文・写真=丸山素行

『スラムダンク奨学金』は、日本の高校を卒業後、よりレベルの高いアメリカの環境に身を置いてバスケを続ける意思と能力を持つ若者を、費用をサポートしつつプレップスクール(私立の大学準備校)に派遣するもの。1期生の並里成(滋賀レイクスターズ)、2期生の谷口大智(秋田ノーザンハピネッツ)、4期生の山崎稜(栃木ブレックス)など、この制度を利用した多くの選手が現在Bリーグで活躍している。

第11期の奨学生に選ばれたのは桐光学園の小林良(写真右)と、昌平高校のホール百音アレックス(写真左)。2人は2018年4月から渡米し、セントトーマスモアスクールに入学するが、現在はまだ高校最後の年を過ごしている。アメリカ行きを控えた2人に話を聞いた。

バスケ歴5年のホール百音アレックスは『リアル花道』

桐光学園(神奈川県)の小林良は小学校1年でミニバスを始め、6年生の時に県の優秀選手賞を受賞。中学1年でジュニアオールスターに出場し、日本一に輝いた。中学2年で関東エンデバーとトップエンデバーに選ばれ、U-16日本代表候補となった。

彼にとっての挫折はU-16代表から落選したこと。「これまで感じたことがないぐらい落ち込みました。それでも応援してくれる方々がいて、やっぱりやめられない、あきらめられないという気持ちが強くなって、一から頑張ろうと思いました。その時に桐光学園バスケ部顧問の高橋正幸先生に『誰か挑戦してみるヤツはいないか』と言われたのが『スラムダンク奨学金』です」

もともと小林はアメリカ志向が強かった。横浜ビー・コルセアーズのジュニアユース(U-15)でヘッドコーチをしている、白澤卓の下、「アメリカに行ってNBAでプレーする」という夢に向かって努力を重ねてきた。桐光学園では小林の入学から創部以来初となる3年連続インターハイ出場を果たし、小林は間もなく最後のインターハイに挑む。

小林がビーコルのジュニアユースで練習に明け暮れていた頃、ホール百音アレックスはサッカー漬けの日々を過ごしていた。サッカーは幼稚園の年長で始め、小学3年からは大宮アルディージャのジュニアチームでプレーした。そのホールがバスケに転向したのは中学2年の時。遊びでやっていたはずのバスケが「自分に合っている」と思うようになった。

「でも、市の大会で負けたし、選抜にも選ばれず。昌平高校は関東大会どまりで、インターハイには出場していません」。それでもホールは高校1年の時に関東エンデバーに招かれ、そこで小林と出会った。ホールは「自分はバスケを始めてまだ短く、中2からなのでまだ5年目。バスケットIQは足りないし、高いレベルを経験していません。バスケの本場でやってみたいと思います」と言う。

小林が人生で初めて読んだ漫画が『SLAM DUNK』

ちなみに漫画『SLAM DUNK』は読んでいたのだろうか。『週刊少年ジャンプ』で連載されていたのは1990年から1996年まで。2人が生まれたのは連載終了のずっと後だ。

ホールはサッカーからバスケに転向した後、友人に聞いてその存在を知った。「漫画は少ししか読んでいませんが、テレビの一挙放送でハマっちゃいました。やっぱり主人公の桜木花道が好きです。ちょうど自分もバスケを始めたのが遅いし、似ているなあと思って」と言う。

小林は「兄がバスケをやっていて、家に漫画がありました。人生で初めて読んだ漫画が『SLAM DUNK』です」と言う。「僕は流川と沢北が好きで、プレーが追い付いていないので似てるとは思いませんが、頑固で冷静になれない時に周囲に支えてもらっている状況とか、アメリカでプレーしたい気持ちに感じるところがあります。『日本一の高校生になりなさい』ができていないので、まだ足りないですね(笑)」

