福岡大学附属大濠でマネージャーとして活動する傍ら、​​片峯聡太コーチのもとでコーチとしても経験を積んだ。同級生たちが国内の大学への進学を決めていく中、野原悠太郎はアメリカの大学にチャレンジする道を選び、自らが求める目標に向けて日々努力を重ねる。今年の9月、NCAAディビジョン1のアーカンソー州立大への進学が決まった野原にアメリカでの生活を振り返ってもらった。

理想像に近づくためには積極性が必要

──まずは自己紹介をお願いします。

京都の福知山市というところで生まれ育ち、マネージャーとして福岡大学附属大濠高校バスケットボール部に入部しました。高校卒業後はNJCAA(全米短期大学体育協会)2部に所属するエルスワースコミュニティカレッジに入学・卒業し、この9月からアーカンソー州立大学に入学予定です。

──福岡大学附属大濠ではどのようなことを学びましたか?

片峯先生は入学したころから「将来コーチとして活躍したい」という僕の思いを理解してくださっていたので、マネージャーをしながらコーチとして経験を積む機会をたくさん与えてくださいました。その機会を存分に活かして3年間成長できたと思います。バスケット面やコーチング以外にも、人との繋がりや、選手との関わり方など、たくさんのことが学べた3年間でした。

──国内の大学でマネージャーやコーチを務めるという選択肢もあったと思いますが、なぜアメリカ進学を選んだのですか?

プレーヤーの多くはウインターカップを待たずに推薦で進路が決まるのですが、マネージャーはそうではありません。3年生のウインターカップまで全力でバスケットに注ぎたい気持ちがありましたし、その上でどうしたら大学に行けるのかを考えていました。

そんな時に両親が、アメリカの大学への進学を斡旋する会社を見つけてくれました。アメリカは8月や9月入学の大学が多いので、高3の年内いっぱいまで大学受験のことを考えずにバスケットに集中できるというところがまず1つ魅力に感じました。また、いろいろな方に将来Bリーグのコーチになった時に英語は必要だと言われていたので、英語がしっかりと学べるところにも魅力を感じてアメリカの大学へ進学するチャレンジを決めました。

──エルスワースコミュニティカレッジでの生活はいかがでしたか?

アメリカの大学バスケの外側のことは知っていても、内側はまったく知らないことばかりでした。まず、アメリカでは『スチューデントコーチ』、いわゆる学生コーチはあまり存在しません。プロのコーチが5〜6人いるので学生コーチを登用する必要がないんです。とはいえ僕はバスケットを学ぶためにアメリカに来たので、マネージャーという立場で入部させてもらいました。

入部してからはすべての雑用を一人でやらなくてはいけませんでした。練習が始まる1時間前に体育館に行ってモップをかけ、練習中は水汲みを行い、練習が終わったら全員分の練習着を洗濯し、次の日の練習までに乾かす。アウェーゲームに行くときはチームが持っていくものを全部一人で準備したり……。だから最初の1年目はとても苦しかったし、自分のやりたいことができていないなという感覚がすごくありました。

──英語もままならない状況でたくさんの仕事をこなしていたのですね。ホームシックになることはなかったのですか?

ホームシックになったことは、本当に一回もありませんでした。1年生の時に日本が大好きな上級生がたくさんいたので、僕が日本語を教える代わりに向こうに英語を教えてもらったりしました。「試合中に審判に文句を言う日本語を教えてくれ」とか(笑)。バスケットはもちろんですが、それ以外のところでも生活を支えてくれた彼らがいたからホームシックにならなかったです。

──このチームではコーチ業を学ぶチャンスはなかったのでしょうか?

1年目の時はマネージャーの仕事で手一杯でしたが、暇を見ては試合映像のクリッピング作業を独自にやって、その映像をコーチに見てほしいとお願いしていました。最初は見向きもされなかったのですが、くじけず何度も何度も作ってはコーチのもとに届けました。

2年目に転機が訪れました。6人いたコーチのうち3人がチームを離れ、新しく入ってきたコーチは2人しかいなかったので、映像を作る作業をするスタッフが足りなくなりました。コーチから相手にされなくても映像を作り続けていたことがきっかけで、6人目のコーチの作業を僕が補うような形で、スカウティングをメインに活動させてもらえるようになり、最終的には練習の時にコーチに意見を言える立場になりました。1年目は「見て学ぶ」という感じでしたが、2年目は「学んだことを生かす」というか、コーチに近い立場で実戦的なことに携わることができました。

「上がれるところまで上がりたい」

──その経験もあり、4年制の大学を目指したいという気持ちになったのでしょうか?

短大のヘッドコーチやアシスタントコーチが、ディビジョン1でコーチ経験があるということは聞いていました。また、このチームは僕が1年目の時に全米4位になって、5人の選手がディビジョン1の大学に進み、そのうちの一人はマーチ・マッドネス(NCAAトーナメント)でデューク大を相手に15得点の活躍をしました。身近にいた選手がディビジョン1の強豪校相手に渡り歩けることを目の当たりにして「短大出身でも努力を怠らなければディビジョン1で活躍することはできるんだな」と思いました。

──そこからどのような経緯でアーカンソー州立大への編入が決まったのですか?

2年生のクリスマスの時期に、コーチが全米の大学のヘッドコーチ、アシスタントコーチに僕の履歴書を送ってくれました。通数にしたらおよそ2000通、そこから返信があったのは60校くらい。その中で一番最初に返信をくれたのがアーカンソー州立大でした。マーチ・マッドネスが終わる4月上旬ごろになると連絡を取れるチームが2〜3校まで減りましたが、アーカンソー州立大は変わらずやり取りを続けてくれていたんです。アーカンソー州立大はシーズン終了後にコーチ陣が全員退任し、僕が『X』でフォローしていたお気に入りのコーチが就任することになったので、短大のヘッドコーチに関係者と繋いでもらい、マネージャーという立場で入部許可をもらいました。

──短大からの編入なので、活動できるのは2年間と短くなります。限られた時間をどのように過ごしていきたいですか?

NCAAディビジョン1の大学になるとコーチやスタッフの陣営がしっかりとしています。優秀なコーチが多数在籍していて、専門分野に精通している方もいるので、自分が今後どのような人材になっていきたいのかを見極めながら、どんどんスキルを盗んでいきたいと思っています。

──今後の目標や夢を教えてください。

僕は小学1年生の時にバスケットに出会い、夢中でプレーをしていましたが、5年生になった頃に心疾患が見つかり、プレーを断念せざる得なくなりました。それでもバスケットに携わりたいという気持ちは心の中にあって、BリーグのヘッドコーチやA代表のヘッドコーチになりたいという目標が芽生えました。とても険しい道のりであることは理解していますが、トライする価値はあると思っていますし、上がれるところまで上がりたいという気持ちです。まだスタートラインに立ったばかりですが、これから得られる知識や経験を生かして、コーチとしてステップアップをしていきたいです。

──海外にチャレンジしたいと考えている人に向けてアドバイスをお願いします。

夢に挑戦できる権利は誰もが持っているものです。ただ、それを叶えるためには努力をすることが当たり前で、努力の量や質も絶対影響すると思います。僕もまだ理想の自分になれたわけではないですが、「自分がこうなりたい」という姿をしっかり追い求めていったら自分の理想に近づいていくのではないかと思っています。