「途方もない夢、それ以上の経験をさせてもらった」
8月27日、スパーズのマヌ・ジノビリが現役引退を表明した。
ジノビリは、Twitterに次のメッセージを投稿。「いろんな感情が入り混じっているけれど、今日、僕はバスケットボールからの引退を発表する。この23年間、自分の人生にかかわったすべての人たち(家族、友人、チームメート、コーチ、スタッフ、ファン)に心から感謝している。最高の旅路だった。途方もない夢を見てきたけれど、それ以上のことを経験させてもらった」
Today, with a wide range of feelings, I'm announcing my retirement from basketball. IMMENSE GRATITUDE to everyone (family, friends, teammates, coaches, staff, fans) involved in my life in the last 23 years. It's been a fabulous journey. Way beyond my wildest dreams. pic.twitter.com/3MLCUtmd6K
— Manu Ginobili (@manuginobili) 2018年8月27日
1999年のドラフト全体57位でスパーズから指名されたジノビリは、スパーズでの16年間で優勝4回に貢献した他、2008年にはシックスマン賞を受賞。また、2005年と11年にオールスターに、そして2008年と11年にはオールNBAサードチームに選出された。そして、1000試合以上に出場した選手としては、NBA史上最高勝率である72.1%(762勝295敗)をマークした。
アルゼンチン代表としても1998年から2016年までプレーしたジノビリは、2004年のアテネ五輪で母国に金メダルをもたらした他、2002年のバスケットボール世界選手権(現FIBAバスケットボール・ワールドカップ)で銀メダル、2008年の北京五輪で銅メダルを獲得。NBAでプレーする前に所属したイタリアのヴィルトゥス・ボローニャ時代にはユーロリーグ優勝も達成し、元アメリカ代表のビル・ブラッドリーに次いで史上2人目のNBA優勝、ユーロリーグ優勝、オリンピック金メダル獲得を達成した選手となった。
スパーズとの契約をあと1年残していたジノビリは、先週末にヘッドコーチのグレッグ・ポポビッチと面会し、去就について話し合った。1年前にも引退を検討していたジノビリは、ポポビッチに慰留される形で昨シーズンもプレーしたが、今回はコートを去る決断を下した。
ジノビリが引退を決断した背景には、盟友トニー・パーカーの退団も大きかったとも言われている。パーカーは、昨シーズンから先発ポイントガードの座をデジャンテ・マレーに譲ったが、出場機会を求め、フリーエージェントとなった今オフ、東カンファレンスのホーネッツと2年契約を結んだ。
スパーズに黄金期をもたらしたティム・ダンカン(2016年に引退)、パーカー、そしてジノビリの『ビッグ3』全員がチームを去ることに。ダンカンと同様に、ジノビリも近い将来スパーズから功績を称えられるだろうし、有資格者となればバスケットボール殿堂入りも間違いない。
変幻自在のステップを含む類い稀なテクニックを駆使し、2000年代からNBAを盛り上げたスター選手が、コートに別れを告げた。
#GraciasManu por todo! pic.twitter.com/8252qgCmvi
— San Antonio Spurs (@spurs) 2018年8月27日