強靭なフィジカルを前面に押し出すハードワークが売りの東海大学付属相模で、一際異彩を放つのがエースの高島舜弥だ。安定したボールハンドリングと、思い切り良く放つ高精度のジャンプシュート。さらには高校バスケではあまり見ない、3ポイントラインより一歩も二歩も手前から放つディープスリーも沈めてくる。横浜ビー・コルセアーズU15で佐藤凪とともに活躍し、地元の東海大学付属相模への進学を選択。群雄割拠の神奈川県で、これまではウインターカップに出場できなかったが、3年生となった今年は決勝で湘南工科大学附属を撃破し、出場権を勝ち取った。この試合での高橋はシーソーゲームで何度も流れを引き寄せるビッグショットを決めて39得点を記録。次はいよいよウインターカップ、高校バスケの集大成となる舞台で大いなる飛躍を誓う。

「頑張れば自分の目標に少しずつでも近付く」

──シュートには自信があるようですが、子供の頃から同じようなプレースタイルでしたか。

5歳上と4歳上の兄がバスケをやっていて、その影響で小学校1年から始めました。その頃からずっとボールと一緒で、ハンドリングとシュートが大好きでしたし、そういう意味では小学生の頃からプレースタイルはあまり変わっていないと思います。

2人の兄が入っていたミニバスチームには他に上手い子もいて、練習を見に行っては「自分もこういうプレーがしたい」と思っていました。お兄ちゃんたちは年齢も離れているし身体も一回り大きくて、まあ勝てなかったんですけど、いつも勝負を挑んでいました。

──まるで『SLAM DUNK』の宮城リョータですね。

あんな感じです(笑)。ミニバスの練習日以外にも自主練をしていたので、そこで兄弟一緒にやっていました。

──ビーコルのU15に入るきっかけは何でしたか。

トライアウトを受けました。小学6年生に上がる時にビーコルユースの存在を知り、もっとレベルの高いところで挑戦してみたいと思いました。その時の自分は神奈川でどれぐらい上手いのかも分かっていなかったので、トライアウトを受けて確かめたいという気持ちでした。

──地元から横浜までユースの練習のたびに通うのは大変だったのでは?

部活が終わってから移動するので、そこでちょっと疲れたと思うこともありましたが、それ以上にビーコルユースの練習に行くのが楽しかったです。小さい頃からプロバスケ選手になりたいと思っていて、頑張れば自分の目標に少しずつでも近付くんだという思いでした。

──あの代のビーコルU15は強かったですよね。同期には東山の佐藤凪選手がいます。

凪とは小学5年生ぐらいで県選抜の集まりで初めて話したのを覚えています。それから関東のエンデバーに2人とも選ばれたりして、自然と仲良くなりました。今でも東山からこっちに帰って来る時には必ず連絡をくれて一緒に遊んでいます。ライバルでもありますが親友でもある、という関係です。

「全国大会に出たい、神奈川県代表になりたい」

──高校進学のタイミングで他校からも誘いがあったと思います。全国大会の常連チームではない東海大学付属相模を選択した理由は何でしたか。

推薦や特待生の話はいくつかいただいていましたが、原田先生が僕を見るためにビーコルの練習に来て、練習に誘ってくれました。東海大学進学も含めて自分のことを考えてチームを作ってくれると感じて、このチームで3年間やりたいと思いました。原田先生からは、「まずは神奈川県で無双して、東海大での挑戦を経てBリーガーを目指そう」と言ってもらえたことが東海大相模進学の決め手でした。

神奈川県はどこが全国大会に出れるか分からないし、その頃は桐光学園が全国の常連で、東海大相模は県ベスト4ぐらいのチームでした。それでも自分が入ることで県で優勝したい、全国大会に出たいと思ったし、ビーコルユースの仲間はほとんど県外に出たので、自分が神奈川代表になりたいという思いもあって、東海大相模に入学しました。

──原田コーチから、東海大のメソッドでトレーニングしている話を聞きました。高島選手から見ても、フィジカル強化にはかなり注力していると感じますか。

そうですね。試合がある時は調整でウエイトをするぐらいですが、試合が1カ月先だったりすると週に2回から3回、フィジカルトレーナーとフィジカルコーチに指導していただいて、ひたすら追い込みます。ひたすらご飯を食べてプロテインを飲んで、ひたすら練習します(笑)。

