ビンス・カーター

「みんなを楽しませることができて光栄だった」

ビンス・カーターが2024年のネイスミス・バスケットボール殿堂入りを果たした。式典に出席したカーターは、「バスケを象徴する人たちの仲間に加わることを誇りに思う」と喜びを語った。

1998年にNBAデビューを果たしたカーターは爆発的な運動能力で大活躍し、1年目に新人王、2年目には最多得票でオールスターに選ばれた。ラプターズ、ニュージャージ・ネッツで全盛期を過ごした後、ケガでその運動能力をフルに発揮できなくなって以後もエースからシックスマンへ、ダンカーからシューターへと役割を変え、NBAのスタイルが高速化する中でウイングディフェンダーとしての腕も磨き、時代に合わせてプレースタイルを変化させることで1990年台、2000年台、2010年台、2020年台と4つの時代をまたいでプレーしたNBA唯一の選手となり、2020年に引退した。

「僕を応援してくれた人、その逆をやった人、僕を愛してくれた人、そうでない人。今日は皆さん全員に、声援とブーイングの両方に感謝したい。このリーグで22年間プレーできたのは、皆さんの声が原動力だったからだ。プレーでみんなを楽しませることができて光栄だった」

キャリアの中で一緒になった多くの仲間や関係者に感謝を語っていく中で、カーターは重要な一言を発した。「僕はラプターズの一員として殿堂入りする」

彼にとってもラプターズは、キャリア最初の6シーズンを、そして全盛期を過ごしたチームだ。1995年創設のラプターズはカナダ発のNBAチームだったが、最初は人気がなかった。それを変えたのが若きカーターの爆発的なパフォーマンスだった。いまやNBAで一大勢力となったカナダ人プレーヤーの多くが、子供の頃にカーターに触発されている。RJ・バレットは「カナダでバスケをやっていてカーターにハマらなかったヤツはいない」と言い、ケリー・オリニクは「みんな裏庭のリングに向かってカーターの真似をした。僕もその一人だ」と話す。

抜群の跳躍力でダンクを叩き込むカーターに付けられたニックネームは『エア・カナダ』。しかし、愛情は憎悪にも変わる。フロントと衝突したカーターが半ば強引にネッツに移籍すると、その呼び名は『裏切り者』や『臆病者』となり、彼がトロントで試合をするたびにブーイングの嵐となった。そのせいでラプターズが彼の背番号15を永久欠番にする決定は今年9月までなされなかった。

カーターは少々変わり者だったと言っていいだろう。コート上ではド派手なパフォーマンスを見せるが、スポットライトを浴びることを好まなかった。勝利にはこだわるが優勝にはこだわらず、アレン・アイバーソン擁するセブンティシクサーズとの『GAME7』を前に大学の卒業式に出るためチームを離れたこともあったし、キャリア後半は優勝争いのできる強豪をあえて選ばず、多くの出場機会が確保される中堅かそれ以下のチームでプレーし続けた。

良い時期と悪い時期の波が大きいキャリアではあったが、22年間続いたこと自体が偉大な足跡だ。優勝には縁がなかったが、引退から4年が経過した今、『殿堂入り』というタイトルを手に入れた。カーターは晴れやかな笑顔を浮かべてこう語った。「まるで殿堂入りした気分だよ」