
山下泰弘が現役引退を表明したのは5月19日のことだった。佐賀バルーナーズから自由交渉選手リストへ公示されることが発表されてから、2週間も経たないうちのニュースに衝撃を隠せなかった。派手な選手ではない。それでも的確なゲームコントロールとリーダーシップを武器に、流れを一変させるシックスマンとしてチームを支える能力に長けた選手であったことは確かだ。その彼にキャリアを振り返ってもらい、今後の展望について語ってもらった。
「『福岡を盛り上げたい』その一心」
──現役生活お疲れ様でした。引退を迎えて率直な感想をお聞かせください。
本当にやりきったという気持ちで、すごくすっきりした感じです。もっと悲しくなるのかなと思ったのですが、全然そんなことはなくて晴れやかな気分ですね。
──現役生活17年、ここまでやれるとは思っていなかったそうですね。
東芝(ブレイブサンダース、現・川崎ブレイブサンダース)に入社当初は3年とか5年で引退して、社業に専念したほうが良いと思っていましたし、OBの方々からもそういったアドバイスをもらっていたので、バスケットは早く終わろうと思っていました。ミニバスの頃からずっと日本一を目指してやってきて、中学校で全国優勝を果たすことができたのですが、それ以降は機会がありませんでした。学生時代はそれがずっと心残りで、もう一度輝きたいと思ってキャリアを進め、東芝で3回も取れたのはすごく達成感がありましたね。そこで終わりを考えた時にBリーグができて、地元ライジングゼファー福岡からのオファーがあったので、「やっぱり地元でチャレンジしてみよう」というところからここまで来てしまいましたね(笑)。
──当時は引退して社業に戻ることがトップを走ってきた選手の既定路線でした。地元でのチャレンジは覚悟が必要だったと思います。
やはりあの当時は企業の社員になれることが大きなメリットでプロになることは考えていませんでした。でも福岡からの熱烈なオファーと小林大祐と「地元を盛り上げよう」という話をした時に面白そうだなと思うようになりました。東芝で7年間やって日本一を3回取った経験を地元チームに生かせるんじゃないかと考えて決断しました。
──初のプロ生活はいかがでしたか?
本当にどうやって過ごしたら良いのか、わからないような状態で探り探りやっていました。環境面もすべてが整っていた東芝から公共の体育館での練習になって、利用時間も制限があってケアもまともにできないギャップに当初は苦しみましたね。
──東芝と福岡でそれ以外にもギャップはありましたか?
東芝はチームカルチャーが確立していました。でも福岡は様々な経験を積んできた選手たちの寄せ集めの集団で個性が強すぎましたね(笑)。ただ、年齢も近かったので話し合いながらチームをまとめることができました。
──B2、B1へと順調に昇格を果たして、あらためてB1というトップカテゴリーに返り咲きました。
B2までは、個の力だけでなんとか勝てていた部分があったのですが、やはりB1になるとチームとして戦っていかないといけないんだな、というのはすごく感じましたね。
──福岡ではコーチがシーズン途中で代わり、運営も厳しい状況に陥りました。バスケットを続けていくことも難しいと思いましたがシーズンを走り切れた要因はどこにありますか?
これまで作り上げてきたモノをまた合わせ直す難しさはありました。成績は振るわなかったですが、加入当初から『福岡を盛り上げたい』その一心で、戦ってきましたし、何よりも応援してくれているファンの方たちのためにも、会場に足を一歩踏み入れた瞬間からバスケットを楽しんでもらうということを意識してプレーしていました。
──福岡はB1のライセンスが発行されず降格となり、経営難から多くの選手を放出することになりました。
正直寂しかったですね。『地元だったから動けた』というのが大きく、福岡で引退して、その後のセカンドキャリアも思い描いていたのですが、ここで終わるのは嫌だという気持ちが芽生えて、もう一度チャレンジしようと決めました。

「支える立場に切り替わっていけたのは良かった」
──島根スサノオマジックに移籍した理由について教えてください。
妻の地元でもあり、出場した全中とインターハイが島根開催だったことで本当に縁を感じていました。移籍を決断する前からも島根は気にかけていたのですが、僕はもともとシックスマンとして試合に出ることが多く、サポートすることが好きで東芝での優勝経験、自分のプレースタイルが生かせるのはこのチームだという確信がありました。最後のバスケ人生を島根に捧げてやろうという決意でした。
──移籍した1年目でキャプテンに任命されましたね。
あれはびっくりしました(笑)。何も聞かされていなくて、最初のチームミーティングで発表されました。交渉中にリーダーシップを発揮したいという話はさせてもらったのですが、このような形になるとは思わなかったです。
──バンダイナムコも参画して経営も安定し、シーズンを重ねるごとに補強にも成功しました。
移籍後に知ったことでこれもびっくりしたのですが、エンターテインメントの会社がついてくれたことは島根にとって素晴らしいことだと思いましたし、福岡の後だっただけに『これでバスケットに専念できるのかな』という思いは少なからずありましたね。補強も素晴らしく、B1で戦える準備が着々と整っている実感がありました。個人としても引っ張る立場から、得意とする支える立場に切り替わっていけたのは良かったと思います。
──プロの世界では当たり前ですが、コーチ陣もシーズンを追うごとに変わりました。
(鈴木)裕紀さんのコーチングスタイルは、頭を使って徹底的に相手をスカウティングして相手のウィークポイントを攻めるバスケットで、スター選手がいなくても戦えるチームを形成してくれました。河合(竜児)さんは福岡でも一緒だったのでコミュニケーションをとりながらチーム作りをしていましたが、なかなか勝利に結び付かずファンの皆さんを喜ばせるのは難しいシーズンだったと思います。だからこそ泥臭く一生懸命な姿だけはもう伝え続けようと考え、全力で最後までアグレッシブにプレーすることをみんなで継続してやっていこうと話し合って戦いました。
(ポール)ヘナレコーチに代わったシーズンは安藤誓哉、金丸晃輔、ニック・ケイと素晴らしいスター選手が島根に来てくれたことで、B1で本格的に争えるスタートラインに立ったと思いました。
──スタッツ上ではプレータイムが前シーズンの平均約17分から4分に減少しました。佐賀バルーナーズへの期限付き移籍決断に影響しましたか?
プレータイムの減少は特に気にしていなかったのですが、チームの競争意識も上がり、より一層勝利にこだわるチームに変貌できました。僕がこれまでチームを支えていた役割というのが一旦終わったという感覚に近いモノを感じていた時に、ケガ人が続出した佐賀からお声がけをいただきました。
佐賀はすでに角田(太輝)という若くて良い選手や(レイナルド)ガルシアがいることは知っていたので、プレータイムを求めて移籍したわけではなくて、チームのカルチャーを宮永(雄太)さんと一緒に作っていくことに共鳴して決断しました。