──いわゆる『食トレ』もしっかりやっていますか。

食事が大事なのは間違いないので、しっかり食べています。練習試合とか遠征で泊まる時は、ホテルで大きい炊飯器1個か2個のご飯を用意していただいて、基本それは全部食べます。普通に全員分の白飯をよそって、あとは各自おかわりして。チーム全員いれば大丈夫なんですけど、15人とかにメンバーを絞った遠征だと、1人で4杯か5杯は食べています。僕は結構食べるのが好きなので苦にはならないです。

髙島舜弥

「プレーの選択肢を広げる」ディープスリーという武器

──高島選手はこの3年間で、自分自身のどこが成長したと思いますか。

2年生からエースとして、スタートで試合に出るようになったのですが、県予選で1点差で負けて全国に出られなかったり、悔しい思いばかりでした。そこで感じたのは、自分の気持ちの弱さでした。エースがシュートを外したからって下を向いていたら、チームも勢い付かないですし、良い雰囲気にはなりません。そこは原田先生の指導もあって、かなり強くなったと思います。

それは結局、シュート力とか技術とか身体だけじゃなく「人としてどうあるべきか」の部分で、そこに向き合ったことでプレーだけでなくオフコートの部分でもすごく成長させてもらったと思います。

──ディープスリーはいつから打つようになりましたか。

もともと打っていたわけではなく、今年に入ってからです。新人戦で湘南工科大に負けて、自分なりにこのままではいけないと考えて、プレーの幅を増やすことを目的に打ち始めました。バスケを始めた頃からシュートは得意でしたし、ビーコルユースでやっていた時も3ポイントシュートは自信を持って打てていました。最初はディープスリーを打つというより、プレーの選択肢を広げて相手に守りづらくさせるにはどうすればいいだろうという考え方でした。

関東大会予選で優勝したのですが、それほどたくさん打つ機会はなくても、ディープで待つことでノーマークでキャッチ&シュートで打てたり、相手のゾーンディフェンスを攻略できたり、そこで「使える」という感触を得て練習を続けてきました。

──相手からすれば3ポイントラインの奥までシュートをケアするのは難しいし、決まれば効果絶大ですが、その距離からあっさり打ってあっさり外すと流れが悪くなり、チームメートをがっかりさせるリスクもあります。打つ時に迷いはないですか。

本当にずっと練習してきたので、決めきれるという自信はあります。外したらどう思われるかと考えるのではなく、僕が決めればチームが勢い付くと思って打っているので、迷うことはないですね。

「エースである自分が一番成長しなきゃならない」

──ウインターカップが高校バスケ最後の舞台となります。全国大会の経験がそれほど多くないということで、気合いが空回りしてしまうのが不安要素かと思います。

大舞台の経験は少ないかもしれませんが、僕個人としてはJr.ウインターカップでの準優勝などを経験しています。僕が緊張せずにいつも通りのプレーをすることで、チームを落ち着かせることもできると思っています。実際はそれなりに緊張すると思うんですけど(笑)、緊張しすぎないというか、気負いすぎずに楽しみたいです。

──インターハイでは2つ勝ちましたが、ベスト16で福岡大学附属大濠に敗れました。今回の目標はその上のベスト8であり、「ベスト8以上」です。

インターハイでは大濠に完敗して、自分たちに何が足りないのかを見つめ直して、やはり自分たちの基本であるディフェンスに立ち返ろうと決めました。ディフェンスで自分たちの特長である身体の強さを生かすことができれば、強いチームとも戦えます。オフェンスでは自分がエースとして引っ張っていきます。

──7月のインターハイからチームとして大きくレベルアップしていると感じますか。

はい。僕個人も決めきる力が着いたと思っていますし、自分以外のチームメートもすごくレベルアップしています。U18日清食品ブロックリーグで良い経験ができましたし、県予選の決勝でも全員がすごく良いプレーをして、チームの一体感が感じられました。

──それでも点を取る仕事は高島選手に大きな期待がかかります。

県の決勝で39得点を取って、周りからは良くやったと言われましたが、スタッツは飛び抜けていても内容がすべて良かったとは思っていません。後半に相手に詰められたところで1本、2本と外して相手に流れがいったところもありました。シュートを確率良く決めるのはもちろん、プレーの選択という意味でもチームメートの持ち味を上手く引き出して、自分の理想とする「誰も止められないプレーヤー』に一歩も二歩も近付きたいです。

ウインターカップでは自分がレベルアップすれば、チームもレベルアップすると思っています。エースである自分が一番成長しなきゃならない。その姿をウインターカップで見せたいです。