大野篤史

好評発売中の『Basketball Lab』(バスケットボール・ラボ、東邦出版)より、千葉ジェッツを率いる大野篤史のインタビューをお届けする。「日本のバスケットボールの未来。」と題した特集の中で、ルカ・パヴィチェヴィッチ(アルバルク東京)、佐々宜央(琉球ゴールデンキングス)、安齋竜三(宇都宮ブレックス)、古賀京子(三菱電機コアラーズ)とともに、自身のコーチング哲学を語る。

profile 大野篤史(おおの・あつし)
1977年石川県生まれ。2000年、日本体育大学卒業。早稲田大学院を経て修士。2000年、三菱電機バスケットボール部所属。2006年、パナソニックトライアンズ所属。2001年、日本代表メンバーに選出。2010-2011シーズン途中よりパナソニックトライアンズのアシスタントコーチに就任。広島ドラゴンフライズのアシスタントコーチを経て、2016年に千葉ジェッツのヘッドコーチに就任し、チームを天皇杯3連覇に導いている。

立ち返る場所になるチームカルチャー

我々千葉ジェッツふなばし(以下ジェッツ)は、「責任」というチームカルチャーを持っています。試合をする以上、勝つことが目標になりますが、そればかりを追いかけてしまうと、勝ってるときはいいのですが、負けているときに立ち返る場所がなくなってしまいます。勝つことよりもジェッツとしてなにを提供できる存在になるか、市民球団として支えてくれているブースターの皆さんにどのような存在にならなければいけないのかをチームとして追求してきました。

我々はお金をもらっているプロである以上、スポンサーもブースターもお客様になります。我々の商売は、物を売ることではなく、感じてもらうものです。支えてくれている人たちが、ジェッツの試合を見て「楽しかったからまた明日も頑張ろう」「ジェッツの応援をしたい」「週末、試合に行くのが楽しみ」などと思うような楽しさや喜び、生きがいを提供する存在になる必要があります。

プレーヤーも人間ですから好不調の波が必ずあります。しかし、その一試合しか見ることができないブースターもいるのです。そのような状況で「調子が悪い」や「気持ちがのらない」などといったことは、なんの言い訳にもなりません。調子が悪くても、気持ちがのらなくても、一試合しか見ることができないブースターに自分が持っているすべてを見せる「責任」があるのです。

応援しているチームが勝つことは、ブースターの胸を打つ瞬間のひとつとなるでしょう。しかし、先ほども述べたように好不調の波が必ずあり、負けてしまうこともあります。我々は、たとえ負けたとしてもブースターの胸を打つ瞬間を提供しなければならない。その意味で、「勝ち方」より「負け方」が重要なのです。たとえ20点差で負けたとしても、最後まで戦おうとしたかどうかが問われます。好不調の波の中で、一試合を通してどのように負けるかが我々の「責任」が問われるところ。つまり「責任」とは、勝利に向かって必死に戦う真摯な姿であったり、諦めない姿として表現され、そのような姿は勝敗にかかわらずブースターの胸を打つことでしょう。さらに、そのような諦めない姿が、我々が立ち返るべき場所になるのです。

大野篤史

チャンピオンになる以外のチームゴールの設定

我々は、チームカルチャーを形成する要素として「コミュニケーション」「練習(習慣)」「コントロール」の3つのチームゴールを掲げています。もちろん、チャンピオンになることもチームのゴールになりますが、チームカルチャーを形成するためのチームゴールとしてこの3つが位置づけられています。

最近のプレーヤーは自分で言葉を発せないと強く感じます。「言わなくてもわかっているでしょ」というようなスタンスです。一方で、なにか困ったときには「なにをしたらいいんですか?」と自己判断ができない状態になる。そのような状態になってしまう原因のひとつに、コミュニケーション能力の低さが挙げられるでしょう。

各個人が相手に対して「わかっているだろう」と思っていることを相手がわかっていなければ、戦術のミスにもつながり、人間関係の構築にも発展しないため、チームが成立しなくなります。どのようなことでも言葉として発し、言葉を発することで「責任」が醸成されていきます。しかし、コーチが「話せ」と言っても、その場だけで終わってしまい、継続的に言葉を発することはありません。そこで、ジェッツの練習ではワンウェイごとに次のディフェンスの方法をプレーヤーたちに話し合わせて決めさせています。つまり練習の中にコミュニケーションを取る環境を設定するのです。これにより、ゲーム中にもハドルを組むようになり、コミュニケーションを取らざるを得ないようになりました。

