ブレイク・グリフィン

『スター気取り』がなくなってリーダーシップを発揮

ブレイク・グリフィンが現役引退を発表した。2009年のNBAドラフトで全体1位指名を受けてクリッパーズに加わり、ケガでデビューは1年遅れたものの2010-11シーズンに22.5得点、12.1リバウンドを記録してルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。『ロブ・シティ』と呼ばれた時代のクリッパーズで7シーズン半を過ごし、ピストンズ、ネッツ、セルティックスで計14シーズンを戦う中で、オールスターに6回選出された。

昨シーズン終了とともにセルティックスとの契約が切れて、今シーズンはプレーせず。レギュラーシーズンが終わったタイミングでの引退発表となった。彼は自身のSNSにメッセージを投稿している。「自分が『バスケットボールへの手紙』で引退発表するとは想像していなかった。それは今も変わらないけど、自分のキャリアを振り返って表現したいと思ったのは感謝の気持ちだ」

この引退発表でファンが思い出す彼の姿は、スラムダンク・コンテストで自動車を飛び越えて決めたダンク、クリス・ポールの上げたロブを叩き込むアリウープ、エンタメ界との付き合いの中で俳優業に進出する噂、度重なる膝のケガ……。いずれにしても、その多くがクリッパーズでのものだろう。

だが、彼が『ロブ・シティ』を去ったのは2018年のこと。優勝候補だったチームが成熟期を過ぎた後、その司令塔だったクリス・ポールはロケッツに移籍して優勝への挑戦を続けた。自分の去就をコントロールする政治力があったクリス・ポールに比べると、グリフィンは少々お人好しすぎた。ポールに去られた後、グリフィンを中心にチームを立て直すと宣言したフロントの言葉を彼は真に受けたが、半年後にピストンズにトレードされた。初めてクリッパーズのアリーナに戻った時、グリフィンはファンの大歓声にはにこやかに応えたが、オーナーのスティーブ・バルマーの握手は無視して通り過ぎている。

グリフィンは2018-19シーズンにピストンズをプレーオフに導いたが、そこがケガを抱えた彼の限界だった。年々戦力を落としていくピストンズに付き合い、2020年以降はベテラン最低保証額でキャリアを続けることに。今シーズンも3000万ドル(約45億円)をもらってプレーし続けるクリス・ポールとは、プロとしての立ち回り方に大きな違いがあった。

それでも、グリフィンはNBAプレーヤーとしての自分の価値を開拓し続けた。ピストンズ時代に若手をサポートする役割を受け入れた彼は、ネッツで『ビッグ3』を支えるべく短いプレータイムで守備とリバウンドでハッスルし、セルティックスでは若手の良い模範となってロッカールームをまとめた。『ロブ・シティ』を離れたことでスター性を失ったが、それと同時にスター気取りの嫌味な態度も消えた。キャリア終盤の彼は天性の明るさとバスケへのひたむきな姿勢でチームを引っ張るリーダーとなった。

彼が最後のシーズンを過ごしたセルティックスは、現在プレーオフに向けた準備を進めているところだが、そのメディア対応で多くの選手がグリフィンへの感謝を語っている。ベテランビッグマンの役割を共有したアル・ホーフォードは「ブレイクのことは大好きだ。僕たちは今シーズンもずっと、彼が何らかの形で戻って来ることを期待していた。そうはならなかったけど、彼がこのチームを作ってくれたことに変わりはない。僕らは今でも彼といつも連絡を取り合っている。彼は素晴らしいキャリアを築いたんだから、それを祝いたい」

グリフィン自身もポッドキャスト番組『Pardon My Take』に出演した中で、引退を決断する前にセルティックスに戻る可能性があったことを明かしている。セルティックスは最後のロスター枠を空けており、昨年末にグリフィンにオファーを出したのだが、グリフィンは熟考の上でそれを固辞している。

NBAで長いキャリアを過ごしたが、優勝を勝ち取ることはなかった。ケガさえなければ『ロブ・シティ』で優勝していたかもしれないし、キャリア終盤にネッツやセルティックスを頂点へと押し上げられたかもしれない。それでも、グリフィンはやりきった。

引退発表の中で彼はこう言葉を綴っている。「敗戦、ケガ、手術、学び、失意、嫌われ者だったこと。そのすべてを認めなければスポーツ界の引退発表じゃないよね。このすべてが僕の14年間を忘れがたいものにしてくれた。バスケットボールは僕の人生に多くのものを与えてくれた。最後はお決まりの言葉で締めるよ、『次の章が楽しみだ』ってヤツだ」