「初めて正真正銘のチャンピオンになった感じ」
2020年の天皇杯、サンロッカーズ渋谷は決勝で川崎ブレイブサンダースに78-73で競り勝った。そして、貴重な働きを見せたのが山内盛久だ。ゴール下のアタックで相手守備を切り崩していくだけでなく、3ポイントシュート2本中2本成功を含む9得点に3アシストを記録した。
bjリーグ時代に琉球でタイトルを獲得してはいるが、当時のリーグが分裂していた状況でつかんだ日本一とは思いも違う。「あの時は2つのリーグがあって、日本一と言われても、心の中では少し『本当に日本一か?』と疑問の部分もありました。こうやってリーグが一つになって、bjもNBLのチームも関係ない。そこで優勝できて、初めて正真正銘のチャンピオンになった感じはあります」
この大一番での活躍など、今はチームで確固たる存在を築いている山内だが、練習生から這い上がり6シーズン在籍した地元の琉球ゴールデンキングスを離れることになったBリーグ初年度の終了後、一度はそのまま引退することも考えていた。しかし、そこで周囲の後押しもあって、キャリア続行を決断し、SR渋谷に加入し、日本一のタイトルをつかんだ。
「すごくうれしくて、本当にあそこで辞めないで、こうやってプロを続けてきて良かったと今は思います。プロバスケットボール選手のキャリアを続ける後押しをしてくれた奥さん、家族にすごく感謝しています。そしてSR渋谷に入れたのは、今のヘッドコーチのむーさん(伊佐勉)が声を掛けてくれたのがきっかけです。むーさんの下で日本一になれたのも特別な思いがあります」
伊佐コーチ「今年は経験値からくるプレーが頼もしい」
山内が特に言及する伊佐コーチとは琉球時代も師弟関係にあり、伊佐の考えを最も理解していると言える。そこには指揮官も絶大な信頼を寄せている。「練習中にあえて山内に質問してみんなに聞こえるように答えを出させる。試合でもどこからダブルチームにいけというと、今までの経験からすぐにわかって実行してくれるので相当に助かっています」
ちなみに2人のつながりは山内の高校時代から続いている。伊佐は当時のことを次のように振り返る。「彼は興南高校の後輩です。僕が興南のアシスタントコーチを務めていた時、彼は高校2年生でチャラチャラしていましたが、バスケセンスなど光るものは持っていて、そこで監督の先生に「面白いと思うよ試合に使ってみたら」と言っていました。また、山内には「ちゃんとやれ」と言い続けていました。2年生の時は、大会でスコアをつけているような選手でしたが、3年生の時はシックスマンとして良い仕事をしていたと思います」
3年生になって出場機会を得た山内だが、大学から声がかかることもなく高校卒業後は専門学校を経て伊佐も所属していたクラブチームに入る。そして、その縁からプロバスケ選手になりたいと相談を受け、伊佐の仲介もあって琉球の練習生となっての今がある。
そして、指揮官は、初めて見た時から10年以上が経っての愛弟子の成長にこのように目を細める。「センスはあるので、体が細かったのをどうにかできればものになると思っていました。ただ、今の姿は全く想像できなかったです。身体つきは全く違います。特に今年は経験値からくるプレー、発言がとても頼もしいです」
「5月にもう一度こうやって喜べるように」
日本バスケ界で最も歴史ある大会の天皇杯、その決勝はまさにバスケエリートのみが集う場であった。そこで、アマチュア時代は全くの無名だった自分がプレーしたことに「本当に自分の中では、天皇杯はテレビで見るもので、こうやって決勝の舞台でまさか自分がプレーするとは思ってもいませんでした」と山内は言う。
それでも、そこに緊張感は全くなかったという。「準決勝の試合後、石井 (講祐)さんが『決勝は最高に楽しい舞台』と言っていましたが、その通りでコートに入って緊張感も全くなかった。本当にバスケットボールを楽しめた1試合でした。そして、しっかり勝てて良かったです」
今の山内の活躍は、学校で思うような活躍ができなくてもプロバスケ選手の夢をあきらめきれない若者に大きな希望を与えるものだ。昨日の活躍は、1つの大きなサクセスストーリーが結実した瞬間と言える。ただ、これも彼にとってあくまで通過点の1つだ。
「自分たちが目指しているものはBリーグのチャンピオン。天皇杯の優勝もそのためのプロセスだと思っています。5月にもう一度こうやって喜べるように準備していきたい」
SR渋谷が二冠を達成するためには、ヘッドコーチの意図を誰よりも体現できる存在として、山内のコート内外における活躍が引き続き大切となってくる。