ジョエル・エンビード

「それがフィラデルフィアであろうと、他のどこかであろうと……」

2022-23シーズンのMVPに輝いたジョエル・エンビードは、セブンティシクサーズにNBA優勝のタイトルをもたらすべく、持てる力のすべてを注いでいる。しかし、優勝争いのできる力はあってもプレーオフではセカンドラウンド止まり。ベン・シモンズ、ジミー・バトラー、ジェームズ・ハーデンと、どのスター選手と組んでもその壁を超えられない。

そして今オフ、シクサーズはハーデンからのトレード要求に揺れている。エンビードとハーデンは優勝に強いこだわりを持ち、その実現のためならどんな犠牲も厭わない覚悟を共有する『同士』だったはずだが、ハーデンはシクサーズに反発し、出て行こうとしている。

そんな状況でエンビードは先週、『Uninterrupted』のイベントに登壇し、これまで何度も語ってきたNBA優勝への熱い思いを口にした。「僕は何が何でも優勝したい。それがフィラデルフィアであろうと、他のどこかであろうと、優勝というものを経験してみたいし、その次の優勝を追い掛けたい。簡単なことじゃないし、1人や2人、3人でできることじゃない。僕自身、そのレベルに達するために毎日ハードワークをしている」

これが大きく取り上げられたのは「それがフィラデルフィアであろうと、他のどこかであろうと」というフレーズが含まれていたからだ。フリーエージェント市場はあらかた片付き、残る大物であるハーデンとデイミアン・リラードは膠着状態にあり、ネタが尽きれば取るに足らない話題が取り上げられる。こうしてエンビードの言葉は「ハーデンに続き、エンビードも退団か!?」と報じられることになった。

現時点ではそれだけの話だ。どんな見出しに飾られようが、エンビードのシクサーズへの忠誠は揺らがない。ただ、今後どう展開するかは注視すべきだ。火のない所に煙は立たず──。小さな火種がくすぶり、煙を出して炎上に至る。取るに足りない噂は無数に出てくるが、そのいくつかは現実のものとなる。

エンビードとハーデンのデュオには優勝を狙えるだけのインパクトがあった。不良債権だったベン・シモンズとのトレードでハーデンを獲得し、周囲を優秀なサブキャストで固めるチーム作りには説得力があり、それが結果的に上手くいかなかった今も、エンビードはフロントに不信感を持ってはいない。ただ、満足な見返りなしにハーデンを放出し、「優勝争いが現実的ではない」と思うような1年を過ごしたとしたら、来夏のエンビードとシクサーズの関係性は今とは違うものになる。

その場合の行き先として最も有力なのがニックスだ。2020年にニックスの球団社長となったレオン・ローズは、かつて大物代理人だった。ただこの3年間で大きな補強はジェイレン・ブランソンのみ。プレーオフには進出できるだけのチーム力はキープしつつ、市場の動きをずっと眺めている。

ニックスが欲しいのは、真のスター選手だ。実績はあっても超大型契約を抱え、あと何年トップレベルを維持できるか分からないベテランには見向きもしない。大都市ニューヨークに本拠を置く人気チームだけに噂は多いが、リラードにもハーデンにも、カイリー・アービングにも手を出そうとはしない。昨夏にはドノバン・ミッチェル獲得に動いたが、自分たちの思う適正価格よりも上をキャバリアーズが提示した時点で手を引いた。今オフもザック・ラビーン、カール・アンソニー・タウンズを狙ったが、ブルズとティンバーウルブズとの交渉は進まなかった。

ニックスが探すのはブランソンと相性が良く、優勝候補の筆頭へとチームを変える実力を持ったタレントだ。東カンファレンスの序列でバックスやセルティックスの後ろに並ぶのではなく、ライバルを飛び越えてトップチームへとニックスを押し上げられるタレントは、リーグの中にも数人しかいない。その一人がエンビードだが、ニックスは自分たちからアプローチしようとはしない。エンビードを取りに行くのは、シクサーズとの関係性が壊れた時だ。

移籍市場での経験が豊富なシクサーズのダリル・モーリー球団社長は、「それがフィラデルフィアであろうと、他のどこかであろうと」というエンビードの言葉が、クラブにとって切迫した危機ではないにせよ、炎が上がる前に消し止めなければならないことを理解している。だからこそ彼はハーデンの要求に屈するわけにはいかない。

難しいのは、このリーグはスター選手の力が強く、彼らが本気でトレード要求を押し通せば必ず移籍を勝ち取ることだ。かつてハーデンはロケッツを離れる際、練習に参加せず、パーティー三昧の姿をあえてメディアに晒し、トレード要求に応じないことがチームにどれだけのマイナスになるかを散々分からせてネッツへと移籍していった。今回、同じことをハーデンにやられて屈すれば、エンビードに愛想を尽かされかねない。

もともと契約延長交渉でハーデンのプライドを傷付け、トレード要求をさせたモーリーのやり方はマズかったと言わざるを得ないが、トラブルが起きた時にどう収拾するかがフロントの腕の見せどころでもある。シクサーズは新シーズンも優勝候補として開幕を迎えられるのか、それとも火種から炎が噴き出すのか。膠着状態はまだしばらく続きそうだが、時間が経てば経つほどシクサーズとモーリーは追い詰められることになる。