「練習」は「習慣作り」の場としています。フェイクは見抜かれます。お客さんがいたり、調子がいいときにファイトしたり、ルーズボールを追いかけることは、誰でもできます。しかし、苦しい状況でそれができるかどうかはお客さんがいない練習でしか鍛えられません。練習でできたことしか試合では発揮されません。習慣を育てるために練習をするのです。前述したコミュニケーションを取る習慣も、練習において習慣作りをした結果になります。

「コントロール」とは、「コントロールできること」と「コントロールできないこと」を把握し、「コントロールできること」にフォーカスすることを意味しています。レフリーの笛やゲームが始まってからの調子、ボールのバウンドなど、バスケットボールには「コントロールできないこと」が数多く存在します。「コントロールできないこと」にフォーカスしてもなにも起こりません。「コントロールできること」は、ボールを追いかけることや、ファイトすることなどです。転がっている五分五分のボールは、取りに行かなければ自分たちのボールになることはありません。取りに行くアクションを起こすことはコントロールできます。シュートが入らない日もありますが、試合が始まってからシュートの調子をコントロールすることはできません。どんなに調子が悪くともシューターは打ち続ける必要があります。調子が悪くてもシュートを打ち続けるメンタリティを持つことが重要で、それはコントロールできることとして捉えています。

試合で個性を発揮させることが私の仕事であり、「打てる、打つことが俺の仕事だ」と思って遂行することがプレーヤーの仕事であり、責任だと捉えています。自分の気持ちがのろうが、のるまいが、やるべきことをやり、ベストを尽くすことが重要なのです。この3つのチームゴールを達成することでチームカルチャーが醸成されると考えています。

大野篤史

ゴール達成のための3つのチームコンセプト

さらに、我々はチームゴールを達成する要素として「ハイエナジー」「ステイトゥギャザー」「タフ」の3つのコンセプトを持っています。

「エナジー」がないチームなんて誰も見たくはありません。「エナジー」とバスケットボールに対する情熱は1ミリも緩んではいけない。

「タフ」というのは、「タフ」か「タフじゃない」かのふたつにひとつしかないと考えています。したがって、今日は「タフ」だけど昨日は「タフじゃない」などということはなく、それは「タフじゃない」ことを意味します。「タフ」か「タフじゃない」かの二択なので、我々は「タフ」になるしかないのです。「タフ」の中には身体的な「タフ」さも含まれますが、気持ちが折れないといったメンタル面の「タフ」さも重要です。

「ステイトゥギャザー」というのは、いいときだけでなく悪いときも、どんなときでも常に「ひとつになろう」というものです。1年目は必要のないファイトをしてしまい、2年目もギブアップし、そこで諦めてチームがバラバラになりました。その状況から持ち直すことができず、ひとつにまとまって戦えなかったことから「ステイトゥギャザー」というコンセプトを作りました。
3年目は、ヘッドコーチ就任当初から積み上げてきたチームカルチャーがかなり浸透し、我々のプレースタイルやカラーを表現することができました。1年目、2年目はチームの成熟度が低く、2年目のラストではギブアップをしてしまいました。

2年目を終えたときに、我々に諦めることや全力を尽くさないといった選択肢がないことを確認しました。ギブアップするようなチームは絶対に勝てません。3年目は、徐々にではあるものの、ギブアップせずに勝利に向かって必死に戦う真摯な姿を可視化することができました。悪いゲームがなかったかというと嘘になりますが、一試合を通して悪かったことはほぼなく、悪いながらも自分たちで切り替え、持ち直すことができました。それは、プレーヤーが「責任」を持って戦っている証拠だと捉えています。「ベストを尽くそうとする」「改善しようとする」意欲や姿勢が見られたことは2年目からの成長と言えるでしょう。

大野篤史

自分で決断できる人間になってほしい

人として成長していかなければプレーヤーとして大成できない。これは間違いないと思います。関わったすべてのプレーヤーによいキャリアを送ってほしいと思っています。別のチームに移籍したとしても、1年でも長くプレーしてほしいし、さらに引退後のキャリアにおいてもよい人生を送ってほしいと思います。人の指示だけを聞き、それに従って生きていく 『指示待ち人間』では、よいキャリアを送ることはできないでしょう。私が関わったプレーヤーには、人の言うことだけ聞いて従うような安っぽい人間になってほしくはありません。自分で決断できる人間になってもらうために、コーチはプレーヤーがそれまで積み重ねてきたことを承認し、そのうえで自分の意思で決定したことについて見守る必要があると思っています。