彼らがあこがれるのはアメリカであり、それはすなわちNBAでもある。小林は「コービー・ブライアントを尊敬しています。メンタルの強さ、ストイックさでは誰もかなわないと聞くので。ステップワークやシュートフォームも参考にしています」と言う。一方のホールは「ドウェイン・ウェイドですね。スピードがあってバスケットIQの高い選手です。クリス・ポールとか、レブロン・ジェームズもカッコいいです」とNBAのスター選手の名をスラスラと挙げた。

Bリーグからも刺激を受けているが、それよりも彼ら2人に強いインパクトを与えたのが先日のU-19ワールドカップで目覚ましい活躍を見せた日本代表だ。小林が「U-16で一緒だった西田優大さんや鍵冨太雅さんが世界大会でプレーしていたのは刺激になりました」と言えば、ホールも「世界とバスケで対峙していて、自分もあそこでプレーしたいと思いました」と目を輝かせる。

「バスケットに関して妥協せず、チャレンジし続けたい」

高校ラストイヤーを過ごす2人は、アメリカ行きの準備も進めている。最初に取り組むべきは2人とも同じで、コンバートと英語だ。小林は中学時代から一貫してシューティングガードとしてプレーしており、「アウトサイドが得意なので、プッシュじゃなくてスペーシングやミートからの1対1を意識しています」というスタイルでやってきたが、これからはポイントガードの勉強をする。「身長が高くないので、ゆくゆくはポイントガードとしてプレーできるよう準備してきました。今もシューターとしてのプレーが多いのですが、周りを生かすプレーを意識的に増やしています」と185cm78kgの小林は言う。

187cm89kgのホールはセンターとしてプレーしてきたが、今後はガードとしてプレーするつもりだ。「今はセンターとして20得点13リバウンドぐらい、ほとんどはペイント内でのプレーです。ドリブルも問題だし、これから大変ですが、自分で点数を取れて周囲も生かせる、ゲームの中で重要な選手になりたいです。アシストするのも好きなので大丈夫です」。彼はスラムダンク奨学金の最終選考で、今までやったことのない2番ポジションでプレーし合格をつかんだ。「何本かシュートが入ったのですが普段はセンターなので、自分でも驚きました」と笑う。案外、ガードの適性があるのかもしれない。

話題が英語になると、2人とも居心地が悪そうになる。ホールは「勉強の面は正直すごく不安です。今まではサッカーかバスケを全力でやって、家に帰ってきた時には疲れて寝ちゃう感じだったので」と言う。小林も「英語ができないと授業も付いていけないと思うので、そこから始めないといけません」と大変そうだ。それでもホールが「アメリカに行く以上は必要なので、勉強しなきゃいけないとマインドチェンジしました」と言えば、小林も「バスケのために必要であれば乗り越えます」と覚悟はできている。

英語や生活環境への順応に苦労することもあるだろうが、若い2人はアメリカ行きの期待に胸をふくらませている。「アメリカに行くと思うだけでワクワクしてしまって、不安を考える前に期待してしまいます。幼稚園の頃から英会話はやっていて、ちゃんと始めたのは高校からですが、スラムダンク奨学金の最終選考でも現地のコーチと少しだけコミュニケーションが取れたので良かったです」と小林は語る。

ホールも「不安もありますが、新しい環境と新しいポジション、楽しみのほうが大きいです」と言う。「英語はそんなにできないですが、リスニングはある程度できるし、コミュニケーションについては身を任せていれば心配ないと思います。まだ時間はあるので、どうにかなるかと」

恵まれた身体能力を生かし強烈な勢いで成長するホールと、幼い頃からエリートでありながら努力を欠かさなかった小林。2人のこれまでの歩みは花道と流川にたとえられるぐらい対照的だが、「バスケットボールに関して妥協せず、チャレンジし続けたい」という気持ちと『バスケの国』へのあこがれは変わらない。

小林は「NBAに行くという夢をいろんな人に支えてもらって長い間準備をしてきたので、そこは譲れない部分です」と言い、ホールは「漠然としていますが、バスケはアメリカが一番なので、そこでやりたいです。いきなりアメリカに行くことは不安ではありますけど」と言う。『スラムダンク奨学金』で夢に向かう2人に今後も注目したい。