
4月に右膝前十字靭帯断裂「一つのケガで1年……」
桜花学園が岡山インターハイで優勝した7月末、金澤杏はチームメートと喜びを分かち合いながらも、心に引っかかるものを感じていた。4月に右膝の前十字靭帯を断裂の大ケガを負った彼女は、コートに立つことができなかった。
「全員の頑張りで優勝できてうれしいです。でも1%だけ、私もプレーできたら良かったのにという気持ちがあります。頑張って復帰して、ウインターカップでは今度は私もプレーでチームに貢献して優勝したいです」
金澤は1年から主力としてプレーし、精度の高いシュートでオフェンスを引っ張っていたが、2年までは全国大会で勝てていなかった。自分たちの代でインターハイを優勝した意義を感じつつ、コートに立てないことで手応えは得られていなかった。
膝前十字靭帯断裂からの復帰には、通常10カ月から12カ月を要する。ウインターカップはケガから9カ月目。ギリギリ間に合うことを信じて、金澤はトレーニングを続けていた。
こうして迎えた12月24日のウインターカップ初戦、42点リードの第4クォーター残り2分で金澤はコートに送り出された。「実際には完治していませんでした。でもコーチからも『準備はずっとしておいて』と言われていたし、私も出たいという気持ちが強かったので、試合のたびに『準備はできています』と伝えていました」と金澤は言う。
「1試合に出れるかどうかも分かっていなかったので、急に出ると言われた時はうれしかった気持ちが一番でした。9カ月間コートを離れて、リハビリを頑張ってきて良かったとこの1年で一番思えた瞬間でした。ケガをした時点でウインターカップにも出られない時期だったので、本当に辞めたいという気持ちにもなりましたが、そこで頑張るエネルギーを持てたのは家族とチームのみんなの支えがあったからです」
しかし、エースのガベージタイム起用は、金澤が十分にプレーできる状態ではないという厳しい現実を突き付けるものでもあった。
「ずっとコートを離れていたので、まずは試合に出れたことが本当にうれしかったです。だけど、やっぱりインターハイと同じで、やっぱりどこか悔しい気持ちというのは個人的にはありました」
そう語る金澤の目は涙でにじみ、言葉もなかなか出てこなかったが、金澤は自分の心境をしっかりと説明した。「ウインターカップで優勝すれば、そんな思いはすべて吹き飛んでうれしい気持ちになるのかなと考えるようにしていました。優勝できずに終わってしまったので、楽しかったけどやっぱり悔いの残る大会でした」
「今年の3年生で、下級生から試合に出ているのは私しかいません。去年のウインターカップでは精華女子との試合(準々決勝、65-66で敗戦)でも最後に自分のターンオーバーという悔しい負け方をしていて、その時からウインターカップの負けはウインターカップでしか取り返せないと思っていました。新チームのキャプテンになって、全関西で京都精華に勝てて良い状況だったのに、一つのケガで1年できなくなるとは思っていませんでした」
本音を言えば悔しさばかりだろうが、気持ちを切り替える強さが金澤にはある。「この1年コートから離れて、その視線から見るバスケはすごく面白くて、プレーしている選手には気付けないところをたくさん学べました。それを身に着けられた自信はあるので、次のステージではもちろん選手としてチームを引っ張っていきたいですし、将来的にはずっと言っていた日本代表でプレーして、オリンピックに出場することが夢なので、そのためにもしっかり頑張りたいです」