10月14日に開幕するWリーグ2023-24シーズンでヘッドコーチとして2年目のシーズンを迎えるトヨタ自動車アンテロープスの大神雄子氏。チームスローガンに『アンテロープス・ウェイ』を掲げ、目指すのはリーグと皇后杯優勝。6月にFIBAの殿堂入りを果たした女子バスケット界のレジェンドが、今シーズンへの意気込みを語ってくれた。
誰もがヒーローになれるチームを目指して
——チームの状況はいかがですか?
いいですよ。昨シーズンから人数のバランスはそんなに変わっていませんし、1年目より2年目とビルドアップできています。具体的に言うと、コーチたちのリクエストへのリアクションが早くなりました。これはコーチ陣がやりたいバスケットボールを選手たちが理解し始めた証拠です。練習の強度は昨年から高かったのですが、今シーズンはその質も上がりました。
——選手やスタッフに入れ替わりがありました。影響はいかがですか?
馬瓜ステファニーが抜けたインパクトは大きいと思いますが、彼女を補う存在としてパワーフォワードの宮下希保が成長し、ポイントガードに安間志織も加わりました。トム(トム・ホーバス男子日本代表ヘッドコーチ)の言葉を借りれば「うちにはスーパースターはいないけど、誰もがヒーローになれる」というチームです。スタッフも変わりましたけど、リーダー的な部分は変わっていませんし、オフェンス、ディフェンス、スカウティングと完璧に分業制でやっているので、そこまでの混乱はありません。
——今シーズンの一番の強みは?
多彩なガード陣です。安間が帰ってきてくれて、山本麻衣もいて、アーリーエントリー選手だった横山智那美がルーキーシーズンを迎えます。私がガードだったというのもありますけど、「何やってくれるの、あの子たちは?」って、楽しませてくれます。シューターには平下愛佳と梅木千夏がいます。インサイドも「そろそろ自分たちが出ていくんだ」とトライできる選手たちです。そう考えたら、強みは多いですね。だから、私がどう味付けするかが大事になります。塩を入れるのか、コショウを入れるのか、みたいな。その日の練習を見て「どの5人がベストなのか?」、「どの3人がいいのか?」というところまで考え、常日頃から準備しておくことが大切だと考えています。
——昨シーズンはファイナルで敗れて悔しい思いをしました。
スポーツコーチングに携わるのであれば、結果を求めなければならないし、それがすべてというのが一つの真理です。勝ち切るために時には運も必要で、運を呼び寄せるのは経験かもしれない。なんと言いますか、勝利にはいろんな要素があると思っています。ファイナリストになって3連覇を取れるチャンスがあったという点は、少なからず未来に何かを残せるシーズンでした。振り返ることはしたくないんですけど、頑張ったか頑張ってないかで言えば頑張りました。準備したか、していないか、もちろん準備もしました。そういうところを洗い出して、今後にどう生かすかを考えることのほうが、今は多いです。
——当たり前ですが、現役時代よりも試合への準備の時間や労力は増していますよね。
そうですね。でも楽しければいいんですよ。選手と一緒にやる練習にエナジーを注げているわけですから、楽しければオッケーです。ただ、オフの過ごし方がわかりません(笑)。バスケットのことをずっと考えず、たまにはオフを作れよって自分に言い聞かせています。
アンテロープスが仲良し集団にならない理由
——大神ヘッドコーチの現役時代と異なり、Wリーグでは選手の移籍が増えています。変革の波をどう受け止めていますか?
ポジティブです。ただコーチとしては、そのような流れの中でチームカルチャーを築くのは難しいなと感じています。何年か先を見越したプロジェクトを設定し、毎シーズン結果を出すという責任を果たしながらカルチャーを築くのは簡単ではありません。選手たちは移籍によっていろんな機会が得られると思いますが、コーチにとっては挑戦です。
——トヨタ自動車は個の力を向上させるメニューが多いと聞いています。
はい。まず個人のスキルとフィジカルの向上がベースで、その上に戦術をのせるという手法を取っています。ワークアウトの時間、可視化する時間、トレーニングに費やす時間がめちゃくちゃ多いんです。そういうチームなので、強要するつもりはまったくありませんが、しっかり準備しないと朝9時半から始まる強度の高い練習にはついていけません。
ウチの選手たちの準備力はすごいですよ。7時半から黙々とシューティングする選手もいれば、7時から身体を温めるためにトレーニングする選手もいるし、食事まで気を遣う選手もいる。キャリアを積んだ安間、川井麻衣、山本たちがしっかりこういうことをやっているから横山や平下、梅木はメンターとして彼女たちを慕い、コーチやトレーナーが言うよりも先輩の行動を手本にする。若いチームだけど仲良し集団にならないのは、そういうところが理由かなって思います。
——海外からWリーグに復帰した安間選手にはどのような点を期待していますか?
日本のバスケットボールを体現できる選手だと思います。ボールプッシュができるし、ディフェンスもアグレッシブにプレッシャーをかけられる。さらに、自分でスキルのワークアウトをやる。プロフェッショナルとしてのマインドセットが何よりも素晴らしい。彼女の人間力ですよね。だから彼女の言葉一つにみんな聞く耳を持ちます。
——安間選手はすごいところもありつつ、天然というかかわいらしい部分もあります。
ありますよね(笑)。よく言う『沖縄タイム』みたいな時間感覚も持っているんですよ。ただ安間は「本当はそういうところが好きじゃない」って言っていました。沖縄に帰って家族と一緒に過ごすと、ゆるりとした感じが嫌に思うことが時々あるって。バスケットボール選手になって、環境がそうさせたのかもしれませんね。自分の中でしっかりとしたルーティン、『最強の習慣』を作り始めているタイミングなんだと思います。
朝のベッドメイキングから始まる習慣の積み重ね
——『最強の習慣』。素晴らしいですね。
習慣は最強だと思っています。ちなみに私が大事にしているのは、朝のベッドメイキングです。一日の始まり、起きた時にちゃんと布団をたためるか。ベッドを直せるか。小さな習慣の積み重ねが自分自身の強みに変わるし、一日の良いスタートができる。自信がないという選手に勧めているやり方です。
——選手の人間性にアプローチし、スキルや個人能力をどんどん上げ、そこに戦術を重ねる。これが大神ヘッドコーチ流のコーチングですね。
そうですね。ヘッドコーチは選手に「チームルールはこうだから絶対にこうしなさい」と言える権利を持っているかもしれませんが、そういったやり方は短期的にしか通用しないと思っています。人生は長いですから、選手が自分で考えて行動できるというところをもう一つのゴールにしないと。試合に勝つ中で人間的成長を促し、短期の目標設定を中長期につなげていくということは常に忘れてはいけないと思っています。
人生設計もそうですが、大切なのはどう逆算していくか。短期的に勝つことを目指せば何でもできると思いますが、それは私としてもチームとしても違う気がしています。お互いに様々なことを気づきあって成長するのがアンテロープス。私も選手に学ばせてもらっている毎日です。コーチ陣が楽しんで準備できれば、練習中も自然にポジティブな空気が流れるものだと思っています。
人を作り上げるのは環境です。自分で考える力が必要な時もあれば、ルールにのっとった遂行力を求められる時もありますが、そのバランスを取りながら最高の環境を作ること。それがヘッドコーチの役割だと思います。