文・写真=小永吉陽子

窮地に陥った日本を救った橋本のゲームコントロール

『優勝』という結果を求められていた自国開催の東アジア選手権にて、準決勝のチャニーズ・タイペイ戦を落とした日本。相手にリバウンドを支配され、73-78という点差以上の完敗に終わったことは反省するしかない内容だった。

国際大会における男子代表のここ一番での萎縮ぶりは今に始まったことではないが、新しい指揮官を迎え入れた時はなおのこと、チーム作りに時間を要する。現在、日本が取り組んでいるピック&ロールの精度を上げること、チーム全員でリバウンドを取りに行くシステム作りは、強化合宿の回数だけでは解決できず、実戦での場数こそが必要だった。

しかしそれを敗れた直後に言ってもしかたない。敗戦後、いかに修正して次戦に臨めるかが、犯したミスを取り返す唯一の方法だった。スタッフ陣が夜を徹して練り上げたスカウティングの遂行と選手全員の気迫は、最終日に完勝という形で実を結んだ。

3位決定戦。若いU-19世代の中国が相手とはいえ、平均身長2メートル軍団に対して一度も主導権を渡すことなく76-58で圧倒。一日で激変したチームを先導したのは、3位決定戦でスタメンを務めたポイントガードの橋本竜馬だ。

今大会の中国は高さだけでなく、ガード陣のトランジションの速さがあるチームだったが、その起点となるポイントガードを抑えたばかりか、攻撃でも切れ込んでからのキックアウトのパスを配給しては良い組み立てを見せた。また15点差をつけた後半の立ち上がりには、自ら5得点を決めて再び主導権を握るテンポの良さを作った。

予選ラウンドの韓国戦では、ファウルの込んだ富樫勇樹に代わって終盤に出てきては、接戦を制するゲームコントロールで勝利に導いている。大会を通しての橋本は、スタメンであれ、控えであれ、攻防の一つひとつに手を抜かない姿勢で役割をまっとうしたのだ。

リーダーシップだけでは12人の枠には食い込めない

ゲームコントロールは常に橋本の課題だった。それは「何もできなかった」と悔しさをあらわにした昨夏のオリンピック世界最終予選で、ラトビアやチェコというヨーロッパの強豪を目の前にして痛感したことでもあった。

「今まで自分はディフェンス面をフォーカスされてきましたが、ポイントガードとしてはチーム全体をコントロールしたり、試合の流れを瞬時に読む判断力が足りません。これらができなければ代表のポイントガードは務まらないと、世界大会に出てあらためて痛感しました」

2015年にはアジア選手権で、2016年にはオリンピック最終予選で、橋本は田臥勇太の控えとしてベンチから出てきてはゲームをつなぎ、終始ベンチから大声を出してはムードメーカーとしての役割を果たした。日本代表の前ヘッドコーチ長谷川健志は「リーダーシップも才能の一つ」だと橋本を評価し、田臥に続く次世代のリーダーになるべく育成していた。

今大会でキャプテンを務めた竹内譲次にしても、「竜馬は思ったことをどんどん言ってくれるので助かっている」と言うほど、4つ年下の司令塔への信頼度は高い。しかし、それだけでは日の丸をつける12人の枠に食い込めないことも、世界の舞台で何もできなかった自分自身が一番よく分かっていた。

オリンピック最終予選が過ぎ、Bリーグ開幕を迎え、イラン戦を含む代表活動を経て、休む暇なくゲームが続いていく中で自分自身を見つめる機会となったのは、連戦続きのコートではなく、むしろコートの外にいた時間だった。

女子代表やU-19男子代表の練習を見たことが刺激に

今季の橋本は右膝の半月板損傷のケガのために3月12日の仙台戦を最後に、4月29日の大阪戦で復帰するまで、約1ケ月半も欠場している。その間、ただリハビリをしていたわけではない。日本代表選手が使用できるナショナルトレーニングセンターにて、ルカ・パヴィチェヴィッチコーチと佐々宜夫コーチの下でピック&ロールやパスの出し方に対しての指導を受け、佐藤晃一パフォーマンスコーチの下で身体のバランスを整えるトレーニングに明け暮れていた。

リーグ中でありながらも所属チームの理解を得て、衣食住とトレーニングの場を愛知から東京へと移したのは、一刻も早くに復帰したいという思いと、『このままではいけない』という危機感があったからだ。

「ナショナルトレーニングセンターではいろんなカテゴリーが練習をやっていますが、今までは自分の練習で精一杯で、他のカテゴリーが何をやっているのかを感じる時間もありませんでした。けれどこうして、他のカテゴリーが練習しているその横で一日中トレーニングをさせてもらうと、こんなにも多くの人たちが代表チームを支えていることを知ることができ、感謝の気持ちでいっぱいになりました」

このコメントを聞いたその日は、ちょうど女子代表とU-19男子代表が強化合宿をしている最中だった。隣のコートでは女子選手たちの活気ある練習が目線に飛び込み、今夏に世界に飛び出す若いU-19世代の突き上げに、刺激を受けないわけがない。

「ここでトレーニングしたのは1カ月くらいなんですけど、いろんなカテゴリーの練習を見て、いろんなコーチとかかわることで、たくさんの考えを知ることができました。この経験はポイントガードという自分のポジションに生かされると思います。ケガのリハビリやスキルトレーニングはもちろん、精神的な部分を一番に学べた1か月でした」

医師から「驚異的な回復」とのお墨付きをもらった橋本は「チームから離れてトレーニングをしたこの時間を無駄にすることなく、必ずコートで返します」という言葉とともに戦列に復帰した。その約束は東アジアの舞台で生かされたのだ。

日本代表選手に必要なのは『自分だけのオリジナル』

今大会のポイントガードには橋本と富樫が選出されたが、このポジションには川崎をファイナルに導いた同学年の篠山竜青もいる。高校、大学時代から競い合ったライバル関係は今後も続いていくだろう。さらにはパヴィチェヴィッチが「ピック&ロールの使い方がうまい」と評価する安藤誓哉という若手も押し上げてきている。その中で橋本が誇れるのは、やはりリーダーシップだ。「それだけでは生き残れない」と痛感してスキルアップを図ったものの、それでも橋本が目指すのはリーダーシップが光る司令塔であることに変わりはない。

「大事な試合で勝ち切れないのが日本の弱さなので、これを乗り越えないことには次はないし、それができるのがこの悔しい経験した自分たちだと思う。自分はもう30近くなりますが、代表にはもっと長くいたいんです。それには自分のオリジナルが必要だと思うので、自分は沈みがちな時にみんなのお尻を叩くだけじゃなく、自分のお尻も叩いて気持ちを出すポイントガードでありたい」

東アジア選手権は、日本の新しいリーダーになるべく存在感を示せた大会だった。次のステップでは、勝たなければならない試合で勝利に導くリーダーシップを発揮するのが目標だ。