それまでの過程がないプレーヤーの勝手な判断については指摘しますが、意思を持って「自分はこれがやりたい」とコミュニケーションを取り、そのことに対する努力や過程が確認できるのであれば、判断したことについてコーチが上から指摘して押さえつける必要はありません。見守って責任を取ることがコーチの仕事であると思います。このような、コーチとしてのプレーヤーとの関わりは、プレーヤーが自分で決断できる人間として成長するためのひとつの方法として捉えています。

私は、プレーヤーが自分で決断できる人間として成長する過程をコーチとして一緒に歩めたことに幸せを感じます。よく聞くフレーズに「俺が育てた」というコーチがいますが、私は大嫌いです。育てたのではなく、「育った」のでしょう。人を育てるなんておこがましくて言えません。コーチとしてプレーヤーが成長していく過程を見させてもらったと思っています。

大野篤史

バスケットの内容以上に大切なことがあるコーチング

私がコーチとしてのスタートを切ったばかりの頃は、多くの知識を持ち、戦略や戦術に特化しているコーチがよいコーチだと思っていました。最近でも、アメリカなどから帰ってきて知識をひけらかすコーチを見かけることがあります。もちろん、コーチとして戦略や戦術に関する知識を多く持っていることは必須です。

例えば、生徒は学校に科目を学びに通っており、先生は科目についての知識を充分に持っています。つまり、学校の先生が科目についての知識を持っていることは当たり前のことなのです。バスケットボールのコーチも同じで、コーチなのですからバスケットボールに関する知識を持っていることは当たり前のことなのです。したがって、コーチが当たり前に持っているべき知識をひけらかす必要はないのです。

それよりも、コーチに求められるのはコミュニケーション能力といったプレーヤーとの関係性を構築する能力です。勉強したことをベースに、どのようにプレーヤーたちに携わっていくか、関係性を作っていくかが重要なのです。これは、プロだから、強化だからといったことは関係ありません。育成でも強化でもプロであっても、どのようにプレーヤーたちに携わっていくか、関係性を作っていくかは大切な要素です。

このことに気づいたのは佐古賢一さんと一緒にコーチを務めたときでした。勝つチームにいた人の考え方に触れることができた期間でした。佐古さんは、常に「絶対に諦めない、泥臭くボールを追いかけるチームを作る」という短いコンセプトを言い続け、チームづくりをしました。とにかくこのコンセプトに特化し続け、常日頃からこの部分だけは譲らないという姿勢をプレーヤーに見せていました。佐古さんのもとでアシスタントコーチを務めると決まったときは、もっとバスケットボールのことを言うものだと思ってました。もちろん、バスケットボールのことについても言いますが、それよりも大事なものがあるというと点はまったくブレがありませんでした。

また、佐古さんはオンコートとオフコートでガラッと変わります。オフコートではプレーヤーと近い関係を取りますが、オンコートではコーチとプレーヤーの関係性を保ちました。このことは私にとって大変衝撃的でした。

私は、佐古さんのもとでプレーヤーとの関係がなあなあにならず、離れすぎず、一定の絶妙な距離感を保つ。このことを佐古さんのもとで学びました。

佐古さんには私にないカリスマ性があり、キャリアも充実しています。佐古さんはひとつの言葉でプレーヤーを変えることができます。一方、私は佐古さんよりも時間が必要になります。これは、自分で自身のキャラクターを分析して感じたことです。したがって、私が佐古さんと同じようにプレーヤーに対してアプローチしても有効ではありません。私にあったコーチングを見出す必要があったのです。

大野篤史

押しつけ厳禁、プレーヤーの意見を聞く

私は、プレーヤーにとってそのプレーがカンファタブル(落ち着いている、居心地のいい、という意)か、アンカンファタブルか、というところを重要視しています。私自身が有効だと思って提案したプレーであっても、プレーヤーにとってまったく快適でなければ、私はすぐそのプレーを捨てる決断をします。

もちろん、時間をかければうまくいきそうな兆しが練習中に見られたならば、合意を得て継続します。そのような試みの中で、シーズンの最後には我々にとっていい武器になったりすることもあります。

