池内勇太チームは毎年の足し算で成り立っている

2019年、弱冠30歳で千葉ジェッツのGMに就任し、編成部門のトップとしてBリーグ屈指の強豪チームを作り上げてきた池内勇太。異業種からプロバスケットボール業界に飛び込み、様々な経験を積み上げて現在に至る池内GMに、チーム作りに関する哲学を聞いた。

──千葉JのGMに就任されて今シーズンで6年目になりました。就任当時とはクラブの規模やチームの実力も大きく変わっているかと思います。ご自身とクラブの歩みを振り返るとどんな思いを抱かれますか?

当時は、今のようなクラブの姿を全然想像していなかったですね。僕が千葉ジェッツのGMに就任したシーズンは、新型コロナウイルスの影響で途中リーグ戦が中断という経験もありましたし、その時その時を必死に過ごしていたという感じなので、「あの時やその時に本当に頑張ってよかったな」ですかね。その中でいろいろな方がチームに関わって、ブースターの皆さまにも応援いただき、ここまでこれたので感謝の気持ちが強いです。

──特に「頑張った」と感じられるのはどのような点ですか?

GMに就任して以来、一番重きを置いてきたのはチーム作りであり、組織作りであり、カルチャー作りです。チームというのは1年ごとに切り替わるものではなく、毎年、毎年足し算をしていくものだというのが私の考え方。予算の兼ね合いや不可抗力な部分などで一筋縄ではいかないこともたくさんありますが、シーズンが終わるたびにスタッフたちと良かった点、悪かった点をしっかり洗い出して、次のシーズンに生かす、というプロセスでチームを作っています。

──池内GMが千葉ジェッツに根付かせようとしてきたカルチャーについて、具体的に教えて下さい。

私がこのチームに加わる以前から、千葉ジェッツは地域に根ざし、ブースターや地域の方々のために頑張るという意識がとても強いチームでしたし、私も「応援してくださる皆さんに思いや気持ちを届ける」という部分は引き続き大事にしないといけないなと思っていました。「自分たちが勝てれば良い」ではなく、バスケットボールファンやブースター、地域の皆さんにジェッツの試合を見て活力を与えられるような、「明日からの仕事しんどいけど、ジェッツを見たから頑張れそう」って思ってもらえるようなチームを作りたいと考えています。

そういった思いを土台に、選手、スタッフにも同様に求めながら、どういうプレーをしたらお客さんの心が動いて「またジェッツの試合を見に行きたいな」と思ってくれるか、というようなところを考えて、一つひとつをきちんと言語化して、細かなルールを含めたバスケットボールのスタイルを決めてきました。毎年メンバーが変わっても、ヘッドコーチが変わっても「ジェッツファミリーに活力を届ける」という点は最上位概念で、常にそこにどうやってアプローチしていこうかと考えています。

──池内GMはもともとテレビ局で報道に携わられていたとうかがっています。どのような思いをもって異業種に飛び込まれたのでしょうか?

その当時、東日本大震災の報道に携わる中で、様々な無力さを痛感したことが大きかったと思います。地域の人の心を動かしたり、もっとダイレクトに人々を元気づけられるものは何だろうと考え、私はそれをスポーツに見出しました。そして、26歳のとき、学生時代に打ち込んでいたバスケットボールの世界に飛び込みました。私たちのビジネスの大きくはBtoCなのでカスタマー、バスケではブースターや地域の皆さまですね。その皆さんに対して「千葉ジェッツができることは何だろう」ということは常に考えています。もちろん勝つためにやってはいるんですけど、勝ち負けを超えた「何か」を日々追いかけています。

──キャリアのスタートは西宮ストークス(現神戸ストークス)で、西宮時代にも、千葉Jでも、様々なご経験をされていると思います。一昨年には大野篤史ヘッドコーチ(現三遠ネオフェニックスヘッドコーチ)やスタッフ陣との別れもありました。

西宮の時は、今ほどBリーグは盛り上がっていなかったですし、もちろん今のように人もいません。試行錯誤しながら必死にもがいてやっていたことが今の私の礎になっていると思います。(ジェッツに来てからの)一昨年のチームの大きな変化も当時はもちろんいろいろな思いがありましたが、あの経験を経たから今があると思います。それは私だけじゃなくて、選手も同じ。全てが経験値となって、千葉ジェッツの成長につながりました。あの時も本当に大変でしたが、変わらずブースターの皆さまが応援してくれたからこそ、今の自分、そして今のクラブがあります。本当に感謝しかないです。

池内勇太渡邊雄太獲得に至るアプローチ

──ららアリーナ 東京ベイが開業した今シーズンは、さらに飛躍のシーズンとなりそうですね。

はい、クラブにとってとても大事な1年になると思っています。アリーナ建設の話が出始めたころからここのタイミングで良いチームを作り上げることを目指してきて、オールスターの開催が決定して、何のご縁か渡邊雄太がジェッツに加わってくれた。なんと言いますか、描いたようなストーリーの中にいる感覚ですね。いろいろなドラマの点と点が繋がってここまで来たな、と。しっかり結果を出さなければいけないというプレッシャーもありますが、ブースター皆さんたちとも一致団結して、最高の1年にしたいです。

──『渡邊雄太争奪戦』はバスケットボールファンの今オフ最大の関心事となりました。彼を射止められた決め手は何だったと思いますか?

そうですね…とにかく思いや熱量はしっかりと伝えました。彼がメンタル面で苦しんでいるということに関しても、思っていることをそのままストレートに伝えました。サポートしたいし、ジェッツにはこういうメンバーがいて、本当に楽しくバスケをやっている。渡邊選手とも一緒に楽しくバスケットをしたい。そういうことを伝えるための、ワクワクするようなプレゼンはできたと思います。アメリカで孤独と戦いながら努力していたのを理解していたので仮にジェッツに加入しなくても、彼には本当に心の底からバスケットを楽しんでほしいなって思いながら話したことを記憶しています。そんな中で、押しの一手は、彼と仲の良い富樫勇樹でした。ジャイアンツのV9を引き合いに出して「勇樹と雄太の2人がいたら、それを超えるような、日本のプロスポーツ界史上最高の偉業を目指せる。そんな景色を見に行きませんか?」というようなことを話させてもらいましたね。

──オファーを受けてくれることが決まったときは、どのような思いでしたか?

あまり実感が沸かなかったというのが正直なところです。当たり前ですけどNBAでプレーしているイメージが強いから、練習場でジェッツの練習着を来ている彼を見ていてもなんだか違和感があって、本人に「似合いますか?」と聞かれたときも「ま、まあまあかな」みたいな返事をしました(笑)。加入会見をしてようやく「ジェッツに入るんだな」と実感しました。

──涙を流されたり、ガッツポーズされたり、とにかく大きな喜びがあったと想像していたので、意外でした。

もちろん嬉しかったですし、自分の中では喜んでいたつもりですが、代理人との交渉がかなり長引いて、公になるギリギリまでどうなるかわからなかったこともあったので、とにかく現実味がなかったですね。いろいろな方が「すごいね」と言って、驚いたり喜んでくださるんですけど、自分はみなさんと同じ温度感でいられていないと言いますか、彼に対してのリスペクトも相まって、とても冷静に「本当にあのNBA選手がウチに来てくれるのか」ってずっと思っていました。自分でプレゼンしておいて何なんだって感じですけど(笑)。【後編に続く】