チームUSAのオリンピック3連覇に貢献
1980年から名門デューク大学のバスケットボール部ヘッドコーチを務めるマイク・シャシェフスキーは、NCAA優勝5回を含め、数々のタイトルを同大にもたらしたレジェンドだ。
その影響力はNBAでも大きく、2005年からはアメリカ代表のヘッドコーチも兼任。2008年の北京、2012年のロンドン、そして2016年のリオデジャネイロ大会で金メダルを獲得し、オリンピック3連覇を果たして代表ヘッドコーチを退いた。当然ながら、これだけの実績があるシャシェフスキーにはNBAチームも注目し、ヘッドコーチとして招聘しようと試みた。しかし、『コーチK』の愛称で知られる彼は、首を縦に振らず、デューク大に留まることを決断した。
そのシャシェフスキーが、『Sports Illustrated』とのインタビューで、セブンティシクサーズ、レイカーズ、セルティックスからオファーがあったこと、そして、それを引き受けなかった理由を語った。シャシェフスキーによれば、2003年にシクサーズから接触があった当時は「関心がなかった」という。彼が興味を示したオファーは、NBAの名門セルティックスとレイカーズから提示されたものだった。
「興味を持ったオファーは、今までに2つあった。1990年にデイブ・ガビットがセルティックスのフロントに加わった時に面談を受けた。それから2005年にレイカーズとも話したが、最終的にはどちらも引き受けなかった。皮肉なことに、1990年の話を断った時には、その翌年に大学にとってNCAA初優勝を達成できたし、2年続けて優勝できた」
『たられば』だが、もしシャシェフスキーがNBAのヘッドコーチを引き受けていたら、アメリカの大学バスケットボールの歴史は大きく変わっていただろう。シャシェフスキーは、チームUSAのヘッドコーチというオファーをもらえたからこそ、NBAチームの指揮官にならなかったことを後悔せずに済んだとも語った。
「2005年にレイカーズからのオファーを断った数カ月後、ジェリー・コランジェロ(USAバスケットボール・マネージングディレクター)から代表チームのヘッドコーチを頼まれた。長期で代表を指揮する初めてのヘッドコーチというポジションで、11年も務めることができた。NBAの埋め合わせができた、とでも言うべきかな」