。だからこそ、優勝できず悔しいシーズンになりました」

仮にロスターが全員揃った状態でチャンピオンシップに臨めていたら優勝できたと安直には言えない。しかし、その可能性を感じていたからこそ、やりきれない気持ちもあると心の内を明かす。

「レギュラーシーズンでも誰かがいなければ、他の誰かがステップアップを見せることはできました。揃わない中でも良い感触はたくさんありましたが、12人揃って戦えていたらなという気持ちは少なからずあります」

中村個人としては、広島ドラゴンフライズ時代の2023-24シーズンにBリーグ年間チャンピオン、さらに2024-25シーズンには東アジアスーパーリーグ制覇と続けてタイトルを手にした。優勝できるチームを体感してきたからこそ、今シーズンの群馬にも、そのような感触があったと語る。

「最初から、その感触があったわけではないですが、シーズンが進む中でケミストリーが上がっていったのは確実に感じました。チャンピオンシップでは、それぞれの役割をそれぞれが遂行できていました。優勝はできませんでしたが、それに近い状態に全員で持っていけていたと思います」

中村の言う通り、シーズンが進む中でチームは大きく成長。開幕月の10月はアウェー戦が10試合中8試合だったことも影響して、4勝6敗と負け越したが、11月に入ると9連勝を達成。コー・フリッピンとトレイ・ジョーンズ、ティーマンが相次いで離脱して勝率を落とし、チャンピオンシップ圏外になる時期もあったが、ロスターが揃った3月からは破竹の13連勝を遂げた。

「13連勝中は、どういう試合をすれば勝てるかをチーム全体が理解して遂行できていました。あれが1つのターニングポイントになって勢いに乗れました」

中村拓人

「チームのために何ができるのか、シーズンを通じて試行錯誤した」

中村は並々ならぬ決意を持って、今シーズンに広島から群馬へ移籍した。広島で指導を受けたカイル・ミリングヘッドコーチに加え、勝手知ったるコーチ陣も多い新天地だったが、シーズン序盤は、少なからず悩むこともあったと言う。

「序盤は自分の色をチームにどうやって出せるかを考えていました。特に結果が出ない時は、足踏みをするような気持ちになっていました」

特に連携を重んじる群馬のバスケにおいて、ポイントガードとしてチームメートを理解することは重要だった。「それぞれの役割を理解した上で、どうすればチームメートが生きるのかをずっと考えていました。自分がチームのために何ができるのか、シーズンを通じて試行錯誤していました」

それでも「以前からのチームメートとの関係性や戦術に対して、不安に感じることはありませんでした」と語るように、シーズン前から開幕を楽しみにしていた。初めて一緒にプレーする選手も多かったが、チームメートはみな明るく中村を受け入れてくれた。「フレンドリーな選手が多かったので、いつもコミュニケーションは取れていました」

さらに特別指定選手時代も含めると4シーズン目の共闘となるミリングヘッドコーチの存在も、中村にとって大きかった。出場した53試合中42試合で先発起用。ケガからの復帰後を除いて、ミリングヘッドコーチは中村にスタートを任せた。中村は指揮官に関して次のように語る。

「選手のことを理解するために、アンテナを張ってくれていて、よく見ています。長く一緒にやっているからこそ、それぞれの選手のモチベーションを上げるのが上手いと感じます」

チャンピオンシップクォーターファイナルの第2戦で千葉Jに敗れた後、中村は第3戦に向けて「自分たちがやっていることを信じるだけ」と話した。この言葉は、開幕前にミリングヘッドコーチにインタビューした際、勝利のために1番重要なこととして挙げた言葉そのものだった。

選手もコーチ陣も同じ足並みで最後まで戦い抜いた。その結束こそ『群馬一丸』そのものだった。「終盤は選手もコーチも全員が、このチームのことを信じていました。信じていたからこそ、全員がやるべきことを理解できていました。それが勝てていた大きな要因ですね」