
ヨーロッパの小国、ルクセンブルグで小学校の教員をしながらレフェリーとして活動する日本人がいる。高岡雄太は大学卒業後も審判活動を続けていたが、海外への憧れを捨てきれず、世界へ飛び出した。香港、中国、そしてルクセンブルグと拠点を移しながら研鑽を積む彼に、海外で審判活動を行う理由と海外の審判事情について聞いた。
夢のために国内のA級ライセンス取得を断念
──まずは自己紹介をお願いします。
奈良県出身の現在39歳です。龍谷大を卒業してからアパレルで働き、小学校の教員になり、本業の傍らで審判活動を行っていたのですが、「いつか海外で働きたい」という思いをずっと持っていました。日本で上級審判を目指すか、海外で働く道を選ぶか。2つの選択肢を天秤にかけながら教員生活を送り、5年が過ぎた2017年頃に文部科学省の派遣で香港に行くチャンスをいただきました。当時はA級審判取得の審査中で、この海外派遣に参加したらライセンス取得ができなくなることがわかり、とても悩んだのですが海外に挑戦する道を選び現在に至ります。
──香港でどのようにレフェリー活動を続けられたのですか?
JBAレフェリーエキスパートの上田篤拓さんに現地の審判員を紹介していただいたおかげでレフェリーを続けることができました。さらに香港でもライセンスを取得できたので、プロもアマチュアチームも混在する男女それぞれの1部リーグを吹かせてもらえるまでになりました。ですが、本職の派遣期間が3年と決まっていたことと、教員免許の更新が迫っていたこともあって日本に帰国せざるを得なくなりました。
──その後も海外での活動を続けられていたとのことですが、どうやって次の場所に移ったのでしょうか?
コロナ禍の影響もあって海外に行くことができない時期がありましたが、社会情勢が落ち着いたタイミングで、今度は自分から海外の学校での求職を探して、上海赴任を決めました。ただ、上海のバスケットボール協会にレフェリー活動について問い合わせても返信がなかったので『レフェリーができないんやったら、もう上海を離れようかな』と考え始めていたんですが、それでも諦めきれず、アポなしで直接協会に向かったんです(笑)。
面会に応じてくれた人からは「中国語が喋れないなら無理だ」と言われましたが、それでも食い下がって「香港でもレフェリーをしていたし、ライセンスも持っている」と話していたら、横でそれを聞いていた関係者の方に助けてもらえて「俺が面倒見るから、この子を審判に入れてあげて」とねじ込んでもらって。2023年と2024年は上海の様々なゲームを吹かせてもらいました。
──ルクセンブルクに拠点を移したきっかけはなんだったのでしょうか?
香港にいた時からずっと行きたかったレフェリーキャンプに参加することができたのがきっかけです。ポーランドで毎年開催されているキャンプなのですが、オンラインでNBAのレフェリーの講義やユーロリーグを担当しているレフェリーの指導を受けられ、1週間まるまる朝から晩までレフェリー漬けの生活を送っていました。『こんな世界があるんや』と思って、『やっぱりヨーロッパやアメリカでレフェリーしたい!』という気持ちが強くなったからですね。
──なぜ、数あるヨーロッパの国の中でルクセンブルクを選んだのでしょうか?
最初はスペインやドイツ、フランス、セルビアといった国でやりたかったのですが、レフェリーをするためには就労ビザが必要でした。エージェントを経由してチームにも聞いてもらいましたが、わざわざレフェリーのために就労ビザを出してくれるチームはなく、いろいろと検討した結果、オファーをいただいたルクセンブルクの小学校で働きながらレフェリーをするという形になりました。
──これまでの話を聞いて、海外挑戦を続けられた情熱の源が何なのか気になりました。
言語が分かる中で吹くゲームと、言語が分からない中で吹く試合では得られる刺激が違うこと、そしてレフェリーとしてのスキルやコミュニケーション能力が日本よりも試されていることにバイタリティーが湧き、チャレンジしてみたいという思いが湧き上がってくるんです。

「Wake up!」と言われて火がついた闘争心
──レフェリーをする上で大事にしていることを教えてください。
見に来てくれた観客に「今日のゲーム良かったね」と言ってもらえるような試合進行。そして勝ったほうも負けたほうも全員が納得できるものを作り出す、陰の立役者となることをフィロソフィーとして持っています。
──海外で活動していく中で心が折れかけたり、審判を辞めようと思ったことはないのでしょうか?
2024年にアメリカのレフェリーキャンプに行った時ですかね。参加したのがプロアマ混在だったのですが「アメリカってこんなバスケットなんや」「このカテゴリーでこのレベルなんや」と圧倒されて、緊張もあって全然吹けなかったんです。そうしたらインスペクター(評価スタッフ)に途中で「Hey you, Wake up!」と言われたんです。「お前は何しに来たんだ? とりあえず吹け」と言われた時は、今まで10何年やってきたモノが全部へし折られた感じで「辞めようかな」と思いましたね。でも同時に、「このインスペクターを、ギャフンと言わせたい。日本人でもちゃんと吹けんねんぞ」という気持ちが湧いてきたんですよ。
今年、ロニー・ナンというNBAの元審判長が開催しているキャンプに行った時に、そのインスペクターの方がいらっしゃっていて、僕のことを覚えていてくれて。「2年前は全く笛も鳴らせなかったのに吹けるようになっているよ。めっちゃ良いね」と言われた時は、すごく自信になりましたね。
──日本と海外で、ジャッジの差や基準について戸惑うことはありますか?
