1985年1月29日生まれ、大阪府出身。207cmの身長を生かしたインサイドプレーから外角シュート、ドライブ、アシストパスと幅広い活躍を見せる日本屈指のオールラウンドプレーヤー。昨年のアジア選手権ではアグレッシブなプレーで攻守に渡りチームを牽引した。
「どんな相手にも一泡ふかせてやるという気持ちで臨みます」
OQT(FIBAオリンピック世界最終予選)の出場権が懸かった昨年のアジア選手権では、平均32.6分出場し攻守でチームを牽引する働きを見せた。中でも光ったのはリバウンドの貢献度だ。インサイドの要である竹内公輔をケガで欠いた中、平均11.9本(大会2位)のリバウンドを奪取し、チームも1試合平均40.3本で参加16チーム中8位に食い込んだ。日本にとって最大の課題であり、かつ懸念材料だったリバウンドで互角に渡り合えたことが18年ぶりのアジア選手権4位につながり、同時にOQTへの扉を開く鍵になったことは間違いない。一戦ごとに力をつけていった日本の戦いぶりに竹内自身も手応えを感じたようだ。
「勝ち負けはありましたが、戦ったどの相手に対しても、しっかり日本のバスケットを展開すれば十分通用するということ、勝てるチャンスはあるということを実感できた大会でした」
双子の兄、公輔とともに洛南高校時代から『日本のバスケットボール界の次代を担う逸材』として注目を集めた。それまでの2メートル超の選手と一線を画したのはスピードと機動力だ。インカレ(全国大学バスケットボール選手権)を制した東海大3年次には、決勝開始直後にリバウンドを奪うと自らのドリブルで敵陣営を突破し、そのままゴールを決めるコースト・トゥ・コーストをやってのけた。
この頃から名実ともに『新時代の大型オールラウンドプレーヤー』の呼び名が定着するようになる。初めて代表チームに招集されたのは2004年(大学2次)、2006年のFIBA世界選手権で初めて世界の舞台を踏んだ。
「でも、全然ダメでしたね。当時は自分に自信がなかったから、常に相手を過大評価していたような気がします。まあ、自分より格上の相手とばかりやってきたこともありますが、相手の身体つきを見て、こいつ俺より強そうやな、パワーで負けそうやな、みたいなことを考えて、やる前から一歩退いてしまうところがありました」
結局、この大会は日本開催という地の利を生かすこともできず、5戦1勝4敗という成績に終わった。
チェコに関しては勝機は十分あると思っています
あれから10年。今、コートの上にはチームの柱となった竹内がいる。彼の強みはボールを手にした時の的確な状況判断だ。中に攻めるか、打って出るか、あるいはどこにパスを出し誰を活かすか、彼が起点になることでチームのオフェンスパターンは確実に増す。センター、フォワードのくくりを超えて、時にはガードの役割までこなす207cmは相手にとって非常に厄介な存在だ。
10年の時を経て、再び世界に挑むことになった今、竹内自身は自分の変化をどう捉えているのだろう。
「一言で言えば自信がついたということでしょうか。近年はNBLにも実力のあるすごいビッグマンが入ってくるようになって、そういう選手と戦うことで(サイズやパワーに)慣れていったということもあります。今では(対外試合で)ガタイのいい外国人選手を見ても、『なんや、うちのハイトベルト(日立サンロッカーズ東京のチームメートだった211cmのジョシュ・ハイトベルト)よりショボイやん』と思ったりして(笑)。そのぐらい気持ちに余裕が持てるようになったし、少なくとも10年前みたいに退いてしまうことはなくなりました。むしろ相手がすごい選手だとちょっとわくわくしますね」
昨年の遠征で対戦したチェコ代表チームには2011年NBAワシントン・ウィザーズに1巡目6位でドラフトされたヤン・ヴェセリー(現トルコリーグ、フェネルバフチェ・ユルケル所属)がいたが、その姿を見たとき「おっ、ヴェセリーや!」と胸が躍ったらしい。
「昔の自分だったら、『ヴェセリー? マジかよ、あんなすごいヤツにつけへん!』とビビったかもしれないけど(笑)、今はよし、やったるで~みたいな、絶対一泡ふかせてやるという気持ちがあります。そう思うと戦うのが楽しくなってくるんですよね」
その試合は20点ほど差をつけられて敗れたが、気落ちすることはなかった。「点差はリバウンドの差であり、それ以外は互角に戦えていたと思うんです。そういう意味では点差ほどの力の差はなかったというか、リバウンドの部分を徹底できれば勝てない相手ではないと感じました」
来るOQTではチェコは日本と同じくセルビア(ベオグラード会場)大会のグループBで出場。予選リーグの最終戦で顔を合わせることが決まっている。「もちろん、まずは初戦のラトビアに勝つことが肝心で、それがもっとも大事なことですが、チェコに関してはさっきも言ったように勝機は十分あると思っています。勝ち切りたいですね」
もし負けることがあっても、前のめりの負け方をしたい
戦う以上狙うのはもちろんリオデジャネイロ・オリンピックの出場権だが、目下の目標は予選リーグ突破だ。
「世界の舞台に立つのは10年前の世界選手権以来ですけど、あの時は果敢に戦えなかったという後悔があります。世界と戦うことは一筋縄ではいかないと思いますが、それでもやらないで負けるより、やって負けた方がいい。あっ、別に負けるつもりはないですよ。あくまで勝ちを狙いにいきます。ただ、もし負けることがあっても、前のめりの負け方をしたい。ミスを恐れずぶつかっていくというような。あっ、だから負けるつもりはないですよ。これは戦う上での気持ちと覚悟の話です」
自身がケガで代表を離れた一昨年、兄の公輔がケガで代表を離れた昨年。この2人が同じ日の丸を付けて久々にコートに立つ。「どちらかがリバウンドを取れば、どちらかが走れる。それはチームにとって大きいですね」と語った長谷川健志ヘッドコーチの言葉を伝えると、「まあ、それは当たり前のことなんで」と、さらりとかわされた。
2人はバスケットを含め、普段ほとんど話をしないと聞いて、「バスケットの話もしないんですか?」と驚くと、「話、してほしいんですか?」と、今度は笑顔で切り返された。それでも『次代を担う選手』という看板を背負って走り続けてきた2人にはともに積み重ねてきた時間がある。互いに分かりあえるものがあるなら、それを今さら言葉にする必要はない。他人に言うのはなおさら気恥ずかしい。
「僕もケガで代表を離れ。また戻ってこれたときはすごくうれしかったし、多分あいつ(公輔)も今、同じような気持ちじゃないですかね。練習を見てても気合い入ってるのがわかりますし(笑)」
ともあれ、公輔の復帰により昨年に比べインサイドでの負担は軽減されそうだ。だが、そう考えた瞬間、次の答えが返ってきた。「いえ、自分がやることは同じです。インサイドもアウトサイドもリバウンドもシュートもすべてに積極的に絡んでいきたい。どんな相手であろうと、果敢に仕掛けていくつもりです」
過去OQTで勝ち星を挙げたアジア勢は1チームもない。それほど厳しい大会であることを承知しながら、それだからこそ楽しみにしている自分がいる。「なんでしょうね。わくわくしてるんですよ。思えば10年前の自分と今の自分、一番大きく違ったのはそんなところかもしれません(笑)」