尽誠学園を強豪へと引き上げた色摩拓也コーチ(前編)「この3年間が大事だった、と振り返ってもらえる指導を」

尽誠学園を強豪へと引き上げた色摩拓也コーチ(前編)「この3年間が大事だった、と振り返ってもらえる指導を」

2020/10/28
尽誠学園

尽誠学園はウインターカップに過去13年で12回出場し、2度の決勝進出を果たしている『四国の雄』だ。また、NBAプレーヤーである渡邊雄太を輩出したチームとしても知られる。しかし、伝統ある強豪校というわけではない。創部9年目の初出場までは全国大会を経験しないチームだった。「最初は部室もなかった」ところからチームを強豪へと引き上げた色摩拓也コーチに、指導者としての考え方やチーム作りのポリシーを聞いた。

「やっていることは間違ってない」の言葉が励みに

──まずは色摩コーチのここまでの経歴についてお聞かせください。

大阪府出身で、洛南から大阪経済大に進みました。大阪経済大のコーチを2年間やりながら教員免許の必要単位を取得して、尽誠学園に来て現在に至っています。中学生の頃から教員としてバスケを指導したいと思っていたのですが、大学になって違う道に進もうと考えを変えました。大学4年間もバスケは頑張っていて、教員の単位を取ると練習の時間も少なくなってしまいます。それほど器用な人間でもないので教員の道はあきらめていたんです。

それで就職の内定もいただいていたのですが、そこで自分をごまかしていることに気付いて、内定を辞退させてもらって大学に残り、教員免許を取ることにしました。大阪経済大の監督が私がバスケの指導者になりたいと相談したところ、その2年間はいきなりヘッドコーチを任せていただきました。そうして教員免許を取り、尽誠学園の校長が私の履歴書を見て興味を持ってくれました。22歳で大学を卒業して、大阪経済大で2年、そして尽誠学園で23年というのが私の指導歴になります。

──ここ13年でウインターカップに12回出場しています。逆に言えば13年前まではウインターカップに出ていませんでした。

全国大会に出るのが目標ではなく、全国大会で戦えるチームを作ろうと意識してやってきましたが、勝てない時期も長かったです。最初は部室もありませんでしたし、体育館もなかなか思うように使えませんでした。香川県の公式戦で、尽誠に勝ったチームが「俺たちに負けるチームがあるんや」と言いながら私の前を通っていくこともありました。

全国で勝負したいという野望を持って指導者になったのに、バスケ以外のことに時間をたくさん取られたり、選手は一生懸命にやってくれているのに勝たせてあげられなかったりで悩んだこともありました。それでサボったり自暴自棄になったりはしませんでしたが、本当にいろんなことを考えた時期でした。

それでも県でベスト8ぐらいには入れるようになって、ある方から「サボることなく今のチームのレベルを落とさずにいれば、何かしらチャンスは来るよ。あとはそのチャンスをつかめるかどうか」という言葉を言われました。私自身、その言葉の本質は分かっていなかったのですが、「やっていることは間違ってない、頑張って続けよう」と言われると励みになりました。そうして練習も、練習以外のこともレベルを下げずに続けていくことができたと思います。

──そうやって努力を続けていた中で、チャンスが来たわけですね。

そういうことになります。初めて全国大会に出た時は、香川県でウチに来てほしいと思った中学生の選手たちが集まったんです。今までは香川県選抜のような実力のある子がバスケをやるために尽誠学園に来る意味が分からない、という感じで全然来てくれなかったのですが、その時は香川県の優秀な選手が来てくれました。その子たちが3年生になった時に初めて全国大会に出て、そこから全国大会に出る土台が出来上がりました。

尽誠学園

高校時代の渡邊雄太は「チームありきで行動してくれる選手」

──指導するにあたって心掛けていることは何ですか?

『高校生を教えている』ことを大事にして、卒業後もこの3年間が大事だったと振り返ってもらえる指導をしたいです。バスケで偏った指導はしたくなくて、基本的にみんなが同じメニューをします。みんなで走って守って考えて、というのは意識しています。

ウチは大学に行ってもバスケを続ける子がすごく多くて、関東や東海、関西などで30名近い卒業生が頑張っています。大学の監督から「尽誠の選手はディフェンスを頑張る」とか「頭が良い」と言っていただけるのは、すごくうれしいことですね。

卒業したら尽誠学園のプレーヤーではないので、各大学の指導者に見られて評価されます。大学のスタイルが合う合わないもあって簡単ではない中で、選手たちがディフェンスやオフェンス、また考える部分で評価されて、それが尽誠学園の評価にもなっていく。大学で頑張って評価されているという話を聞くと、自分のやってきたことが選手たちに上手く伝わっているんだと思います。

もちろん、全員が全員上手く行くわけではないし、尽誠卒業後の次のステージで失敗してしまっている選手もいます。なかなか高校に顔を出しにくいかもしれませんが、そういう時こそ尽誠学園でやってきたものにプライドを持って、それを思い出して生活してほしいです。

──尽誠学園の卒業生にはNBAでプレーする渡邊雄太選手がいます。渡邊選手は尽誠学園に来た当初からすごい選手でしたか?

正直、中学時代はそこまでの選手ではなかったと思います。ジュニアオールスターの香川県選抜でも主力ではなかったし、身長もそれほど大きかったわけではありません。入学当時は渡邊より力を持っていた選手は他にもいたと思います。彼が一番真面目かというとそうでもなくて、彼の学年に限らず正しく努力する選手は毎年何人もいます。

それでもやっぱり彼は規格外の選手で、尽誠学園にいる間に高校のレベルとしては頭一つ抜け出しました。日本代表候補に選ばれてもいたので、「君は注目されていて、君の行動で尽誠学園のすべてが決まってしまうよ」という話を個別で呼び出してすることはありましたね。無責任な行動をしたことがあったので、寮生だったのですが家に帰したこともあります。

ただ、そういった指導をすると同時に、特別な存在の選手に対しては、集団の対応とは違う対応をしなければいけない時もある、という思いもありました。私の話を真面目に聞き入れて、チームありきで行動してくれる姿はちゃんと見て評価してあげるべきだということです。渡邊が3年生のウインターカップでは、私はチームで攻めたい気持ちがあったのですが、終盤になって彼が自分で行きたいのであれば攻めていい、という指示を出しました。

──渡邊選手に限らず、教え子から学ぶことはありますか?

渡邊はちょっと規格外だと思うんですけど、選手から学ぶことはいっぱいあります。やっぱり子供たちに追い付かれないように、気持ちやバスケへの情熱、バスケを学ぶ勤勉さだったりは、絶対に負けたくないという気持ちは今でも持っています。選手たちから学ぶこともありますが、選手たちに伝えるものがなくなってしまえば、指導者としてあまりにみっともないですよ。だからいつまでも選手たちに頼られる存在、何か困った時に「最後は先生に」という存在でありたいと思っています。

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