文=丸山素行 写真=B.LEAGUE

負けられない戦いで17得点と躍動

横浜ビー・コルセアーズは昨日、西宮ストークスとの残留プレーオフに連勝しB1残留へ望みをつなげた。第1戦を3点差で落とし、文字通り崖っぷちの戦いとなったが、この逆境を土壇場で跳ね返した。

「昨日はみんな堅くなっていました。僕らはいつも余裕を持つべきというか、気合いが入りすぎると空回りするので、今日は良い意味でリラックスをして行こうという話をしていました」

そう話すのは、第2戦で17得点を挙げた細谷将司だ。第1戦は大事に行きすぎてタイミングが遅れたり、ギャンブルして精度を欠き、17のターンオーバーを犯した。だが肩の力を抜いて試合に臨んだことで、この試合ではわずか6ターンオーバーと一夜にして劇的に安定した。

第1戦から改善が見えたのはターンオーバーだけではない。選手の積極性が明らかに変わっていた。「全員がタクさん(川村卓也)を見てしまうというところがビーコルのダメなところでもある」と細谷が言うように、第1戦の最終クォーターでは川村に得点が集中し、相手にとって少なからず守りやすい印象を与えた。

だが先述したように細谷が17得点を挙げたことで、西宮ディフェンスに的を絞らせなかった。「昨日は3ポイントを打ってなくて、今日も前半2点しか取ってなかったので、このまま終わりたくないという気持ちもありました。後半1本目のスリーが入ってスイッチが入ったというか、打ち続けようというイメージはありました」

第3戦を見据えて「50分間戦い切る」準備

第2戦で大勝し、第3戦に引きずりこんだ横浜だったが、プレータイムを制限していた岡田優とバーンズの個人技に手を焼き、3点のビハインドを背負って前半を終えた。さらに後半最初のオフェンスをミスし、西宮に2度オフェンスリバウンドを拾われ、バーンズの3ポイントシュートで差は6点に広がった。

前後半5分しかない第3戦では、大きなランが起こる可能性は低く、この6点ビハインドは極めて危険だった。それでも「相手がゾーンというのもあって、とにかくアグレッシブに行きました。それで流れができたかな」と言うように、停滞ムードを細谷が変えた。この大事な場面で3ポイントシュートを沈め1ポゼッション差に戻すと、直後のディフェンスでオフェンスファウルを誘発。結果論だが、細谷の3ポイントシュートから12-4と上回り、横浜が勝利した。

「昨日、絶対負けてはいけない試合を落としてしまい、直後にロッカールームで、絶対明日はゲーム3も含めて50分間戦い切るとチーム内で決めていました。そういった決意や覚悟がチーム全員に芽生え、この結果につながったと思います」と細谷は振り返った。

第3戦での勝利をリアルに思い描き、思考が現実化したのだ。

古巣である西宮への特別な思い

細谷は一度就職するも、バスケ選手への夢をあきらめきれず退職し、夢を追いかけたBリーグでは珍しい選手だ。当時の栃木ブレックスの下部組織『TGI D-RISE』でキャリアをスタートさせ、そこでの活躍が認められ、西宮ストークスの前身である兵庫ストークスに加入した。細谷は西宮への特別な思いをこう語る。

「僕がプロを目指して、トップリーグに行きたいという夢をずっと持っている中で、一番最初のトップリーグのチームが兵庫ストークスでした。その時の僕はお金もなく、生活していくのもやっとの中で、ブースターさんとか、スクールの生徒さんだったりとかが僕を支えてくれたんです。この間もアウェーで大阪に行ったんですけど、兵庫のブースターとかスクール生の皆さんが来てくれました。そういう繋がりをすごく大切にしてくれる方たちなので、だから特別な思いで試合をやっていましたが、本当に感謝しかありません」

B1残留を懸けた真剣勝負だったにもかかわらず、西宮ブースターの数名が細谷に握手を求めていたのは、そうした背景があったから。また、谷直樹や道原紀晃、梁川禎浩は当時一緒にプレーしていた戦友だ。敗戦のショックが大きいはずの道原も、取材で顔を合わせると冗談交じりに互いを罵り、笑顔を取り戻していたのが印象的だった。

「皆さんの声援のおかげであと一つ戦うことができます。あと一回だけ僕らに力をください」とファンに言葉を投げかけたように、横浜のB1残留はまだ決まっていない。自分を育ててくれた感謝と、西宮ブースターの思いを背負い、細谷は最後の戦いに挑む。