「次に続く者たちに基準を示すことに責任がある」

今のNBAファンにとってパット・ライリーはヒートを毎年強豪へと仕立てる有能なフロントだろうが、昔からのファンにとって『ショータイム・レイカーズ』を率いるヘッドコーチの印象は今も残っている。

現役選手としてレイカーズで1972年に優勝を経験したが、大きな功績を残したとは言えない。それでも引退後、解説者を経てレイカーズのコーチングスタッフに加わり、当時のヘッドコーチがエースのマジック・ジョンソンと対立したことで解任されると、後任に据えられた。1981-82シーズンからレイカーズを9年間指揮し、7回のNBAファイナル進出、4回の優勝を勝ち取った。

就任時点でレイカーズには各ポジションにスター選手が揃っており、最初の数年は「これだけの戦力があれば誰でも優勝できる」と陰口を叩かれたが、そんな声も成功を積み重ねるごとに減っていった。時を経て現在、レイカーズのホームアリーナに彼の銅像が建てられ、その除幕式に『ショータイム・レイカーズ』の面々が勢揃いした。マジック・ジョンソンに至っては記念セレモニーの司会を買って出た。「誰がコーチしても優勝できる」のであれば、彼らはここに足を運んでいない。

そんな教え子たちに、アルマーニのスーツで決めたライリーは「式典にはスーツを着て来るものだ」と言い放ち、今のヘッドコーチたちにも「ファンがコーチに求めるのはリーダーとしての姿だ。だからスーツを着てネクタイを締める時代に戻ってほしい」と、自らのファッション哲学を説いた。銅像のライリーもアルマーニのスーツを着て、拳を高く突き上げている。

「私のヘッドコーチとしての最初の年が1981-82シーズンだった。素晴らしい時代だった」とライリーは式典後の会見で語った。「当時のことを思い出しても、どうやってここまで来れたのか分からない。それでもスター選手に並んで私の銅像が建った。偉大な選手たちの肩に乗せてもらったおかげで今の私がある。感謝の気持ちは言葉では言い表せないよ」

引退後のライリーがレイカーズに戻って最初に担当したのは遠征マネージャーだった。「朝5時に空港に行き、全員の搭乗券を取る。カリーム(・アブドゥル・ジャバー)は『1A』を指定席にしていたから、他のどの客よりも先に『1A』を確保するのが私の仕事だった」と彼は振り返る。「アシスタントコーチになり、それから暫定コーチを経て正式なヘッドコーチになった。そこで学んだ最も重要なことは『勝つことへのすさまじいプレッシャー』だ」

式典スピーチでの彼は、集まった人々に向かって「君はこれから何を成し遂げるのか。そのために誰の足跡をたどるのか。誰にあこがれ、どのチームに刺激を受けて、いつか自分もそうなりたいと願うのか」と問いかけた。

その意図をこう説明する。「いつかその高みに到達した時、何らかの形で次の世代にバトンを渡さなければならない。80年代のショータイム・レイカーズの選手たちは、『次に続く者たちに基準を示す』ことに責任があると感じていた。だからこそ勝たなければいけない。それがすべてだった」