
4月11日、チャイニーズ・タイペイ代表は女子A代表のヘッドコーチに、秋田ノーザンハピネッツで7シーズンに渡って指揮を執った前田顕蔵が就任したことを発表した。今シーズン、成績不振に陥った秋田は12月24日に行われたレバンガ北海道戦翌日に、前田との契約を双方合意の上で契約解除したことを発表。前田はそれ以降も秋田に残り、子育て支援団体のためにオンラインイベントを実施するなど、秋田への恩返しをテーマに精力的に活動を行っていた。その前田に、チャイニーズ・タイペイ代表ヘッドコーチ就任への経緯について語ってもらったが、彼が口にする言葉には秋田への愛が溢れかえっていた。
「僕が退任することで変化になるんじゃないか」
──まずは、チャイニーズ・タイペイ代表監督就任おめでとうございます。率直な気持ちはどうですか?
ありがとうございます。楽しみですね!
──シーズン途中で秋田を退団したことを含めていろいろなことがありました。振り返っていただくと、今シーズンはどのようなシーズンでしたか?
今シーズンは本当に大変でした。Bプレミア前の最後のシーズンはチャンピオンシップ進出を掲げていて、カーディングもアウェーの3連続から始まり序盤はかなりタイトだと思っていたのですが、その中で自分が思い描いていた部分が全く出せないで、結果も出てこないということで非常に苦しみました。
──秋田で長く指揮を執っていたことで『泥臭くやり続けるマインド』というのは根付いていたと思います。
ハピネッツのスタイルは確立できていたと思います。ですが、Bリーグが毎年変化し、成長する速さ、そして年々競争力が高くなっている中で今シーズンは今までと違う編成の作り方をして、みんなでチャレンジしていったのですが、結果として出せなかった難しさがありました。反省する部分はもちろんありますし、悔しい思いはしたのですが、チャレンジ自体はやっぱり楽しかったです。
──具体的にどのように変えていったのでしょうか?
初めて外国籍選手に得点源をグッと寄せました。ディフェンスの部分はもう確立できていた中で「じゃあ得点だよね」と、編成を組み替えたことは初めてのチャレンジでした。オフェンスからアプローチしたことが結果として中途半端になってしまったのですが、このチャレンジ自体はもう絶対的に必要だったと思っています。
──なぜそのように思ったのでしょうか?
秋田の方たちに勝利を届けたい気持ちが大前提としてありますが、チームとして確立している部分があるからこそ、やっぱり変化をしていかなくてはいけないと思っていて、チャレンジをしなければ僕がヘッドコーチをやっている意味がないと考えていました。この思いは社長も理解してくれていたことなので非常に良かったと思っています。
──停滞は衰退に繋がると思いますし、常にチャレンジしていく上で成功と失敗は表裏一体だと思います。Bリーグのレベルも向上している中でチャレンジした今シーズン、おっしゃられた通りヘッドコーチと社長で、2人3脚でここまできたはずですが、それができなくなったということは何かが崩壊したということでしょうか?
この1シーズンが上手くいかなかったから「このチャレンジは違ったね」と言って、途中で修正する選択肢もアリだったと思います。長く続けていましたし、僕も修正を加えながら進んで行く気満々で家も購入していましたから(笑)。
Bリーグのトレンドとしてヘッドコーチの在籍期間がどのクラブも短い中で、秋田はヘッドコーチを代えずにいてくれました。このスタンスは僕も好きでしたが、そうやって信じてくれながら結果がこれだけ出なかったというのは初めての経験でした。ディフェンスのスタイルを確立した中で今年は結果を出せなかった。なんならスタイルすらちょっと見せられなかった。その感じが選手の責任なのかと考えた時に、僕としてはすごく違和感がありました。リクルートのスピード感、リーグの変化の速さを考えた時に早く次のプランを考えなくてはいけない。そしてこの結果は誰かが責任は取らないといけない。そう考えた時に「僕が退任することで変化になるんじゃないか」と、社長に申し出ました。

「秋田に帰ってきたい気持ちがより強くなりました」
──自らの退任の提案だったということですね。会社側はそれを淡々と受け入れたということでしょうか?
本当に誤解のないようにしてほしいのですが、(水野勇気)社長はだいぶ守ってくれていたと思います。だから、「社長が僕を切った。ひどいやつだ」みたいなことでは全くなくて、僕が秋田のこの先のことを考えた時にこの変化が必要なのではないかと、シーズンを過ごしていくうちに考えるようになった結果です。
──水野社長との関係は良好のままということですね?
全く嫌いじゃない。めっちゃ好きですし、こないだも社長と2人で飲みに行ってます(笑)。
──この決断は一人の問題ではないはずです。葛藤はあったのでしょうか?
結構伝わりにくいかもしれないのですが、僕ってポジティブな性格なんです。だから決断はそんなに難しくなかったです。なぜかというと、家族のこと、特に妻を亡くした時に(2022年9月に逝去)ハピネッツからサポートしていただいたから今があるわけで、本当に恩を感じています。僕や子どもたちの根底にはハピネッツに支えてもらったという恩義があるので、ここに対しては真っ直ぐに向き合いたいと考えていました。だから、自分がやることでハピネッツの足かせになりたくない。成功してほしい。強くなってほしい。勝ってほしいという気持ちしかないので、判断はそんなに難しくはありませんでした。
──退任を決めた時の感情は冷静だったのでしょうか?
北海道戦で負けた後に社長に話をして、その後にミック(ダウナー現ヘッドコーチ)、スタッフに伝えてホテルの部屋に戻った時はめちゃくちゃ泣きました。秋田には愛情しかありませんでしたから。でも、自分から辞めたのにしょんぼりしているのも違うし、子どもたちから「なんか父ちゃん元気なくなった」と言われたくないわけですよ。本当に正しいと思った道をまっすぐ行きたいだけなので。
──秋田のことを考え、自身の信念に基づいた判断だったのですね。
はい。だから、今でもハピネッツが勝ったらうれしいし、負けたら悔しい。ハピネッツが成功してほしいというのが一番です。
──退任後も秋田への恩返しという形でオンラインでの活動を通じて子育て支援団体に収益の寄付などを行っていますね。
僕は「秋田が好き」と言い続けてきましたけど、「いや、本気だよ」というの見せたいわけですよ(笑)。「マジだから!」みたいな(笑)。秋田の良さは、小さい街でどれだけ地域をみんなで盛り上げていけるか、ということをすごく大事にしているところだと思っています。こういった活動を通して地域のお店や企業さんと連携することで、その寄付金を使って地域のサービスやモノを届けて繋げることを進めています。
──前田ヘッドコーチのことなので、こういった活動をすることで逆に地域の方々から元気をもらったのではないですか?
いや、もう本当にそうなんですよね。バスケットからグッと離れて、自分一人で初めてこのような活動をしてみたら、本当に守られて仕事をしていたんだなと感じました。ありがたいと思いましたし、また秋田に帰ってきたい気持ちがより一層、強くなりました。