まず、こちらから提案することについて、なぜそのような動きが必要なのかという原理・原則を理解してもらいます。この過程をおろそかにすると、その練習で出した指示を形でしか覚えなくなってしまいます。なぜその動きが必要か、どのようなアライメントになっているか、どのようなタイミングでやるのか、なぜそのようなアライメントやタイミングなのかについて詳細に伝えます。

「これはよいものだから、やれ」などとは絶対に言いません。結局、押しつけても結実の可能性は低くなります。やっているときにプレーヤーの顔を見ればわかります。納得できているときの顔と、「これってどうなの?」と納得できていない顔があります。納得できていない顔が見られた場合には、「どんなやり方がある?」などと質問をします。プレーヤーから「俺はこうやったほうがいいと思います」などと回答が得られたら、そのプレーを選択するリスクを説明したうえで、プレーヤーの提案を実施し、うまくいかなければ私が提案した元のプレーを試します。

プレーヤーとコミュニケーションを取り、プレーヤーに考えさせて改善したほうが、結果的によい効果が得られます。結局、押しつけてばかりいたら、質問してもプレーヤーから回答は返ってきません。普段からコーチとプレーヤーがコミュニケーションを取る習慣を作っていくことが重要です。

しかし、これはとても時間がかかります。ジェッツでも、私が最初に来た頃は誰も意見をしてくれませんでした。プレーヤーが意見を発するようになるまでにかなりの期間を要しました。

目的は、プレーヤーが思っていることを聞き出すことで、決してプレーヤーに責任をなすりつけたいのではありません。最終的に責任はコーチが取ります。そのことを事前に言っておかないとプレーヤーが意見を言うことはありません。コーチが責任を取るとプレーヤーが理解しているから、自分が言ったことをやらなきゃという思いも自然と強くなってくれます。「責任あるんだぞ」なんてことを言わなくても、「言ったからにはやるしかない」という雰囲気がチームにできてくるのです。

大野篤史

私が考える上質なパス

現在の日本人のドリブルやシュート技術、身体的な能力は、過去と比較して格段に上がっていると思いますが、パスの技術力は下がっていると感じます。パスの種類やポイントなども重要ですが、パスにはイメージする能力や創造性が必要になります。

ところが、現在はコーチによるプレーヤーへの押しつけにより、プレーヤーのパスをイメージする能力や創造性が奪われてしまっています。コーチが伝えたことしかやらせない形の弊害が、パスによく現れていると感じます。「こうしなさい」「こうやりなさい」などとパスの判断が限定され、自己判断が認められていないため、パスをイメージする能力や創造性が育まれていかないのです。

例えば、片手でパスを出してミスにつながったときに、コーチが「なんで片手で出すんだ!!」と怒鳴る指導が横行しているように見受けられます。しかし、両手でパスを出すよりも片手で出したほうが素早くパスを出すことができます。そもそもプレーヤーは創造性豊かなのに、その創造性を奪っている、スイッチを切っているのは実はコーチなのです。

そのことが顕著に見られるのが「パス」だと感じています。コーチには、創造性を膨らませ、豊かにするために、プレーヤーの自己判断や意思を汲んでもう少し見守ってあげることが求められます。

指導現場では、1対1やドリブル、シュートはよく指導されるものの、パスの重要性についてあまり説かれないように思います。それでも、そこそこいい状況になっていることが原因なのかもしれません。さらに高いパフォーマンスを求めるのであれば、パスから目をそらすことはできません。

以前、見学させていただいたアンタナス・シレイカ(元・宇都宮ブレックスHC)の練習は大変興味深いものでした。パスの練習ではレッグやバックビハインドなど人の股の下を通すことや、身体の後ろを通すことも認めていました。とくに小さいプレーヤーはビッグマンが来たら股の下を通すパスが有効になります。日本ではこうしたパスが「かっこつけやがって」となってしまうことがあります。そのような考えがプレーヤーの創造性を奪っているのです。

もちろん、チェストパスなどのスキルも教える必要があるとは思いますが、必ず両手でやらなければいけないというルールはありません。簡単に済ませるわけではなく、片手でしか通せない状況があるのです。ディフェンスではなくコーチがパスコースを限定的にしてしまっている。つまり、コーチの考えが相手チームのディフェンスをヘルプしているように思えてならないのです。