開志国際

新型コロナウイルスの感染拡大はスポーツ界にも大きな影響を及ぼし、高校バスケではインターハイ中止が大きな衝撃をもたらした。今の高校3年生は『勝負の年』を邪魔され、なかなかバスケットボールに打ち込むことができない。それでもチームを2つに分けて練習を再開している2018年のインターハイ優勝校、開志国際を訪れると、フロアに選手たちの大きな声が響いていた。インターハイ中止にさぞかし気落ちしているかと思いきや、若い選手たちの気持ちはすでに切り替えられていた。自分の成長と開志国際のバスケットをやることに集中し、勝負の時に備えているジョーンズ大翔と小野功稀に、その心境を聞いた。

「インターハイがなくなることは考えていた」

──まずは、それぞれの自己紹介をお願いします。

ジョーンズ 埼玉県出身、ポイントガードのジョーンズ大翔です。お父さんがナイジェリア人で、お母さんが日本人です。姉がバスケをやっていたのがきっかけでバスケを始めました。ドライブして、フリーができたらそこに合わせていくプレーが得意です。

小野 青森県出身の小野功稀です。ポジションはフォワードで、シュートが得意なのでフリーでは絶対外さないつもりでやっています。僕も姉がバスケをやっていて、クラブチームに付き添いで行っていたら興味を持って始めました。

──バスケを離れたらどんな感じなのか、お互いに教えてください。

小野 ジョーンズはオンとオフがしっかりしてて、やる時はやるんですけどオフの時はふざけて結構怒られたりしています。

ジョーンズ 功稀はゲームばかりやってるのと、あとは変な面白い遊びをやってますね。昨日も縄跳びをしてて、最初は練習で縄跳びをやっていたはずなんですけど、途中からふざけちゃった感じで、じゃんけんで負けたやつが縄跳びしながらコート一周を走るっていう訳の分からない遊びをやってました(笑)。

小野 真っすぐジャンプするためにと自分で考えて練習していたんですが、おかしくなっちゃいました(笑)。

──ジョーンズ選手は怒られる時は何をやって怒られるんですか?

ジョーンズ 授業中に集中してなかったり宿題をやっていなかったり、バスケではそんなことないんですけど学校の成績は聞かないでって感じです。特に数学はちょっとヤバいですね……。

小野 僕は結構、先生に媚を売って成績を上げてもらうタイプです。テストは少なくともヤバい点数は取らないようにして、課題はちゃんと出す(笑)。

──2人とも自分の代になってすぐ新型コロナウイルスの影響で部活ができなくなりました。1年生の時にインターハイ優勝を経験していて、「自分たちの代でも」という気持ちがあったと思います。大会の中止が決まった時は何を思いましたか?

ジョーンズ その前にもう練習もできなくなっていたので、僕はなんか実感がなかったです。「ああ、そうか」みたいな。

小野 学校も一度閉鎖になったので、帰省していたんです。その時にインターハイがなくなることは考えていたので、中止が決まって一気にショックを受けることはありませんでした。

開志国際

「今はモチベーションには事欠かない感じです」

──帰省しても自粛ばかりで何もできなかったですよね。学校にはいつ戻って来たんですか?

ジョーンズ 2月下旬から3月いっぱいまで帰省していましたが、家でゴロゴロしていました。

小野 僕は体育館が少しだけ使えたので、その時はシューティングを中心にシュートの感覚は忘れないようにやっていました。

ジョーンズ 学校が開いたので戻って来ましたけど、戻って来てすぐに僕は足首を捻挫したので、練習は合計2カ月半ぐらいできなかったんです。でも、その間にトレーニングを頑張っていたら、前より身体が良い感じになってきました。今は練習も再開してバスケットができるようになって、モチベーションには事欠かない感じです。

小野 6月までは体育館は使えても練習はなかったので、ずっとシュートしか打っていなくて、シュートは大丈夫なんですけど体力が戻るまではしんどかったです。今はだいぶ走れるようになりました。

──開志国際に来て、自分がバスケ選手として、また人間としてどの部分が成長したのか、振り返ってもらえますか?

ジョーンズ 入学した頃はバスケでは何もできなくて、それに加えてどうすれば上手くなれるのかも分かりませんでした。今も上手くはないんですけど、アメリカのスキルコーチと出会ったりして、何をやればいいのかは分かった気がします。1年生の時から試合に出ていたんですけど、最初は周りの目ばかりを気にしていました。でも、自分をコントロールできるのは自分しかいないし、逆に周りの評価は自分でコントロールできないので、自分のことだけに集中しようと考えるようになったので、そこは人としての成長だと思います。

小野 僕は中学生ではセンターをやっていて、外の動きは全然やっていませんでした。何も知らないままフォワードをやるようになって、最初はとりあえずシュートばかり狙っていたんですけど、2年生の途中でアメリカのコーチが来てくれたのをきっかけにドライブも意識するようになりました。自分ではまだまだですけど、少しずつ上手くなっている実感はあります。あと2年の時は大事な場面でミスをしてメンタルの弱さが出たりして、富樫先生からも指摘されていたんですけど、最近は気持ちの切り替えができるようになって、結構楽にプレーできるようになりました。

ジョーンズ 功稀は最初は全然しゃべらなかったんで、ちょっと怖かったです。今はよくしゃべるし面白い性格です。

小野 入学前の僕は人見知りで暗い性格だったんですけど、開志が明るいチームでみんな結構ふざけ合っているので、僕も明るくなりました。ジョーンズも最初はしゃべらなかったですよ。仲良くなるまでは、お互いそんなにしゃべる方じゃないので。

ジョーンズ 今は学校でも席が近いのでふざけ合ったりしてます(笑)。

開志国際

「自分の中に心残りがなければ後悔はしない」

──まだウインターカップという大きな目標が残っていますが、それは別として卒業後はどんな道に進みたいですか?

ジョーンズ 高校を卒業したらアメリカの大学に留学するつもりです。まだ決まったわけじゃなくて調べている段階なんですけど、日本の大学は考えていません。アメリカの大学を出て、アメリカかヨーロッパでチャレンジしたいです。

小野 僕は日本の大学に行って、上のレベルでいろいろ学んでBリーグを目指したいです。

──大変な1年になってしまいましたが、どんな形で終われたら『高校バスケに悔いはない』と言えると思いますか?

ジョーンズ 本番で勝ち続けることができたら悔いは残らないと思いますが、その日のためにできることをどれだけ考えて実践できるか。それが間違っていたら違う方法を考えてまた取り組む。その積み重ねがどれだけできるかだと思います。

小野 自分の中に心残りがなければ後悔はしないと思うので、その試合までの過程で自分のやるべきことを常に120%やっていきます。ウインターカップ優勝を目指してやりますけど、もしそこに届かなくても自分的にもチーム的にもやりきることが大事だし、それができれば自分たちも気分が良いし、見ている人にも楽しんでもらえると思います。

ジョーンズ そう、開志国際らしいバスケがしたいです。シュートが入ったらベンチも全員喜んで、決められたら全員で悔しがる、そんな一体感があるのが開志国際らしい楽しいバスケットなので。

小野 楽しく高校生らしいバスケットで、ギャラリーまで一体になって、見ている人があこがれるようなチームになりたいです。