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バッシュ調達に困っていた父親の力になったポップ

最愛の妻を亡くしたスパーズのグレッグ・ポポビッチ。『ポップ』の愛称で多くのNBAスター、レジェンドから愛される名将に、世界中からお悔やみのメッセージが届けられている。

レイカーズ時代にポポビッチのスパーズと何度となく激突したシャキール・オニールも、哀悼の意を表したレジェンドの一人だ。そして、レギュラー出演している『NBA on TNT』で、ポポビッチと自身に関する知られざる秘話を明かした。

話はシャック一家がサンアントニオに住んでいた1980年代後半にまでさかのぼる。シャックの父親はポポビッチと同じく元軍人で、ある件で感謝してもしきれないほどの恩を受けたという。シャックは妻を亡くしたポポビッチにお悔やみの言葉を述べた後、こう続けた。

「以前、一度だけポップと言い争いになったことがあった。するとポップと同じ元軍人の父からすぐに電話があって、『今後、ポップへの尊敬を欠く行動は慎め』と言われたよ。それから父が、あるストーリーを話してくれた。自分たちがサンアントニオ住んでいた1989年当時、父には俺のサイズの靴を買うだけの余裕がなかった。自分の足は36cmか37cmくらいの特注でね。それで父はスパーズの施設に行った。父に何足かのシューズを譲ってくれたのはポップなんだ。父が家に持ち帰ってくれたそれを俺は履いていた。ポップ、あなたのために祈りを捧げます。このようなことになって残念に思う」

1989年というと、ポポビッチはスパーズのアシスタントコーチになって2年目で、大学レベル、プロレベルで数々の成功を収めた名伯楽ラリー・ブラウンの下で指導者として経験を積み始めた時期だ。

それから3年後、シャックはNBAドラフトでマジックから全体1位指名を受け、2011年に現役を引退するまでに優勝4回、MVP受賞1回、オールスターに15回も選出される大スターに成長し、2016年にはバスケットボール殿堂入りも果たした。

バスケットボールに魅せられた人間の一人として、息子のために困り果てたシャックの父親の力になりたいと思っての行動だったのだろうが、偶然とはいえ、シャックとポポビッチは、遠からぬ縁で結ばれていた。