コービー・ブライアント

シーズンを通してカメラが密着、数年後の公開を目指す

マイケル・ジョーダンを当時の秘蔵映像で追うドキュメンタリー作品『The Last Dance』は、シカゴ・ブルズが築いた王朝時代の終焉となった1997-98シーズンを克明に解き明かし、大きな話題となっている。

様々な困難に直面しながら『チームとしての旬を過ぎた』はずのブルズが6度目の優勝を成し遂げるまでを収めた作品への評価は高く、すでに次のエピソードの配信を楽しみにしているファンも多い。第1話と2話が配信されてから1週間、1月下旬に事故死したコービー・ブライアントも同様のドキュメンタリー作品を製作していたことが明らかになった。

『ESPN』によれば、コービーは自身の撮影クルーを使い、現役最終年となった2015-16シーズンを通して撮影をしていたという。『The Last Dance』の製作スタッフと同様、それまで前例がなかったほど舞台裏の撮影が認められたというのだ。

コービーのドキュメンタリー作品撮影について、レイカーズの広報を27年務めたジョン・ブラックは「撮影クルーは、それまでになかったほどのアクセスを認められていた。リーグが認めるものなら、可能な限りすべて許可していた。時には目配せをして、もっと踏み込んだところの撮影も許可したものだよ」と語っている。

コービーにとってレイカーズ20年目のシーズンは、球団史上ワーストの17勝65敗に終わった。同シーズンのレイカーズに所属し、Bリーグのサンロッカーズ渋谷でもプレーしたロバート・サクレは、当時の撮影の様子を、「シーズン中とは思えなかった」と振り返っている。「チームは勝てていなくてフラストレーションも溜まっていた時期だった。それでもカメラが目の前にいて、なかなか大変だったよ」

しかし、このシーズンはコービーが1年かけて全米を回って『引退興行』をしたようなもの。どのアリーナでも、これまで『憎たらしいライバル』と見なしたコービーの最後のプレーを見ようとファンが押し寄せた。そしてステイプルズ・センターでのラストゲームへと至る。

この作品は、数年後の公開を目指して編集段階にあった。コービーも事故死する以前に映像を自ら確認し、アドバイスを送っていたという。コービーの急死という思いがけない事態に直面したが、予定通り公開を目指すようだ。

現役最後の試合となったジャズ戦で60得点を決め、『マンバ・アウト』という名セリフとともにコートを去ったコービー。彼のラストイヤーを余すところなく収めた作品の公開の実現を、楽しみに待ちたい。