トニー・パーカー

写真=Getty Images

「もしポップが2回目のチャンスを与えてくれなかったら」

スパーズ一筋18年のNBAキャリアを送ったトニー・パーカーは、この夏フリーエージェントになり、東カンファレンスのホーネッツと契約した。

ティム・ダンカン、マヌ・ジノビリとの黄金期を支えた司令塔は、スパーズで4度NBAの頂点に立った球団レジェンドの一人だ。フリーエージェントになった後もスパーズとの再契約を検討したが、昨シーズンからデジャンテ・マレーに先発の座を譲ることに同意したパーカーは、出場機会を求めて移籍を決断した。

パーカーは、スパーズへの感謝の気持ちを綴った文章を『Players’ Tribune』に寄稿した。そこには、これまで語られることのなかった恩師グレッグ・ポポビッチとの秘話が書かれている。

2001年のドラフト全体28位でスパーズから指名され、NBA選手になる夢を叶えたパーカーだったが、その前にポポビッチの前で失態を晒したという。パーカーは、17年前に受けたワークアウトでの出来事を、こう振り返った。

「僕は、コーチ・ポップの前で、最低のプレーを披露してしまった。しかも、考えられる限り最悪のタイミングでね。球団は、ワークアウトで対戦する相手に、ランス・ブランクスという元NBA選手を用意してくれた。彼とのマッチアップではこてんぱんにやられてしまって、僕は単なる10代の選手でしかなかった」

「コーチ・ポポビッチについては、『頑固』というイメージがついてしまっているかもしれない。でも、もしポップが自分に2度目のチャンスを与えてくれなかったら、僕はNBA選手になれていなかったかもしれない。彼は僕をもう1度ワークアウトに呼んでくれて、アピールするチャンスを与えてくれた。2回目の対戦では、ランスを相手に前回より良いプレーができた。厳しい対戦だったけれど、なんとか持ちこたえられた。多少なりとも実力を見せられたと思う。そうしたら、2001年のドラフト全体28位でスパーズから指名されたんだ」

ポポビッチは、1回目のワークアウトでパーカーの才能を見抜いていたのだろう。それでも、もし2回続けてパーカーがアピールに失敗していたら、彼をドラフトで指名していなかったかもしれない。

パーカーは、2017年のプレーオフで痛めた大腿四頭筋の負傷から復帰した昨年末、マレーを先発に固定する時期がきたと恩師に自分から提案し、その旨を自分の言葉でマレーにも伝えたという。チームを優先して物事を考えられるようになったのも、ポポビッチの薫陶を受けたからこそ。スパーズでの役割を次の世代に託したパーカーは、ポポビッチと球団への感謝を胸に、新天地での挑戦を決めた。