海外はスキルもそうですが、フィジカルで勝負することが多いですし、プレーもコミュニケーションもアグレッシブです。特にルクセンブルクはドイツとフランスとベルギーの間に挟まれた小さい国ということもあって選手だけでなくレフェリーも国外から参加する人が多く、レフェリーもルクセンブルク人同士でクルーを組むことがほとんどありません。ぶつかり合えば選手のボルテージも上がりますし、感情の起伏も激しいのが特徴です。
──どのようにゲームを対応しているのでしょうか?
ヨーロッパのレフェリーはテクニカルファウルを躊躇なく吹きますね。審判がルールできちんと処理しないとゲームをコントロールできないので「もうちょっと話を聞いてあげてもいいんじゃない?」という場面でもすぐに吹きます。だから私もこっちに来てからは、テクニカルファウルを吹く回数がすごく増えました。
──レフェリーも多国籍ということですが、ジャッジラインのギャップはありますか?
日本で当たり前に吹いてたコールをすると「え?」と言われたり、逆に日本で当たり前にノーコールにしていたモノが「え?なんで吹かないの?」となったり。同じルールでも地域やカテゴリーごとに独自の判定基準があって、レフェリーだけでなくプレーヤーもそれぞれのラインを持っていることをすごく感じましたね。特にヨーロッパではシリンダー(コート上で選手が占有している『地面から天井まで伸びる垂直な円筒状の空間』を指し、選手同士の接触がファウルにあたるかどうかを判断するための基準)について厳しいイメージで、試合でもよくこのことについて会話します。
──現地の方と日本のバスケ界についても話すことはありますか?
最近は多いですね。ヨーロッパの選手が日本でプレーするという選択肢も増えてきていますし、パリオリンピックでの日本代表の躍進もあったので、いろいろな国の人から「日本って最近めっちゃバスケのレベル上がってきてるよね。やるじゃん」と完全に上から目線で話されることもあります(笑)。

「日本に帰ってプロレフェリーを目指すことを考えています」
──そういった話を聞いて、日本に戻ってレフェリーをしたい気持ちは生まれてきませんか?
日本のBリーグでプロレフェリーになることが現在の目標です。実は、ルクセンブルク行きが決まった時に、Bリーグからプロレフェリーを増やす話が挙がっていて、ルクセンブルクを蹴って日本に戻るか、すごく悩んだ時期がありました。それでも、日本に戻るよりヨーロッパに出るほうが乗り越えなくてはいけないハードルは高いと思いましたし、その経験を得てからでも遅くないと考えて、そちらを選びました。
──現在は日本でプロレフェリーとして活躍する方も多数いらっしゃいます。彼らの活躍はどのように見ていますか?
本当にすごいと思いますね。特に加藤誉樹さんはユーロバスケットの決勝にノミネートされたり、ワールドカップのセミファイナルを実際に吹いたりされていて、日本のレフェリーのレベルも上がってきているなと感じますし、僕もワクワクします。
──高岡さんも他のレフェリーが経験しないことをされていて素晴らしいと思います。
そうですね。海外で学校の先生をしながら審判をしているのは私しかいないのではないでしょうか。誉樹さんや(漆間)大吾さんのような活躍の仕方ではありませんが、全然違った活躍ができていることを自分でも誇りに思っています。
──海外で審判を続けているという強みを生かして、国際大会のジャッジを任せられるような可能性もあるのでしょうか?
FIBAのライセンスを持っていないので国際大会を吹くことはできないんです。FIBAの国際ライセンスの取得年齢制限は35歳で、原則過去2シーズンにわたって国内のトップカテゴリーで試合のレフェリーを担当していないといけないという条件があります。それが僕が海外に出た理由の一つでもあります。年齢的にもうFIBAのライセンスが取れない。だけど、海外でレフェリーをする方法があるということを香港で知り、自分の手で海外でレフェリーをするチャンスをモノにしてきて現在に至るといった状況です。
──今後も海外でレフェリーを続ける予定ですか?
もうすぐ40歳になるので、今の仕事の契約延長がなければ、日本に帰ってプロレフェリーを目指すことを考えています。
──日本でレフェリー活動を再開した時に取り組みたいことなど目標はありますか?
ルクセンブルクやヨーロッパの多くの国では、選手やコーチングスタッフ全員が必ず審判やテーブルオフィシャルと握手するんですよ。試合が終わってパッて去るのではなく、どれだけ判定に不満があろうが、最後は絶対に全員が握手して終わる習慣があって、ルクセンブルクという小さいリーグの中でも、基本的にはみんながリスペクトを持ってやっています。そういった習慣をBリーグの中に持って行けたらと思いますし、理解し合える環境を構築し、みんなでゲームを作ってるということを少しでも感じてもらえるようにしていきたいです。
──最後に読者にメッセージをお願いします。
海外にチャレンジしたいけど踏み留まっている、やってみたいけどなかなか一歩を踏み出せないという人も多いと思いますが、まずは行動を起こすことがすごく大事だと思います。悩んでいたことがメール1本で解決できたりすることもあります。チャレンジして切り開いていけば、いくらでもチャンスは開けると思うので。どんどん自分のやりたいように行動を起こしていると、必ずどこからかレスポンスは返ってきますし、受け入れてくれる場所も絶対にあります。「日本だから」と内に籠もるのではなく切り開こうと思えばいくらでもチャンスはあると思うので、いろいろなことにチャレンジしてください。僕も得た経験を持ち帰って、より良いバスケットボール環境を作れるようにしたいと思っています。