北卓也

10月11日のホームゲームで川崎ブレイブサンダースは、70年を越える歴史の中で初めて永久欠番セレモニーを行う。フレッディ・カウワン、節政貴弘とともに選出されたのが北卓也だ。選手、ヘッドコーチの両方でリーグ優勝を経験し、現在はGM(ゼネラルマネージャー)を務めるMr.ブレイブサンダースに、背番号への思い、そしてチームへの思いを聞いた。

「他の選手があまり着けていない番号にしたい」

──永久欠番について聞いた時はどんな印象でしたか。同じく永久欠番になるカウワンさん、節政さんの2人について教えてください。

最初は「こういう企画をやるんだ」という感じでした。企画の存在自体は小耳に挟んでいましたが、何の永久欠番か分かっていなかったです。カウワンについては実際プレーを見たことはないですが、OBの方たちは彼のことをよく言っていて、どれだけすごい選手なのか聞いていました。

節政は同期で一緒に東芝初の優勝もしましたし、選ばれても驚きはないですね。選手としての日本代表などの経歴でいうと、僕よりも上だと思います。今は解説者を務めていますけど、彼の解説はとても分かりやすいですね。あまりバスケットを見ていないはずなのに……と思いつつもいろいろなことを知っているので、これはしっかり勉強していて情報を集めているんだと思っています。

──北さんの背番号51に対する思い、なぜ51番にしたのかを教えてください。

僕が東芝に入社した当時、リーグ規程で背番号は4番からの連番でした。それが何年かしたら1番から55番までOK、ただ下1桁が6から9はダメでその他は大丈夫なルールになりました。最初は大学時代と同じ7番をつけていましたが、ルール変更で違う番号にしたいと考えました。そして当時、NBAでアンファニー・ハーダウェイが活躍していたこともあって、彼と同じ1番にしました。ただ、それだと他のチームにも1番がたくさんいて、『1番=北』にならない。他の選手があまり着けていない番号にしたいと1番は1シーズンだけにしました。

そこで次のシーズンは他の人があまりつけていない番号にしようとガイドブックで調べたら51番は1人だけでした。イチロー選手が活躍していたこともあって、遊び感覚で51番にしましたが、それがきっかけでした。

──51番にした時は、最後まで51番で行こうと思っていましたか。

51にした当時、自分でパソコンを買いメールアドレスを設定する時に51を入れました。それで51を変えづらくなってしまったところはあります(笑)。

北卓也

「ヘッドコーチで優勝した時はうれしさよりも安堵」

──現役時代の一番の思い出を教えてください。

初優勝の時だけなく、入れ替え戦も印象に残っています。良くない時、自分が入った時の目標だった優勝と両方を経験しているのが思い出です。ファイナルよりも入れ替え戦の方が緊張しました。1年目の時でしたが、負けたら2部に落ちる。会場は埼玉県の越谷市で相手はゼクセルと、ほぼアウェーみたいな状況でした。それでより緊張したことを覚えています。

──ヘッドコーチとしての一番の思い出は何になりますか。

立場はヘッドコーチと選手では違いますが、目指しているのは優勝で同じです。選手の時は優勝したらすごくうれしい。それが、ヘッドコーチで優勝した時はうれしさよりも安堵した方が大きかった。その気持ちの差はありました。

──川崎は70年の長い歴史がありますが、その中でも自分が「チーム最高のシューティングガードだ」という自負を持って現役の時にプレーしていた部分はありますか。マッチアップしたら今の同じポジションの選手には負けないという気持ちはありますか。

そういう気持ちはみんなあるでしょう(笑)。でも昔のバスケットと今はスタイルも違います。NBAでもマイケル・ジョーダンと比べて、今の現役選手はどうなのかという話がよく出るのと同じで、明確な結論が出るものではないと思います。

ただ、今の同じポジションの選手たちが、多分こういう気持ちなのかということは理解できます。Bリーグになって、もし自分がプロ選手になったらどうしていただろう、とか。もし、自分が辻(直人)とマッチアップしたらどうなっていただろうなど、空想したことはあります。

北卓也

「立場が変わっても変わらない接し方をしてくれる」

──今はGMとして選手を獲得する立場になりました。早く自分を超える新しいスター選手を加入させないといけないと思いますか。

すでに今の選手は超えているのではないでしょうか。長く川崎で活躍してくれる選手を獲得したいですし、そういう選手が育ってほしいです。

──ファンの方々に北卓也とはどんな選手だったと伝えたいですか。シューターとしてのイメージも一般的には強いと思います。

シューターではないと思っていました。ルーズボールに飛び込みむし、泥臭いプレーもやってディフェンスも重視する。そして、勝負どころでみんながボールを託してくれていたので、そこでシュートを決めないといけないと責任を持って練習から取り組んでいました。チームの中心選手として、とにかく優勝するためにはどうするのか、それを常に考えていました。そして何よりもバスケが好きで、チームのため、東芝のため、応援してくれる人たちが喜んでくれるためプレーしていた感じですね。

──昨シーズンは、試合前にアリーナの入り口前に立ってファンとも触れ合っていました。中には現役時代から応援してくれている人たちもいます。同じチームにそれこそ20年以上いるからこその長い付き合いとなるファンもいると思います。

東芝の時、自分が選手の時から応援してくれている方たちがいて、コーチ、今はGMと立場が変わっても変わらない接し方をしてくれて本当にうれしいです。そういう方たちとはずっと変わらずに大切にお付き合いをしていきたい。例えば現役時代には小さなお子さんだった方が、今は結婚されていて再び会いに来てくれる。そういうのを見ると私も歳をとったなと実感します。この繋がりはとても大事ですし、ホームゲームに来てくれれば世間話ではないですが、ファンの皆さんと雑談をすることは今のコロナ禍の状況が改善されたら続けていきたいです。