仙台89ERSのシンボル、志村雄彦が引退「27年間幸せなプレイヤー人生でした」

2018/04/07
Bリーグ&国内
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文=鈴木健一郎 写真=仙台89ERS、本永創太

「悔いのないように、毎日戦おうと思ってやってきた」

仙台89ERSのシンボルともいうべきプレーヤー、志村雄彦が今シーズン限りでの現役引退を表明した。

仙台出身の志村は仙台高をウインターカップ連覇に導き、入学時には2部だった慶應義塾大を4年時に関東リーグとインカレのダブル制覇へと導いた。卒業後は東芝ブレイブサンダースを経て2008年に仙台89ERSへ。それから10年、チームを牽引し続けてきた。ポイントガードとしても一際小さい160cmの彼がそれを成し遂げたのは、得点もゲームメークもディフェンスもすべてをこなし、その背中で仲間を引っ張るリーダーシップがあったからだ。

その志村が35歳で現役を退く。昨日、会見を行った志村は、「私、志村雄彦は、仙台89ERSの選手としてユニフォームを脱ぐことを決断したことを皆さんに報告したくて、このような会見を開かせていただきました」と語り始めた。

第一声こそ緊張が感じられたが、しっかりとした考えを自分の言葉で語ることができる彼は、試合後の取材対応と同じように、今の心境や自身の置かれた状況をはっきりとした言葉にした。

「バスケットを始めてからプレイヤーとして27年間、幸せなプレイヤー人生でした。仙台高校で日本一も経験させてもらって、慶応大学でチャンピオンになり、そして東芝という素晴らしいチームにも加入させていただき、そして何よりも地元の仙台89ERSというクラブに10年間お世話になり、プレーヤーとしては非常にたくさんの方に支えられてここまでやってこれました」

「毎年のように自分がプレーヤーであり続ける意味を考え、毎年が勝負と考えてプレーしてきました。なので、悔いはありません。いつ終わったとしても悔いのないように、毎日戦おうと思ってやってきたつもりなので、優勝したことも負けたことも、シュートが入ったことも外れたことも、すべてが僕の力でしたし、それ以上でも以下でもなく毎日積み重ねてきたことで、悔いはありません」

「僕自身は正直まだやれるという思いはありました」

「体力的な面とかメンタル面とか、僕自身は正直まだやれるという思いはありました。その中で決断を後押し、背中を押してくれたのは、来シーズンから新体制になる渡辺太郎さんです。高校の先輩なのでよく知っていますし、同じ仙台高校の時から学年はかぶっていないんですけど、同じ高校で育って同じ志を持って仙台のバスケットを強くしたいという熱い想いを僕は太郎さんから聞いて、『強いチームを一緒につくろう』という一言が僕の胸に刺さって、ここで僕はもう一度仙台89ERSのために力を、今度はプレーヤーとしてではなく、フロントスタッフに入って戦おうという想いが湧き上がりました」

「正直、その時にはプレーヤーとしてまだやりたいという葛藤もあったし、シーズンの途中だったので消化しきれない気持ちもあったのですが、それ以上にワクワクする、一緒に仙台のチームを強くしようと言ってくれた太郎さんの思いを受けて戦いたいので。僕は仙台高でウインターカップに勝って、仙台にバスケットで明るいニュースを届けられました。それを仙台89ERSというプロの球団でもやりたいので決断しました」

志村が言う渡辺太郎とは、新シーズンから経営権移譲で生まれる新体制で球団社長となる渡辺太郎のこと。志村が具体的に何をやるのかは、「これから決まっていく」とのこと。それでも「一社会人としての経験も力も未熟なので、チームが強くなるためならば何でもするつもりです。まずはトイレ掃除からやります」と意気込みを語った。

「仙台89ERSを強くしたいという気持ちはあります」

記者からは指導者への転身の可能性についての質問が投げかけられたが、志村は次のような表現で否定する。「僕みたいに我の強い選手が多い中で統率を取るのは相当大変なので、大変そうな仕事だなあと。僕はやろうとは思わないです」

「もちろんプレーヤーとして一つ区切りはつきますけれど、これから仙台89ERSを強くしたいという気持ちはありますので、皆さんぜひこれからも応援していただければありがたいなと思います」

小学校の時に、父親に連れられてNBAを見て「あの舞台でプレーしたい」と思ったのが志村のキャリアのスタートだった。現役選手としての挑戦は終わるが、強くする対象がチームから球団に変わるだけで、志村の姿勢は変わらない。強い89ERS、地元の子供たちに「あの舞台でプレーしたい」と思わせる89ERSを作る、志村の新たな挑戦はすぐにスタートする。